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78 いのち 赤塚さんへ

赤塚さん、元旦の地震は、今、言葉でなんて表現したらいいかわからないようなことでした。いろいろなものが聞いたこともない軋むような音を立てて、壁や空気や窓がぐにゃりと曲がっているように見えました。
緊急を知らせるアラームが大きな音をたてて、何かを知らせてくれたあとだったから、何事かが起きたとわかったけれど、これが地震だと思い至るまで少し時間がかかりました。
ただ、心臓が早鐘のようになって、夢中でリトを抱き抱えていました。
スローモーションのように、周りの全てが揺れている様子が見えて、遠いところでドーンと大きな音がしました。
急に私、思ったのです。私がいのちを終えることがあって、それはこんなふうに、ふと訪れるのだろうかとなんだかそんなことを急に思ったのです。
赤塚さん、そのときに、私、思い出したことがありました。

赤塚さん、それは、まどみちおさんの『いのちのうた』という本の中の「れんしゅう」という詩のことでした。
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れんしゅう

今日も死を見送っている
生まれては立ち去っていく今日の死を
自転公転を続けるこの地球上の
すべての生き物が 生まれたばかりの
今日の死を毎日見送りつづけている

なぜなのだろう
「今日」の「死」という
とりかえしのつかない大事がまるで
なんでもない「当たり前事」のように毎日
毎日くりかえされるのは つまりそれは
ボクらがボクらじしんの死をむかえる日に
あわてふためかないようにとあの
やさしい天がそのれんしゅうをつづけて
くださっているのだと気づかぬバカは
まあこのよにはいないだろうということか
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死を当たり前事には、とても思えないのに、私はあの瞬間になぜかこの詩を急に思い出したのです。
もちろん、この詩は今こんなときに、持ち出すべきではないかもしれません。
たくさんの方の大切ないのちが失われていて、それこそ、おひとりおひとりの命のことはとりかえしのつかない大事なのです。私、その方のいのちのお話しではないのです。そんなこと言いたいのじゃないのです。れんしゅうだなんて、とてもとても思えるはずもないのです。
それなのに、ごめんなさい。
はじめての大きな地震の中で、ふと思った私の心を、ただどうしても書き留めておきたかったし、赤塚さんやみなさんに聞いてもらいたかったのです。
まどみちおさんは、いつか来る死をどのように受け止めたらいいのだろうとずっと考えてこの詩を書いたのでしょうか?
私は自分の死をこんなに間近に感じたのがはじめてだったのかもしれません。

大きな揺れは二度あって、いろいろなものが落ちたり、ヒビが入ったりしたりはしたけど、私も家族もリトもだいじょうぶです。
けれど、地震の被害はとても大きくて、いろいろな方が、お家が潰れてしまったり、そして、命を落とされた方もたくさんおられます。
夜も昼もずっと揺れていて、私はこんなときも、本当にドキドキして、おろおろしているばかりなのに、木南一志さんがトラックを走らせてくださって、「地震発生から24時間で緊急支援物資のトラックが出発するのは阪神淡路大震災以来です」と書いてくださってありました。てんつくマンさんや川島こうちゃんも石川へ向かってくださっているそうです。たくさんの友人が何かあったら駆けつけるから言ってねと連絡をくださいました。

私は何ができるだろうと石川にいながらなにもできていない私がいます。今日になって、車椅子で一人暮らしをしている友人を訪ねて、落ちたものを片付けて安全なように工夫したり、母の家の後片付けをしたりして、また戻ってきました。結局は自分ごとしかしていない私です。

テレビをつけたら、飛行機が燃えていて、びっくりしました。乗客・乗員379名脱出とテレビには書いてあって、何が起きたのかわからないのですが、少し間違えばたくさんのいのちが失われたかもしれません。

私は呆然としているのかもしれません。
まだ何が起きたのかわからなくてリトと一緒に震えてばかりいるのです。でも、私のできることをしたいです。県外のたくさんの方が心を寄せてくださっているのに、震えてばかりいるわけにはいきません。

この何年も、大雨や地震や災害や、そして戦争も起きて、赤塚さん毎日みんなで明るく生きているけど、「いつどんなことになるかわからないね」という言葉をよく聞くようになりました。

そんなときに勇気をいただくのは、赤塚さんと前に一緒に話しあった「今日という日をよりよく生きよう」という言葉です。

ねえ、赤塚さん、そうだよね。今日という日を精一杯生きよう。サムシング・グレートはこんなときも、だいじょうぶだよと教えてくれる。
私は私のできることをしよう。私たちの中には「あなたが悲しいと私も悲しい。あなたがうれしいと私がうれしい」と言う心があるよ。

甥っ子が、お嫁さんの実家へ向かおうとして、途中で道が閉鎖されたりして帰れなくなったのです。そして電話も通じなくて、とても心配でした。
妹からのラインで
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さっき電話があって、昨日はガソリンが少なかったから、車のエンジンをつけたり消したりして、みんなで持ってきた洋服を重ね着して暖を取ってたらしいわ。
援助に来てくれた人がガソリンを分けてくれたらしくて、それで帰れてるって。
電話も全く知らない人が貸してくれたって。
よかったわ。
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と書いてありました。ソフトバンクが通じない場所だったようです。でもみんな本当に優しいです。全く知らない人が目の前の人のことを思う心。
赤塚さん、私たちは死が訪れるまでしか生きることはできないけど、生きている間、目の前の人がうれしいと私もうれしいということを忘れずに、毎日精一杯生きるよ。

赤塚さん、聞いてくださってありがとう。      
かつこ

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