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工藤ちゃんを送る


最初に出たのは悲鳴だった


工藤ちゃんが亡くなった。

危ないかもしれないとは思って

ネットニュースには気を付けていたけれど

同じ水頭症で、意識不明になり、ICUで治療して

それでも回復して今、元気でいるという人のヤフコメを見て

希望も一方では持っていた。

だから、そろそろ寝ようと、パソコンを閉じる前に

ちらっと見たニュースの「逝去」の文字に

思わず「キャーッ」と、声が出てしまった。


それはあってはいけない現実だった

「なぜ」という思いがどんどん広がっていった。


工藤ちゃんと呼ぶわけ


父親を中学で、母親を大学卒業の年に亡くした姪が

少しずつ柏レイソルにはまっていったのは就職をしたころだった。

もともと私は、サッカーには全く興味がなく

たまにテレビで見ても、長時間は持たない

なかなかゴールがないし

ずっとボールを追って見るだけのつまらないスポーツだと感じていた。

でも、やがて姪がアウェーにも行きだすと

心配で、レイソルの試合をスカパーで見るようになった

なぜなら、客席の様子が割とよく映されるから

そして、時々そこに姪が映り込んでいるからだ。

「雨なのに頑張って応援しているな」、とか

「交通費高いのに、よく清水まで行くな」と、チェックをしたのが始まり。


次第にサポーターの友達もでき

働く張り合いも生まれたようで

姪もだんだん明るく、強くなっていった気がした。

私も一緒に観戦に行ったり

一度は練習見学にも付いていった

その姪のイチオシが工藤ちゃんだったのだ。


日立台の練習見学の後に私が撮った唯一の写真。珍しく元気がなかった。


自然といろいろな選手の名前を私が覚えると

「マツシマタツヤでしょう?」

「違う、増嶋竜也(マスシマタツヤ)」などと答え合わせをされたりして

レイソルの会話がだんだんと増えていった。


レイソルの話題がなかったら

姪と伯母の会話なんて、なかなか横並びにはならなかったかもしれない

だから、姪が「工藤ちゃん」と呼ぶ選手が、私にも特別な人になっていた。

人前で私が言うときは工藤君だけれども

姪が親しみを込めて呼ぶ「工藤ちゃん」が

心の中の一番近いところにある気がしている。


母親目線?



だけど、私はユニフォームに背番号を入れるとか、そんなのではない。

ちょっと、表情が暗いと、疲れているのかな、と心配したり

毎年発表される年俸を見ては安心したりという関心の寄せ方だ。

例えば、韓国から来たキム・チャンスにも

知らない国で、言葉も通じないし、大変だろうな、とか

ほかにも、いきなり契約を打ち切られる選手の行く末を心配したり

試合というよりは、選手の周辺事情につい引き寄せられてしまうのだ


だから、工藤ちゃんのファンというのとは少し違うような気がする。


そんな私だから

レイソルの下部組織からプロに昇格した選手で

レイソルを代表するストライカーで

レイソルを誰よりも愛し、レイソルで最も輝いていた工藤ちゃんが

レイソルを出ていく背後にはきっと何かがあったのだろうと推測してしまう


しかし、そんな憶測は本人がはっきり否定している記事があった。

この記事は、工藤ちゃんの肉声が多く聞こえる良記事である

カナダ→広島→山口の移籍の後の空白期間

2020年にオーストラリアのブリスベン・ロアーFCに移籍する前のものだ。


レイソルを出るときは海外移籍だったので、きっと見ている先に夢があり

もっと輝く未来があるのだろう

そう思い

私をいっときかすめたくだんの心配も、さっと通り過ぎていった。

バンクーバー・ホワイトキャップスというチームに到着したときの映像では

久しぶりに生き生きとした表情の彼が、すごく頼もしく見えていた。


しかし、次に見ることになった映像は

彼が試合中にキーパーと激突し、顎を骨折するという衝撃的なものだった。

激しくぶつかり、頭を強くたたきつけられた姿はとてもショックだった。

もはや二度と見ることができない、恐ろしい瞬間だった。

だが、そんなときのけがからも、彼は見事に立ち直った

そのときにはもう結婚をしていて

支えてくれる人が、いつもそばにいてくれた

そのことがとても大きなことに思えたのもこのときだった。


その後は成績にも恵まれずクラブを渡り歩いていくことになる。

人によっては

このときの衝撃が、彼の後のパフォーマンスを落としたと言う人もいる

そんなことが関連しているとは正直思ったことはなかったが

遠くから見て、いつも苦労をしているとは感じていた。

人生って、なかなか思い通りには運ばないものだと思いつつ……。



仕事があるので主にDAZN観戦


ぼっち観戦の始まり


姪のサッカー熱も、工藤ちゃんがレイソルを出るころには

次第に下火になっていった。

仕事が忙しいのと

ほかの趣味にも目が向くようになって

いつしか、レイソルからも、サッカーからも遠のいてしまった。


不思議なことに、姪を通じてサッカーの面白さにはまっていった私は

その後も時々1人で日立台に行ったり

アソシエイツ会員になったり

試合をDAZNで見届けるようになっていた。


サッカーを通じて姪が生き生きすることを望んでいた私が

ふと気付くと、自分がサッカーで、子育て後の心の透き間を埋めていた

生きていくのが精いっぱいで、趣味というゆとりもなかった人生に

姪がきっかけを与えてくれたのだ

今、それをすごく感謝している。

最近ではサッカーの移籍の問題で考えさせられることも多く

プロだから厳しいことはあっても、冷たいのは嫌いだ

選手の送り出し方は何とかならないものだろうか。

特に今回のような状況になったとき

サポーターとしては、つらく心苦しい気持ちが残る。

移籍先のクラブが誠心誠意大切にしてくれているのを見るにつけ

古巣はどういう行動を取ればいいのだろうか。

しゃしゃり出てはいけないのか

でも、過去の選手だとして何もせずに終わらせたくはない

ましてや、彼はチームの悲願のタイトル獲得に貢献した特別な選手だ

柏レイソルの今後の行動を待っている。



2013年ナビスコ杯決勝のMVPだった


頭が真っ白


突然の訃報の後、深夜ではあったが姪にLINEをして

工藤ちゃんの思い出の写真を交換し合った。

姪にはとてもよく写ったツーショットがあって

2人ともいい表情で、よく撮れていた

もう10年も前のものだが、もはや間違いなく宝物だ

前にも見ていたが、今は一段とその輝きを放っている。

結局LINEでは収まらなくなり、そのまま深夜の電話になっていった。


親を早くに亡くしたのに

それよりもっと若い世代の、年下の工藤ちゃんまで亡くしてしまうことを

姪はどう捉えたのだろう

私は心細い気持ちに襲われていたが

成長したのか、姪は「ショックすぎて頭が真っ白」

そう言いつつも、思った以上に、冷静に受け止めていた

大人になったな、と、ひさしぶりの声を聞きながら感じた。


水頭症とはいうけれど


それにしても、なぜこのようなことになってしまったのか

バンクーバーのチームにいたときの

あの交通事故のような衝突による脳への衝撃が水頭症の遠因と見る人がいる

また、それには時間がたちすぎており(6年前)、無関係と言う人もいる

脳腫瘍とか、出血とかの病気がひそんでいたのではないかと考える人

水頭症のシャント術は、さほど大変な手術ではないと豪語する人

きっと術後に感染症などの合併症を起こしたのだろうと推測する人もいる。


はっきりと原因を知らされないこともつらい

いつか、本当のことを知りたいと願っている。

興味本位ではない

きちんとした納得が欲しいのだ。



あなたも、きんもくせいの咲くころに、旅立たれたんですね。


新しい旅立ち


工藤ちゃんが32歳という若さだったこと。

現所属のJ3、テゲバジャーロ宮崎が

急な体調の変化で彼が入院し

手術をし、術後の急変をすべて一遍に広報した18日から

逝去までがわずか4日だったこと。

体調不良からは20日足らずと、逝去までが早かったこと。


それらすべてが一度に、あっという間に私たちを

すさまじい力で襲っていった。

本人やご家族はもちろんだろうが

私のような緩いサポーターでも

気持ちの立て直しが難しくなってしまっている。

昨夜もそうだが

逝去の知らせから一夜明けても

まだ、TwitterやYahoo!ニュースのコメント欄を読みあさっている。

残念ながら、悪い夢なんかじゃなく、現実だったのだ


ご家族はどれほどこの冷たい現実を

朝が来る度に感じさせられていることだろう。

私たちが涙することで少しでもその悲しみが軽くなるというなら

どんなにか救われるだろうに。


それぞれが、何とか立て直そうとして

ネットを開けば

多くの人たちが、悲しみや寂しさや、つらさを文字で表している

今日はそれを認めざるを得ない一日となってしまった。

でも、私は工藤ちゃんを今後「亡くなった人」などとは

どうしても思いたくない

扱いたくない。


これまで工藤ちゃんが

柏を離れていろいろなチームを旅してきたように

ここから、また、新たな旅に出かけたのだと思うことにする。

もう、けがなどないようにと祈りながら。

                    2022.10.22

創作の芽に水をやり、光を注ぐ、花を咲かせ、実を育てるまでの日々は楽しいことばかりではありません。読者がたった1人であっても書き続ける強さを学びながら、たった一つの言葉に勇気づけられ、また前を向いて歩き出すのが私たち物書きびとです。