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86 心はどこにあるの? 赤塚さんへ

86 心はどこにあるの? 赤塚さんへ

赤塚さん 朝起きたらまた雪が降っていました。2月に雪は別に不思議なことじゃないけれど、このところ温かい日が続いたので、朝起きたら驚きました。
赤塚さん、お誕生日おめでとうございます。
よく生まれてくださいました。そして、こうして私とこんなに長く文通を続けてくださって、私は赤塚さんが生まれてくださって、心からうれしいです。
そして、昨日いただいたお返事も本当に本当にうれしかったです。

赤塚さんが書かれていました。
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 かっこちゃん、心ってどこにあるのだろう。
ほとんどの人は、胸に手を当てて静かに息を吸い込み目を細める。
まるで、心は胸の内にあるかのように。
 だけど、そこにあるのは心臓だ。
「心は脳にある」と、いう人もある。
脳の命令で体は動くからだろうか。
じゃあ、肉体が滅びて脳が灰になってしまったら、僕らはなくなってしまうの。
 かっこちゃん、僕はそうは思っていない。
身体のどこかに心があるのではなくて、心がすべてとしてある。
内と外との境もなく、すべてと繋がって心はある。
だって、自分のことを他人のように見ている自分の心があるんだから。
宇宙に果てがないように、心にも果てがないように思う。
 その中で、自分のことを自分がどう思うかで、自分が決まる。
・・・・・・・・
赤塚さん、私もそう思うのです。
心って、すべてにある。本当にそう思います。
村上和雄先生が、祈りの遺伝子を見つけたいとおっしゃっておられました。誰かを思い、祈ろうとする遺伝子。宇宙全体とつながろうとする遺伝子があるのだと、村上先生は思っておられたのですね。私たちは本当はずっと祈っている。虫が宇宙のひとつとして、なすべきことをするように、雪が降るように、海が歌うように、私たちも宇宙の中のひとつとして、湧き上がるような思いで生きている。そして、亡くなっても宇宙のひとつであることには変わりはない。

遺伝子というのは、約束。そして、氷砂糖が大きいものも小さいものもみんな同じ形をしているように、大きいものも小さいものもみんな同じ約束の中にある。だから、私たちは約束の中に生きてる。

そう思うと、すごくすごくうれしいです。

そう思ったときにどんなことも当たり前じゃないんだなあと心から思うのです。

私は今年、9月に赤塚さんが連れて行ってくださるイスラエルの旅に行きます。この『魔法の文通』にも書いたけれど、赤塚さんが前の年にバリ島まで来てくださって、ただ「かっこちゃんイスラエルに行こうや」それだけを言うためだけに来てくださって、次の年にイスラエルに行ったら、そのときは非常時で、観光客はほとんどどなたもいなかった。ガイドさんもいなかった。だからバラさんと出会えた。
赤塚さんと私と、みんなが大好きで大好きでならないバラさんに出会えた。出会えるはずがない人でした。でも、だからこそ出会えたのです。
それはきっと約束に書かれていたのだと今は思います。
 そのバラさんが最後に「かっこちゃん、もう僕はどこにも行かないよ。でも、かっこちゃんはまたイスラエルに行っておいで。あなたは人の感じないことを感じられるから、行ってきてみんなに話をするといいよ」と言ってくださいました。
それでも、行こうよ行こう、また一緒に行こうと言っても、「もう僕はどこも行かない。でもかっこちゃんはいっておいで」と言いました。いのちの最期が近いとバラさんは感じておられたのですね。

あの旅で、赤塚さんがいてくださったから、そしてバラさんがいてくださったから、自由の心で感じることができた。人の感じないことを感じられるという意味は私にはまだよくわかりません。でも、自由に考えていいんやでと赤塚さんはいつも言ってくれるのです。

そして、そのイスラエルの旅は宝物になりました。宇宙の約束ごとのことや、脳のしくみや、祈りや、学校の子どもたちのことをいっぱい考えたことが、今の自分を作ってくれているように思うのです。

赤塚さん、私も宇宙の喜ぶことをして生きていたい。
花が咲くように、鳥が飛ぶように、海がうたうように、あなたといたいよ。

またね、赤塚さん。赤塚さんのお誕生日を宇宙全部が喜んでいるよ。
かつこ

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