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85 宇宙のひとつでいよう かっこちゃんへ

85 宇宙のひとつでいよう

  かっこちゃん、お便りありがとう。
ヨルダン~イスラエルの旅から帰ってすぐに広島で講演をして3泊家で過ごした後、
今は熊本にいます。
阿蘇の風の丘、大野勝彦美術館で毎月開催してきた聖書塾の最終講義なのです。
ずっと旅から旅への渡り鳥みたいだね。

 人生は旅だ。
日本各地、世界のあちらこちら、そんな旅も嬉しい。
でも、心の旅はもっと素敵だね。
無限に広がる大宇宙すらも飲み込んでしまうほど、大きくて広くて深い私の心。
そんな心の中を旅してゆく。
僕は、ずっと心の旅をしています。
 きっと、この肉体が滅びても、この旅は終わらないと思う。
だって、体は僕の乗り物であって、僕はそのパイロット。
身体から出て、また新しいフライトが始まるんだよ。

 かっこちゃん、心ってどこにあるのだろう。
ほとんどの人は、胸に手を当てて静かに息を吸い込み目を細める。
まるで、心は胸の内にあるかのように。
 だけど、そこにあるのは心臓だ。
「心は脳にある」と、いう人もある。
脳の命令で体は動くからだろうか。
じゃあ、肉体が滅びて脳が灰になってしまったら、僕らはなくなってしまうの。

 かっこちゃん、僕はそうは思っていない。
身体のどこかに心があるのではなくて、心がすべてとしてある。
内と外との境もなく、すべてと繋がって心はある。
だって、自分のことを他人のように見ている自分の心があるんだから。
宇宙に果てがないように、心にも果てがないように思う。
 その中で、自分のことを自分がどう思うかで、自分が決まる。

たとえば、「生きているのは素晴らしい」と思う人がいる。
その隣で、「生きることは虚しい」と思う人もいる。
それは、それぞれの人が、思いたいように思っているということ。
つまり、やりたいことをやりたいようにやっているということだ。
そうすることが自分に良いことだと思っているからそうしている。
悪いと思ったらやらないものね。

 だけど、僕は今、65歳を目前にしてこう思う。

「生きることが素晴らしいとか、虚しいとか、思うことがどうしてできるか。
 それがわからない。
 気がついたら始まってしまっていた僕の人生。
 僕には、僕が生きているということがいまもどういうことかわからない。
 それどころか、僕はいったい誰なのかもわからない。
 それなのに、今、この瞬間生かされているってなんて素晴らしいのだろう。
 この宇宙のひとつでいる、唯一無二の僕という存在。
 このかけがえのなさ。まさに奇跡さ。すごい。」って。

 だから、あと残りわずかなこの世の旅路をいつも喜んで歩いていたい。
絶えず祈って見えない世界とつながっていたい。
そして、すべてに感謝したい。
いったい誰がこの体を生きているのか探しながら。
だって、呼吸も心臓も僕が知ってる自分が動かしていない。
自分が生きているわけではないんだ。

 科学が発達してさまざまなことがわかってきたね。
宇宙が始まったビッグバンも計算で説明できるそうだし、遺伝子の暗号も解読された。
科学は、見えるものを説明してくれます。
でも、説明は答えではありません。
あくまでも説明です。
ビッグバンが説明できても、誰がなんのために宇宙を創ろうとしたのかは科学には語れません。
遺伝子暗号も読み解けたけれど、誰が何のために書いたのかはわからない。
だから、世界で初めてその暗号が解読できたスーパーサイエンティスト村上和雄先生は、
暗号を書いた存在のことを「サムシンググレート」と呼ばれましたね。

 かっこちゃん、僕はイスラエルで考えた。
ユダヤ人が生み出した「聖書」の一番最初、創世記一章一節
「はじめに、神は天と地を創造された」
唯一絶対の神さまが、宇宙の外側にいて泥をこねて人間を作ったって、まるでギャグマンガのような話だけれど、この一文から始まる聖書が現代社会を造ったと言っても過言ではないよね。
 科学が生まれる遥か大昔、人類誕生以来、言葉を発明し所有して「自分」を自覚した時からずっと人は問いかけ続けてきました。

「なぜ、宇宙があって、私がいるのか」

「わたしは、どこからきて、どこへいくのか」

「わたしは誰」

その問いに答えようと見えない世界に向かっていったのは宗教です。
宗教という字は、「宇宙を示す教え」と書いています。
きっと、仏陀もイエスもその謎の正体に触れて気づいたのでしょう。
自分がどうして「今」「この」に存在するのか。
その気づきは決して言葉では表すことはできません。
 言葉は、真理の近くまでゆける乗り物だとしても、真理を表すことができないからです。
「唯一絶対」と言葉で書いても、それは唯一ではないのです。
その「一」を知るために「二」やそれ以外の比べるものがある。
それは、本当の「ひとつ」じゃない。

 比べるもののないたった一つの世界。

僕たちは、そこからやってきて、やがてそこに帰ってゆく・・・そんな気がする。

「月を指さす指は月じゃない。」
変なこと言ってるみたいだけど、真理に触れた人が気づきを言葉にして、
真理を指し示しても、多くの人はその人を聖者にしたり教祖にして月を見ないで指を見る。
やがて、教祖の言葉を経典にして教義ができて宗教になる。
 世界でずっと昔から終わらない宗教の戦争をみていると、人は時代が変わってもちっとも変わらないなぁと思う。

 だからこそ、時代が変わっても変わらない本当のことを知りたいと思うんだ。
かっこちゃん、前の便りに書いてくれたね。
道元禅師の言葉。
「宇宙は一体で、すべてが、ただひとつの命である。海も山も石も花も空も月の光も何もかもが明珠の光で構成されている。宇宙は一体であるけれど、石も風も、人もすべてが宇宙そのものである。その一つ一つはいつも絶えず向上しようとしている。たとえば、悪と思えるようなことがあっても、実は宇宙が働いていてそれがなされている。宇宙はいつもそこにとどまるものでなく、すべてが良い方向へ向かっている。一瞬一瞬が最善である。人が行うことも、何事も自分の意志で行われているのではなく、明珠によって行われている。だから何も思い煩うことはない。宇宙とはそういうものである」

 まさにそうだ!と拍手した。
だから、僕らは宇宙の差し出してくれるこの一瞬を喜んで承ろう。
だって、宇宙は完璧なんだもの。
人が作った「社会」も「資本主義」も「社会主義」も「宗教」もすべて実体のない観念。
その観念に縛られて苦しむのはやっぱり間違ってる。

 宇宙が善ならば、いや最善ならば、宇宙の風に乗ればいい。
宇宙の喜ぶことをして生きていよう。
僕もかっこちゃんもみんなみんな宇宙の一つなのだから。

 宇宙とはそういうものだからね。

    またね、かっこちゃん。

 

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