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激動の暮れに


『死は存在しない』(田坂広志 著)



 この本は、2022年12月、私の激動の日々を支えてくれた
 
 作者が支えてくれたのか
 
 作者のいうゼロ・ポイント・フィールドが支えてくれたのか……
 
 

 麻鳥asatoriさんの紹介文を読んだ12月11日の朝
 
 すぐにKindle版を購入して読み始めた

 読む準備はできていた

 いつもは週末に来る仕事が、たまたまなかったからだ。

 
 5日に、入院生活3年目の親族の容体が悪くなり、6日に見舞った後、私の体調にちょっとした変化があった。いや、変化は一月前にもあったが、どういうわけか急に気になり出していた。年に一度のがん検診を50歳のときから欠かさず12月に受けていたが、コロナ禍で感染を恐れ、診療控えをして3年目になる。その空白の大きさが臆病な私の不安にさらに拍車をかけていた。ワクチン未接種を選択したから誰よりも感染を恐れて外出を避けていたが、なぜか今まで押しやっていたがんを恐れる気持ちが突然頭をもたげてきた。
 しかし、ここまで月日がたつと先生に合わせる顔もなく、別の医院を探すことも考え始めるようになる。募る不安に背中を押され、思い立って隣市まで足を延ばしてみたのは10日のことだった。事前チェックというやつだ。

 
 なぜ今なんだ

 第8波のコロナの流行が始まってしまったのに
 
 来年、この波が収まってからでは駄目なのか
 
 なぜ、こんなまずい時期に……

 
 2軒の医院に目星を付けて飛び出してきたが、1軒は見つけたもののもう一軒は道を間違えてしまった。見当外れの場所をぐるぐると歩き回り、辺りも暮れたころに心底疲れ果てて帰ってきた。2時間歩き続けて足を棒にした疲れと、帰り道さえ人に聞くという情けない惨めな自分にあきれながら帰宅した私は、その夜、10月に亡くなった工藤選手への追悼映像を見て涙を流し、深夜近くに「心を洗われる3分の名曲 その3」を公開した。




 この記事のテーマは「死」であり、「涙」であった。その翌朝に、麻鳥さんが読んでくれなかったら、私もすぐに麻鳥さんを訪れることはなかったかもしれない。そして、この本と巡り会うこともなかったか、あったとしても時期はずっと後だったに違いない。いつかではなく、今すぐ読もうと思ったのは、きっと私が遠からず「死」と対峙しなければならなかったからだろう。
  


どこからか勇気が


 
 半分読んだところで不思議な勇気が湧いてきて、もうあれこれ考えずに元の先生のところへ行こうと思えてきた。婦人科を受診したのが12日。「案ずるよりは……」というが、意を決して受診してみると、先生は思いのほか喜んで迎えてくれた。かくして、気になっていた婦人科は心配はないということになり、そこから一気に他科の検診を決行することになった。
 14日に血液検査をし、3年ぶりに胃カメラの予約を入れた。こちらの病院の先生もいつも以上の笑顔で、「つい先日お会いしたような気がしますが、3年もたちますかね」と、迎え入れてくれた。コロナが出現して以来、病院は絶対に行きたくない場所だったが、N95をしっかりして、待ち時間はなるべく外に出てしのぐようにした。だが、第8波が勢いを増していたこの日は外に出ても、病院脇に設置された発熱外来を受診する人のパイプ椅子の列に人が途切れることはなかった。
  この本を読んでいる途中から私はすこぶるアクティブになり、勇気が湧いてくるのを自覚していた。

 
 こんなにすっとできることを

 なぜ、もっと前の時期に

 例えば去年とか

 今年であっても、コロナ流行の谷間とかにしなかったのか

 いったい何につまずいていたのだろう……


 病院の帰りはとても晴れ晴れとした気持ちだった。だからなのか、親族も持ち直してくれるのではないかとさえ思えてきた。実際、これまで何度も危ないと言われた時期を乗り越えてきたではないか、と、少し心が緩んでいたかもしれない。例えば、日中の散歩などで、携帯電話を家に忘れてきたり。


Kindle版は即読み始められるところがいい


「死」に触らない


 
 読了してすでに再読を始めていたころ、本の影響なのか、兄の誕生日、12月17日が近づくと、兄を思い出すことが増えていた。ここ何十年、ゆっくり思い出したことはなかった気がする、殊に若かった日のことなんかを……。
 思えば、肉親の死は必ず起こるだろう出来事なのに、今までこれほど深く死後の世界について、読んだり考えたりすることはなかった。例えば、病気や健康という、つまり、生きることについては多くの時間を、読書や考えに費やしているのに、「死」や「死後の世界」については熱心にはなれなかった。それはなぜなのだろう。宗教に傾倒したり、哲学に造詣の深い人以外は「死」についてはあまり触りたがらない、周囲の人たちもそんな感じがする。その理由の一つは、やはり、えたいの知れない「怖さ」が、そこにあるからではないだろうか。

 

ゼロ・ポイント・フィールド仮説



 現代に生きる私たちは、科学的に証明されたことを信用する、著者のいう「科学が信仰」となってしまう人がきっとすごく多いのだろう。「それでも地球は回っている」と言ったガリレオ・ガリレイを崇め、正義感のようなものも伴って科学を重んじるあまり、信仰の域に達してしまうということなのだろうか。
 しかし、それにしては、私にしても科学そのものをあまり知らないのだ。科学が今、どんなところまで進んでいるのか、そういうところにも全く興味が湧かず、追えてもいない。
 その最先端の科学と矛盾しないというのがこのゼロ・ポイント・フィールド仮説だというが、この世を生き抜いた一人一人の歴史や意識、情念などの情報をこのゼロ・ポイント・フィールドが全て波動として記憶しているというのだという。それは科学的に説明できるうることで、全く荒唐無稽な話ではないと。


めいが送ってくれたプレゼント


対面


 
 さて、胃カメラの検査を23日に控えた20日は私の誕生日だった。午前中に仕事の関係先から生花が届いたり、昼にはめいからプリザーブドフラワーが送られてきた。一年で一番華やいだ気分になれる日がプレゼントとともに始まった。だが、そんな日に、突然親族が亡くなった。第一報は、こともあろうに、いつもは絶対にしない日に二度目の散歩で小一時間、家を出ていたときだった。
 2時半ごろ、病院のすぐそばを通り、20メートルほど離れた横断歩道から病院の窓をちらっと見ながらのんびり帰宅すると、携帯電話に留守電が入っていることにも気付かずリビングで息子に勧められるままにお茶飲み始めていた。そのときだ、第二報の携帯電話のベルがけたたましく鳴ったのは。
 慌ててつんのめりそうになりながら病院に着いたが、すでに呼吸はなかった。「2時ごろに電話したんですよ」という看護師さんの言葉が空しく突き刺さった。N95はしていたが、疥癬(かいせん)があるということでゴム手袋、靴カバー、ビニールのエプロンなどの防護具をつけての死後の確認作業に臨む。自分の不始末もあり、看護師さんの思惑も気になり、あまり真っすぐには亡くなった親族の顔を見られなかった。



この季節でも、まだ黄金色のイチョウが輝いていた

 翌日、翌々日と続く葬儀場での打ち合わせの折に、横たわる故人の顔を次第に冷静に見られるようになっていった。亡くなった寝姿は本当に静かで、これほどの静謐はなかった。故人の魂はもうここにはなく、宇宙の果ての、さらに遠い彼方に行ってしまったかのようだ。だが、その体は、やっぱり単なる物体ではないということをはっきりと感じた。
 例えば、パソコンや自動車が電源を失ってそこにあったとしても、「静かだ」、などと感じるだろうか。人が造ったものではない、木々や山々と同じようにその体は静けさをまとっていた。長い人生の折々の選択が良かったのか、悪かったのか、その生き方が上手だったのか、下手だったのかは分からないが、米寿を迎えるまで生き抜いてきたその偉大さが、そこには悠々と漂っていた。 



不思議な体験



 著者は、「直観」「シンクロニシティ」や「コンステレーション」などの不思議な体験を数多くしたというが、このような類いのことは、私には一つぐらいしか思い浮かばなかった。しかし、再読するうちに、偶然にしては、これほどの偶然があるものだろうかと、かつて人にも語っていた事実があったことを突然思い出した。また、実際、胃カメラの検査の朝には不思議な出来事にも遭遇することになった。
 検査の当日、7時45分にセットした携帯電話のアラームが、7時41分に鳴って私を起こした。10分置きに鳴るスヌーズ設定にしてあるので、もしかしたら寝過ごしたかもしれないと、慌てて起きて時計を見たら41分だったのだ。45分に設定したはずだが間違えていたのかと思い、設定を見ると、ちゃんと45分になっていた。
 『時間の分子生物学 時計と睡眠の遺伝子 (粂和彦 著)』によれば、人間の体内にはおよそ24時間の概日周期で動く時計があって、明日は○○時に起きなければ、と思うと、脳が指令を出すという。それにより、起きたい時間をめがけて、起床の前に増えるホルモン(コルチゾール)というものが、いつもより早めに増えるのだそうだ。だから、目覚ましが鳴る前に起きるというのはよくある話だということだった。
 それには納得するし、実際そういう起き方をしたことは少なからずあったが、目覚まし音など聞こえた試しなどはなかった。設定した時刻より数十分、あるいは1時間ぐらい前に、はっと目覚めて、まだ早いと思うことばかりだった。
 それが41分にアラーム音が鳴り、「寝過ごしたかも」と、慌ててアラーム音を止めて時計を見る。すると、時刻は設定より4分前の41分だったのだ。45分に設定したつもりが、間違って40分に設定したのだろうか、そう思い、設定を見るが間違いなく45分になっている。そして、ほどなくアラームが鳴り出していた。


 この本を読んでいなかったら

 勘違いかも、で済ませていたはずだ

 あるいは、幻聴ということが偶然に起きたんだと

 そして、不可解なことはすぐに忘れ去っていた


 不思議なことは誰にも起こり得るだろうが、要は、それをどう受け止めるかの問題なのだ。少し前までの私ならば、疲れていたから錯覚をしたとか、脳の誤作動だとして切り捨ててしまう。そのように、見たもの、聞いたものさえも疑えば、次からは仮にあったとしても、不思議体験は意に介されず、ざるを通る水のように流されていってしまうだろう。
 逆に、受け止め方を少し丁寧にするだけで、いくらでもまた不思議なことが起こりやすくなるのかもしれない。本書は身に起こる不思議な出来事に気付けるヒントを与えてくれる、そんな一冊でもあるのだ。
 同様に、「死」は、無意識に恐れ、遠ざければ遠ざけるほど、さまざまな様相を呈し、恐れとして心に住み着き、残ってしまうものではないだろうか。私が初めに、亡くなった親族の顔を、母や兄のようによく見ようとしなかったのも、心の中にまだ怖さがあったからだと思う。一人になると、込み上げる激しい気持ちもあったが、それを涙で洗い流した後は、肩にのし掛かっていた重たいものからもすっかり解放されていった。心の波が穏やかになれば、本当の「死」に向き合うことができるようになっていく。


昨年のこの季節に、故人の長兄も旅立った


夢のある話 


 
 私は生まれて初めて喪主を務める。ささやかな家族葬ではあるが、斎場との打ち合わせや、住職や親戚などへの連絡を一人で行うのは生まれて初めてのこと。生きていれば一緒に担うはずの人が次々に亡くなり、こんな未熟な私の上にだいぶ前から、みとりをはじめ、すべきことの数々は重たくのし掛かっていた。その重荷をコロナや認知症がさらに倍加させていて、人と寄り添うことで得られたかもしれないヒントや知恵にもあまり恵まれなかった。 そんな自分を少しでも軽くして、前に進めてくれたのが、この『死は存在しない』だったのだ。

 
 23日に胃カメラ、26日に乳がんや骨密度の検査
 
 こうして全ての検査が終わった
 
 無事にどれもパスした
 
 これでもう自分のことにとらわれず
 
 すっきりとした気持ちで故人を送ることができる。

 
 
 ゼロ・ポイント・フィールドは仮説だが、人は死して無ではなく、どんな人の、どんな生き様や意識や想念も、波動としてそこに記憶されていくという。それが科学的に証明しうるということは、今の自分にとってはもうあまり大きなことではなくなった。自分のやるべき事や懸案のことが、滞りなく今日まで進んでこれたからだ。今は、証明うんぬんということよりも、本書の指し示す世界が、「夢のある話じゃないか」、という感慨のほうがずっと大きい。
 自分の死や、他者の死の意味合いが微妙にこれまでとは変わってきた。故人との複雑な関係や、思い通りに運ばなかった看護やみとり、あらゆる不安、絶望、苦悩などを引き連れて「死」と対峙しなければならなかったこのときに、雄大な世界への扉を開けて見せてもらえたことは何という幸運だっただろう。



 ゼロ・ポイント・フィールド

 
 そこに集められた多くの叡智とつながれるように

 
 これからも心して歩んでいこう
 


麻鳥asatoriさん、必要なときに、必要な本に出会えました
 
本当にありがとう。
     
                            2022.12.28

創作の芽に水をやり、光を注ぐ、花を咲かせ、実を育てるまでの日々は楽しいことばかりではありません。読者がたった1人であっても書き続ける強さを学びながら、たった一つの言葉に勇気づけられ、また前を向いて歩き出すのが私たち物書きびとです。