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79 「いつも喜んでいる、ということ」かっこちゃんへ

 いったいどれくらいのいのちが、突然この世から次の世界に移されていくのだろう。
かっこちゃん、お正月がぜんぜんおめでたくないよ。
死者の数が毎日増えてゆく。
100人死亡・・・1,000人死亡・・・
かっこちゃん、100人が死ぬんじゃないよね
一つの死が、100個、1000個同時に起きてるんだ。
誰のいのちも、唯一無二。
何十、何百の死があるんじゃない。

 北陸の地震、羽田空港で飛行機衝突炎上、大好きな小倉の街が燃え、終わりの見えないユダヤとパレスチナの戦闘・・・TVは、悲しいニュースばかり流し続ける。
 でも、少しばかり深刻な気持ちになった次の瞬間にはお笑い番組が始まる。
何事もなかったように・・・みんな笑っている。

 まどみちおさんの詩を繰り返し読んでいます。

「れんしゅう

今日も死を見送っている
生まれては立ち去っていく今日の死を
自転公転を続けるこの地球上の
すべての生き物が 生まれたばかりの
今日の死を毎日見送りつづけている

なぜなのだろう
「今日」の「死」という
とりかえしのつかない大事がまるで
なんでもない「当たり前事」のように毎日
毎日くりかえされるのは つまりそれは
ボクらがボクらじしんの死をむかえる日に
あわてふためかないようにとあの
やさしい天がそのれんしゅうをつづけて
くださっているのだと気づかぬバカは
まあこのよにはいないだろうということか
・・・・・・・・」

 ぼくが、ぼく自身の死を迎えた時に慌てふためくことがないように、
天がれんしゅうさせてくれているのだと思うとき、ぼくのなかの声が聴こえる。
「その順番はいつくるのかわからないのだから、今日という日をよりよく生きよう」という言葉です。

 聖書の中で、数えきれないくらい繰り返して読んでいるパウロ先生の手紙です。

「兄弟たちよ。
あなたがたにお勧めする。
怠惰なものを戒め、小心な者を励まし、
弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。

 だれも悪をもって悪に報いないように心がけ、
お互いに、またみんなに対して、いつも善を追い求めなさい。

 いつも喜んでいなさい。

 絶えず祈っていなさい。

 すべてのことについて、感謝しなさい。

これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである」

 かっこちゃん、「いつも喜んでいなさい」ってどんなことだろう。
とても喜べるような状況でなくても「いつも」喜んでいなさいって、神さまはどうして言われるのか。
 
 かっこちゃんは書いてくれたね。
「今日という日を精一杯生きよう。サムシング・グレートはこんなときも、だいじょうぶだよと教えてくれる。
私は私のできることをしよう。私たちの中には「あなたが悲しいと私も悲しい。あなたがうれしいと私がうれしい」と言う心があるよ。」って。

 かっこちゃん、以前の文通の中で、僕は、かっこちゃんに
「この世は苦しみだ」と書いたことがあったね。
それは、僕が若いころ仏教の勉強をした時にそう教えられたからなんだ。
仏陀が大好きで、30代にインドにも5回も行ったよ。
「この世は苦しみだ」と、仏陀が言ったとされていて、僕もそれを信じた。

生まれてくる苦しみ、老いる苦しみ、病気になって死んでゆく苦しみ。
逢いたい人に逢えないのは苦しみ。
会いたくない人に会うのも苦しみ。
欲しいものが手に入らないのは苦しみ。
本能が盛んで制御できないのは苦しみ。

すると、かっこちゃんはこんな風に返事をくれたね。

「脳の勉強をしていたとき、息ができなくなったときや、痛みが伴うとき、
つらくてたまらないときには、脳内モルヒネが出ると知りました。
発作のときに、温かくて気持ちがいいと教えてくれた男の子にも、
亡くなるときの父にも、きっと大きな宇宙が守ってくれて、いつもそばにいてくださったのかなと思うのです。
 私たちはいつも守られている。
 愛されている。
赤ちゃんが生まれるときも、長い産道を通って息ができないようなときも、
きっと大きな愛に抱かれている。
 だから、私は、この世は『喜び』だと思います。

生まれてくる喜び、老いる喜び、病気になり、死んでゆくとき幸せ。
会いたい人に会いたいけど、会えたとき100倍うれしい喜び。
会いたくない人でも後できっと会えてよかったなあと気がつく喜び。
欲しいものが手に入らないでも大丈夫と思える喜び。
本能が盛んで制御できなくても、湧きあがる思いで生きていける喜び。

この世が喜びでいっぱいだと教えてくれたのは、そうだ、赤塚さん、あなたです。
  ありがとう赤塚さん。

今日も幸せでいっぱいです。
また会える日を楽しみにしています。きっと今日も明日もいい日です。」

 かっこちゃんは、そう書いてくれました。
仏教の勉強をして、四苦八苦から解放されるための苦集滅道や八正道を一所懸命に学んでいたから、何度も読み返して、そして、反芻したよ。
この世は「喜び」なんだろうか・・・

 そうだ、お釈迦さまは一切何も書き残していない。
弟子たちが聞いたことを元にして経典を作って、いつしか「仏教」という宗教ができた。
イエスが、何も書いていないのと同じだね。
きっと、お釈迦さまもイエスも宗教の教祖になりたかったわけじゃない。

 この世は「喜び」なんだ、と教えてくれたんだ。

かっこちゃんは、人の痛みを見て見ないふりができない人。
人が痛いときは、本当に自分も痛くなる。
なのに「何もできない、自分事しかできない」と、かっこちゃんは言う。
そうやって痛みや哀しみに寄り添っているかっこちゃんだからこそ、
村上和雄先生は託したんだ。
サムシンググレートが願うことを、伝え、広めてほしいと。

 かっこちゃん、
僕は思う、地震や津波、台風などの自然の脅威と共に何千年も生きてきた日本人の遺伝子に書き込まれてきた美しい在り方を。
 海外では被災地に救援物資を届けるときに、軍隊が出動する。
それは、輸送するのに武器をもっていかなければ危険なんだ。
輸送機が到着したらまず銃を持った兵士が物資を護らなければ、暴動が起きて、略奪される。
 お店も襲われ、食料品をはじめあらゆる物資が盗られる。

でもね、僕たちの国では暴動は起きない。略奪もない。
東日本大震災のときに救援物資を運んでくれた海外のボランティアの人たちが、寒さに震えるおばあさんにおにぎりを差し出したら、
「わたしは大丈夫だから、困っている人にあげてください」と言われ、涙が止まらなかったって。 キリストを見たって。

 遺伝子に書かれた暗号がONになって、本来の日本人の美しい姿が蘇ることを祈ります。

宗教戦争や、人種差別が終らない世界の中で、日本が世界の希望となりますように。
神さまの願いは僕たち人間にはわからないけれど、絶えず祈っていよう。

 すべてに感謝できるその日まで。

さあ、かっこちゃん
四国で会えるね。

 ウクレレ持っていくよ。

                     赤塚高仁

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