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27 時は流れているけれど 赤塚さんへ

27 時は流れているけれど 赤塚さんへ

赤塚さん お手紙ありがとうございます。
「書きかけの手紙」なんて素敵な言葉でしょう。「書きかけの手紙」にはロマンがありますね。その手紙はいったい相手に届いたのか? 何十年も届かないままだったのか。
けれど、そこにはきっと溢れる思いがある…なんて、一冊の本が書けそうです。

わたしも時間のことをよく考えます。
ジャネーの法則というのを昔知りました。
それは
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〈ジャネーの法則〉は、19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネが発案し、甥の心理学者・ピエール・ジャネの著書において紹介された法則で「主観的に記憶される年月の長さは年少者にはより長く、年長者にはより短く感じられる」という現象を、心理学的に説明したものです。〈ジャネーの法則〉は「生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する(年齢に反比例する)」
生きてきた年数によって一年の相対的な長さがどんどん小さくなることによって、時間が早く感じるというわけ。
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だそうです。でも、私はそうかなあと思うことがあります。
私は、へいぜいの何気ない日より、たとえば赤塚さんや仲間たちと出かけたイスラエルの旅の時間は1日でびっくりするほどいろいろなことができて、あっという間のようでもあるけど、やっぱり長く感じると思うのです。
京都の二日間もすごくいろんなことをしました。朝、リカちゃんと歩いた京都のまちにはいろんな珍しいものがあって、古い自転車を看板がわりにしているお店は自転車屋さんではなくて、珈琲屋さんで、たくさんの珈琲の道具が売られていて、まだ開いていないから窓からじーっと中を見たり、竹がいっぱい並んでいるお店の前には茶杓だとか七味を入れる道具とかが三百円くらいで売られていて、私は、これはどうやって作ったのかな、私でも作れるかなと見ていたりして、そして出路ちゃんのお店について、みんなで練習をしたり、お店の雑貨やお洋服を見てまわって、そのあと赤塚さんと鳩居堂を探しに行って、そうそうみんなで京都が一望できるホテルのレストランで美味しいお昼をいただいて、おしゃべりして、それから、ライブの会場に行ってリハーサルが始まって、それからまた長く楽しい時間があって、ホテルに帰ったらシンデレラタイムになりそうでした。
いったいどれくらいたくさんのことが1日でできたのでしょう。そんなときはやっぱり驚くほど長く感じます。私はこれまで、「ワクワク心がいっぱい動いた」時間は普段の生活の時間より長く感じるのかなあって考えました。小さいときは、はじめてのことばかりで、興味津々でだから長く感じたのかなあって。これは、ジャネーの法則ではなくて、かっこの法則です。
でもね、赤塚さんがおっしゃることもやっぱりいつも考えるのです。
時間はあってないようなものだなあって。
たとえば、すごく悲しいことがあったら、そうですね、どなたか大切な方が亡くなったりとか、失恋とか、お仕事の移動(転勤)とか、そんなときはやっぱりいっぱい泣けます。
でも、振り返ればいつも、今の自分に、あの失恋やあの転勤やいろいろなできごとは、必要で、私のようなものでも、サムシング・グレートの望んでくださっていたことなのかなあと思たりします。そして、時間はいつも私たちの味方ですね。辛いことも悲しいことも、いつか日常の中に溶け込んで、私たちはいつか笑えるから。

赤塚さん、私にとっても伊勢はとても大切な場所です。それは赤塚さんが伊勢神宮の近くに生まれてくださったことも大きいです。
1/4の奇跡の映画も、伊勢から始まりましたね。そして先日伊勢神宮で道具の展覧会があって、20年ごとに遷宮だけでなくて、道具まですべてが新しく作り直されると知り、びっくりしました。それは大変な労力と時間と費用がかかります。でも20年ごとに作り直さなければ、大切なものが失われるのだそうです。材料が知らないあいだになくなったり、作り方を忘れてしまったりということがいっぱいあるそうです。
たとえば、朱鷺の羽を使った道具がありました。大きな努力で今、また野生の朱鷺が大空を飛び回っていますね。そのほかにも染色のときに失われそうになっている材料も、この20年ごとの制作があるからこそ、かろうじて残っているものっていっぱいあるそうです。
今、しないと「間に合わなくなる」。
赤塚さん、私はそこにも時の流れや、サムシング・グレートの計らいを感じるんです。伊勢神宮が、日本の文化を残し続けている。ものすごい労力と時間と費用が必要なことだから、失われそうになるけれど、それでもそうすることで、大きな役割を担っていることは、ただお人の考えることだけではない気がするのです。
そして、そもそもが、人の考えること、私の考えること、赤塚さんが考えることが、サムシング・グレートの魂が考えることなのか、私たちが考えていることなのか、両方なのか、そういうことももうわからない。でもすべてが、時の流れも人の行動も、宇宙の流れも何もかもをすべてご存じのサムシング・グレートの手の上で、そこが一点から始まり、その一点にすべてがあって、その一点が全てを作っているけれど、すべてのもののなかにその一点があること。そこに尽きるのかもしれません。赤塚さんが伊勢で生まれられたのも、大切なこと。サムシング・グレートのはからいですね。
そんな手のひらの上で、私は赤塚さんに会えました。それが本当にしあわせで誇りです。

赤塚さん、モナの森はすっかり雪景色です。雪はとっても美しいです。冬のモナの森にもいつかいらしてくださいね。温かい薪ストーブをたいてお待ちしています。
                                     かつこ

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