マイケル・アーデン演出のガイズ&ドールズがとてもよかった話

昨日、博多座でみてきて、具体的にどう良かったか残しておきたいな、と思って書き始めました。ネタバレ100%でいくので、これから観に行く予定がある人は、観終わってから読んでください。また、1回しか観てないし、プログラム買い忘れたので、間違ってるところあったら教えてください。

「マイケル・アーデンがガイズ&ドールズを演出する、帝劇と博多座で。」
と初めて聞いた時、みなさんどう思いましたか?自分は
「ビックネームだ!すごい!!…けど、なんでそんな古い作品で?
 東京と福岡だけなの?大阪の梅田芸術劇場がないのはなぜ?」
って感じだったのですが、観に行って納得、いろんな意味で大きなプロダクションでした。

で、最初の疑問ですが、あくまでも推測ですが、
なんでガイズ&ドールズ?→過去の人気作品として東宝がやりたかった。
なんで梅田芸術劇場がない?→大型セットを動かせる舞台機構がなかった。
それを何故マイケル・アーデンで?→不明。でも期待通りのものはできた。
といった感じです。

また、マイケル・アーデンについて、私の元々の印象は、彼の演出作品で、実際にみたことがあるのはデフウェスト・シアーター版「春のめざめ」だけなのですが、テーマやビジュアルで斬新なものを表現をするというより、緻密に構成を組み立てることで作品全体としての世界観をつくりあげるのが上手い、って感じだったのですが、今回もそれが活きてる感じでした。

ってわけで、ここからは、演出とか舞台セットを中心に書いてきます。

まず劇場に入ると、舞台上には半円形に切り抜かれた額縁のようなものがあり、赤い緞帳がかかっているのが目に入ります。さらに額縁の両脇の舞台袖には、スタンドライトが置かれた小さなテーブルが3個ずつ配置されています。また、舞台は少しだけ半円形にオーケストラピット側にはみ出す形になっていて、蓋が少しずれたマンホールがあるのが見えます。
なるほどねー、昔の劇場風ってことかしら?あのテーブルはナイトクラブのシーン用で、マンホールは下水道への入口かな?などとワクワクしながら、
開演を待っていると、まだ完全に暗くなる前に、前奏曲がはじまります。
あれ?少し明かりを残した状態で?ここから何か仕掛けがあるのか?と気をひかれたタイミングで、緞帳が左右に開き、そこには薄いスクリーンがあり、客席側からカラカラカラって音とともに映写機がまわりはじめ、古いミュージカル映画のようにタイトルや出演者などの名前が流れはじめます。

この映画風の字幕は、主演だけでなくアンサンブルやスタッフの名前も流れるのですが、その間にだんだんと薄いスクリーンの裏の照明が明るくなり、薄いスクリーンの後ろが見えるようになっていきます。後ろには、ニューヨークの街角があって、地下鉄の入口(下から人がのぼってくる!)や2階建ての建物のセットがあり、そこを古き良き時代のスーツとかワンピースをきた通行人が行き交ってるのが、スクリーン越しに見えるため、映画風の字幕に飽きさせず、前奏曲の音楽による高揚感と、これからはじまるであろう物語の期待感が、ぐぐぐーんと相乗効果で高まっていく感じが、もうなんとも素晴らしくて…そうそう、前奏曲っていうのは、ドキドキわくわくしながら物語のはじまりを待つものよねって感じの、すばらしいオープニングでした。

前奏曲が終わると、手前の薄いスクリーンは上にあがって、左右にかかってた緞帳は完全になくなり、映画からミュージカルの世界になりますが、丸いアーチ状の額縁はずっと残ったままで、この額縁が、ともすれば単に古くさいだけになりがちな「古き良きミュージカル」な世界観を、作り物のお芝居の世界をみていると常に意識させ、昔の価値観に対する違和感を緩和してくれる要素になった…のではないかな?と思いました。

緞帳が完全に開くと、スクリーン越しに見えた地下鉄の入口と2階建ての建物は、まわり盆の上にあることがわかり、ほっほー、これは後から場面転換で回るやつだね…期待が高まる!とわくわくしてると、街中を行き交う人のシーンが続いていき、女性アンサンブルがトゥシューズを履いてる人がいるな、あ!マンホールから人が!みたいなわくわくを、広い舞台をめいいっぱいつかって表現していて、最初の映画風からミュージカルにトーンが変わっていく感じが、どこまでも上手くてすごかったです。

で、まぁそんな雰囲気で、お話がはじまって、主要登場人物がでてきて話が進行していくのですが、その登場する方向とか、はける方向などが、とてもよく練られていて、更に後ろや脇ではアンサンブルがちょっと会話をしたりタバコを吸ってたりなどの小芝居をしてて、昔のニューヨークの街角でのお話っぽい空気がよくでていました。
大きな劇場でミュージカルやお芝居をやると、元々そんな大きくない舞台でやるための演出だと間延びした感じになりがちですが、逆に今回の演出は、広くて奥行きのある大きな舞台だからこそ出来ることが、たくさん詰め込んであって、これはマイケル・アーデンも演出してて楽しかったのではないかなー?と思ったりしました。

その、大きな舞台をいかした演出の特徴としては、まずなんといっても、セットの大きさ、そしてそのセットが回り盆にのってるところですね。ブロードウェイやウェストエンド演出のメリーポピンズのバンクス家並のサイズの建物が、回り盆にのっています。
建物は開始時点で、1階部分に花屋+ダイナー、2階に洋服屋があり、屋上に看板があるっぽいまでは見えるのですが、盆がまわると建物裏がナイトクラブの宣伝の絵がある壁と電話ボックスになり、話が進行していくとダイナーの横に救世軍教会の入口があり、入口のドアを開けて人が入ると、盆がまわりながら建物全体が上にあがってきて、地下に救世軍教会がでてくる、といった場面転換がおこなわれます。
まるまる1フロア分が地下にあったのか…とはいえメリーポピンズでは地下も屋根裏も屋根もあったしな、とか思ってると、今度は建物の2階部分が1階の高さになり、屋上の看板の裏で歌うシーンがでてきます。
そこも使うんだね、すごいね…でも、これべつに屋上にこだわる必要もないような?…場面転換としては美しいけど、とか思ってると、建物が完全に地下にもぐります。
うわー、いま3フロア分まるごと奈落にあるんだ、本当にブロードウェイのメリーポピンズ並だわ…と驚いてると、屋上の看板を人力でぐるっとまわすと、それは空港の看板になっていました。
さらに、盆がまわり地下鉄の階段部分がせりあがってきて、階段部分が飛行機のタラップになっている…みたいにテンポよく場面転換がされていきます。と、ここまで書いてて気付いたのですが、全体を通して一度も暗転がありませんでしたね。

話を元に戻しますが、飛行機のタラップは良いけど、飛行機本体は?書き割りかな?と思ってると、最初に使った薄いスクリーンに飛行機を投影して、ハバナに移動を表現します。ハバナでは建物のセットがなくなった広い空間を利用した酒場での群舞のシーンが見応えあってよかったです。
また、サラとスカイが良い雰囲気になる所は、ハバナにいる間のシーンとして改変されており、額縁で区切ったところにハバナの街角をつくり、舞台の前にでてきて、オーケストラピットに足をいれて腰掛けたりと、人海戦術に頼って大味になりすぎないよう、ラブストーリーとしての雰囲気も大事にしていたように思います。

また、話の流れとしては前後しますが、額縁の使い方は、他にも、ナイトクラブのシーンで、店内の舞台であることや、街角ではなく室内であることの演出にも使われてました。シーンごとのメリハリをつけつつ、たぶん裏で場面転換をやったりしてたのではないかと思います。
そんな感じで、半円形の額縁はずっとある状態なのかなー?と思いながらみていると、2幕で下水道のシーンに切り替わる時、このタイミングで舞台上と袖に収納されます。(ゲネプロの映像をみると、このシーンでも額縁は映ってるので、帝劇の途中で変わったか、博多座で変更になった?)あー、確かに下水道には古き良き雰囲気はいらないし、ちょうど半円形なだけに土管の中か?って感じになるので微妙よな…くらいの気持ちでみてたら、左右から土管のセット、後ろに仮設の足場風のセットがでてきて、1幕で建物が完全になくなったハバナのシーン以上に、広い舞台を奥側いっぱいまで使ったダイナミックなダンスシーンがはじまります。

1幕の見せ場を超えてくる2幕の見せ場とは素晴らしいな!と感動していると、イカサマ同然のシーンは一転、ぎゅっと小さい動きを舞台中央でおこない、緊迫感を表現しているようでした。しかし、同時に、アンサンブルの動きで変化をつけて、遠くからみてもわかりやすく、緩急の付け方めちゃくちゃ上手かったです。
また、そもそも、このシーンはギャングの意地のはりあいって無益なことですが、ここまでの浦井健治演じるネイサンのアホっぽさと人の良い感じの演技の効果からか、人情味ゆえに助けてやったみたいな雰囲気が漂わせてて、なんか上手いことやったな…って納まりを見せていました。
そんな混沌とした状況で、スカイがセットの土管から颯爽と登場してネイサンを助け、一番有名なLuck Be aLadyを、プリンス井上芳雄の最大の見せ場だぜって感じで大変かっこよく歌い上げ、盛り上がって欲しいところで、期待通りに大盛り上がりで大変よかったです。

続いての2番目に有名なSit Down, You're Rockin' the Boatのシーンは、また半円形の額縁がもどってきて、建物のセットの地下になるのですが、最初は小さくぎゅっと四角く椅子を並べて集まったところからはじまって、そうよね…ここの振付は椅子に座って手をバタバタは入れたいし、そうなるとある程度は密集する必要があるので、舞台全体を使っては難しいだろうね…と思ってたら、要所要所は密集しつつも、額縁の幅をめいいっぱい使った振付になっていて、観客がみたい物と舞台の大きさにあった振付を両立してて素晴らしかったです。

次のサラとアデレイドの曲も、なんかシスターフッドっぽさが強く感じられて、あら?古風な作品をベタな感じで演出してると思ってたけど、わりと現代的な演出であったのかしら?みたいに感じはじめたところに、そのままエンディングになり、最後もまた円形の額縁に薄いスクリーンがかかって、また映画風にもどって、ああそうだ…むかしむかしのお話でしたね、って感じで終わりました。

この「これは、あくまでも昔のお話ですよ。」って雰囲気の出し方が、
全体を通して、なんとも絶妙で、お話全体の内容を変更しないことのアリバイと感じなくもないのですが、これまで宝塚や東宝の公演をみて好きだった作品のファンにとっては大事なことを守りつつ、でも今やるならニュアンスだけでも少し現代風にってことを上手く隠せてた…んじゃないかな?
トランスセクシャルの役を足したり男女反転したりとか風刺をいれたりではなく、ナイトクラブのシーンの衣装をお色気たっぷりではなくコミカルな要素を入れてみたり、ギャング達を全体的にコミカルに書くことでToxic masculinityを感じにくくしているとか…あと、たぶん台詞もかなりカットしたり、表現を変えたりしてるんじゃないかと思います。
でも、全体のイメージとしては、古い、昔のままのお話をみた、って気分で、なるほどこれが演出のちからなのね…と唸らされる公演でした。

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