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92 さびしい気持ち 赤塚さんへ

92 さびしい気持ち 赤塚さんへ

……*
ああなんべん理知が教えても
私のさびしさはなおらない
(後略)
「噴火湾(ノクターン)」宮沢賢治
……*……
私はたぶん、とても淋しがり屋なのだと思います。たとえどんなにたくさんお友だちがそばで笑っていてくれても、私は何か深いところで、いつも淋しいのだと思います。誰かと笑っていてもどこかで淋しい、ひとりでいてもやっぱり淋しい。
賢治さんの大切な妹さん「トシ」さんを亡くされたあとに読んだ詩ですが、
赤塚さん私ね、ときどき何度もこの詩のこの一節を思い出します。
ぽつりと口から出るのです。

ああ、なんべん理知が教えても、私のさびしさはなおらない。

そのくせ、一人が好きなのです。一人の時間に、ものを書いたり、考えたり、そして、本を読んだりする時間が、赤塚さん、私にはどうしても必要なのです。一人の時間を愛しているというか、一人でいたいと思うことがあります。ずっとじゃなくて、1日のうちどれだけか。毎日そうです。

旅に出てもそうです。お酒を飲めなくても、みんなと一緒の時間をすごすのはとっても楽しいのです。ものすごく楽しく幸せなのです。それなのに、体の奥のほうから声がするみたいに、夜がふけると「ホテルの部屋に帰って、メルマガや、メールのお返事を書きます」と、それを理由に、ひとりの時間の中へ帰っていこうとするのです。メルマガやメールは本当です。本当だけど、どこかに「ひとり」の時間を求めているのかもしれません。
赤塚さんも書かれていましたね。
「人生の大事なことについて、心ゆくまで考えることができるって素敵だよね。
自分との対話、ひたすら自分と語り合う。
僕は何よりもそんな時間が尊いんだ」赤塚さんも同じように、ひとりのそんな時間を愛しておられるのでしょうか。

さきほどの詩の続きです。
……*……
わたしの感じない違った空間に
いままでここにあった現象がうつる
それはあまりにもさびしいことだ
  (そのさびしいものを死というのだ)
たとえそのちがったきらびやかな空間で
とし子がしずかにわらおうと
わたくしのかなしみにいじけた感情は
どうしてもどこかにかくされたとし子をおもう
……*……
賢治さんは亡くなったトシさんを思い、さびしい気持ちからのがれられない。
私はたぶん少し違います。
私のさびしい気持ちはどこからくるものでしょう。

何人も大切な人を亡くしました。いっぱい泣いて、やっぱり悲しい気持ちにもなりました。でも、亡くなった人は私の一部になる感じがして、いつもそばにいてくれている感じがするようになりました。
賢治さんもトシさんのことをそう思われているのかもしれません。
でも、自分にはもっとクールなところがあるのでしょう。
どこかに、嘆いても仕方がない。亡くなったのだから、会えないことは当たり前。それは仕方がないことだと、どこかで受け止めていて、そんな賢治さんの言う理知な部分があるのでしょうか?
けれど、ひとりの時間にはなぜか亡くなった人と一緒にいられている気もしています。不思議なことです。

そのくせ、私はいつもいつも淋しいのです。深く深く淋しいのです。

ねえ、赤塚さん。淋しいくせにひとりも好き。おかしなものですね。

赤塚さんが書いてくださいました。
・・・・・・・・
かっこちゃんと初めて会った日に、「本当のことだから」に「腹心の友・赤塚さんへ」とサインしてくれました。
みんなにそう書くの?と聞いたら、「いいえ、初めてです」と言ってくれたね。
あれからどれくらい経ったのだろう。
 いまでも、あの瞬間を鮮やかに覚えています。
・・・・・・・・
わたしもそうです。あの瞬間をよく覚えています。なぜそう書こうとしたのか、今となってはわからないけれど、それは、きっとサムシング・グレートのされたこと。神様のおぼしめしというか、そういうことだと今ははっきりとわかります。

リトがオリーと会えたように、会えるようになっていて、かけがえのない存在になるようにしてくださったのでしょうか?
赤塚さんやひろこちゃんのことは、こうして今もこれからもずっとかけがえのない人と思うのです。

そしてこうして、一緒にいろいろと考えながら、毎日を歩んでいけるのはとってもうれしいです。

お友達が、赤塚さんとはどんなふうに連絡を取り合うのですか? と尋ねられました。
必要があれば、電話もするし、LINEもメールもするけれど、めったに連絡をとりあうことはないですと言うと、お友達はびっくりされていました。もっと頻繁にと思われたのでしょうか?

でもそれで大丈夫。腹心の友はそれで大丈夫なのだと思います。
そして、まるで亡くなった人と、ひとりの時間に話をするみたいに。心のどこかでお二人のことをひとりの時間も考えて、感じています。

赤塚さん、友達の海士さんをされていたご兄弟がたくさんとってこられた大きな貝殻を友達がくださいました。
耳に当てると、貝ごとに違った音がするのです。

高い音、低い音、うねる音、風が吹いているような音。
「私の耳は貝の殻 海の響きを懐かしむ」ジャン・コクトーの詩のように、貝殻の奥には小さな海、大きな海、いろいろな海があるのでしょうか?
貝の奥の海は、ひとりの時間にどこか似ています。

赤塚さん、旅から帰ったら、桜はすっかり散って、モナの森は新緑が始まっていました。
またいらしてくださいね。リトも待っています。    
                               かつこ

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