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ハイサイおじさんvs勝手にシンドバット 幻想の1978年決戦

歳をとると、本当に涙もろくなる。

先日、床屋で髪を切ってもらっていると、店内のラジオから「ハイサイおじさん」が流れてきた。

すると、ふいに涙が出てきた。

ちょうどシャンプーしてもらうところだったので、うまくごまかせてよかった。

なぜ「ハイサイおじさん」で涙が出るのか、複雑だが、簡単に言うと以下のような事情だ。

1970年代は、激動の60年代の後で、「シラケの時代」「相対主義の時代」と言われた。

そのころ10代の終わりに差し掛かっていた私は、思想的な空白に苦悶していた。

1978年、日本の音楽界に2つの新風があった。喜納昌吉とチャンプルーズの「ハイサイおじさん」、そしてサザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」だ。

「勝手にしやがれ」と「渚のシンドバット」を組み合わせただけのタイトルを持つサザンの曲は、中身は何もないと思った。何もない70年代を表現しているような曲だ。

サザンオールスターズというバンド自体、アメリカ音楽の借り物の、作り物、偽物のファンキー感しかない。そこに開き直った音楽だと思った。

対する喜納昌吉の「ハイサイおじさん」には、本物のファンキー感があり、文化的なオリジナル性があると思った。信頼できる何かがそこにあると感じた。当時はまだ沖縄が復帰して間もない。

私は頭の中で勝手に「勝手にシンドバット」対「ハイサイおじさん」の思想的対決が起きていると思っていた。一方にアメリカから借り物の文化で魂を売り渡した戦後日本、一方にアメリカ侵略の中でも汚れなかったオキナワの魂・・。

日本の思想的虚無感を乗り越えるためには、「ハイサイおじさん」が「勝手にシンドバット」に勝たなければならない、と思った。

そう思いつめて、私はこの「1978年の思想決戦」の意義を周囲に説きまくったのだった。

私は10代だった。いま振り返れば、バカみたいな話だ。

しかし、喜納昌吉は(そして、たぶん沖縄も)、左翼から過剰な幻想と期待を持たれ、それが彼らをダメにしていった気がする。

私が「0点」だと思ったサザンオールスターズは、その後の80年代バブル期を通じて「国民的バンド」に上り詰めていく。

「朝日・毎日」的なものとは、すなわちサザンオールスターズだと言った人がいた。適度にリベラルで、適度にファンキーで、適度にインテリで、適度に反体制的で、かつ適度に体制的で。

そして「ハイサイおじさん」も、今や高校野球の沖縄代表のテーマソングみたいになり、インチキリベラルの代表「朝日・毎日」にすっかり回収されてしまった。


しかし、床屋で聞いた「ハイサイおじさん」に、44年前に聞いた感動が急に蘇ってきた。

その瞬間、この44年間の日本と、自分の虚しさを一気に体験したような気がした。

それが床屋での私の涙の理由だが、わかってもらえるだろうか。


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