ナショナルシアターライブを語る会のアレルヤ!回まとめ

私なりに、当日会場ででた、感想とか解釈とか質問回答などについて、
時系列ではなく、自分で興味をもったテーマごとにまとめてみました。

■コリンとジョーの親子関係
・自転車で赤いサイクルジャージを着ていくことで、心の鎧をまとって故郷に帰るといった心理があったのでは?
・ジョーは息子の事をゲイだとわかっているが、ゲイと認めたくないのではないか?なので、冒頭のシーンのとき、息子ではなくゲイっぽい男が来たって反応をした?
・サッチャーにより分断された親子関係、和解できなかったビリーエリオット。炭鉱が閉鎖されたことにより、圧倒的な「負け」を経験した地域。コリンは、炭鉱夫になれないので、あの道にすすまざるえなかった、とも解釈できる。
・ジョーは学校の成績がよかったコリンを誇りに思っていることが、職業実習生に対して息子を自慢する様子からうかがえるのではないか?
・ジョーが死ぬ前に電話をかけた時、出世した息子を誇らしく思う感じと、仕事中に親から電話がかかってきて、さっさと切ってしまう息子が現代的。
・「上演中は携帯電話の電源を切りましょう」

■職業実習生の人物像は、わからない?
・不誠実な人物も誠実に描く脚本・演出だが、彼だけは何を考えているのかわからない。
・ぱっと見はジャージを着た田舎の愚かな青年と思われるが、台詞で何回もGCSE試験に1科目うかっている事が繰り返されるのがポイントだと思う。
・彼は炭鉱があれば炭鉱夫になれたが、別の職業を探さなければいけない。
・ジョーに尿をかけた理由は、息子自慢でマウンティングされたことが引き金であり、虐げられている者が弱いものに対して虐待する様子だと感じた。
・…みたいな意見の後「彼は何も考えていないのと思う」との発言も。

■「頼まれて殺したのか」問題
・「頼まれていないのはモーズリー婦人まで」って台詞があるが、その解釈が難しい。
・モーズリー婦人は含まれる説=「私の家なのよ」と叫ぶので、殺すことで相続税で娘にあげないようにした。モーズリー婦人は含まれない説=叫び声をあげるので病院の秩序を乱したから。
・ジョーには頼まれた説=介護施設に行くなら死にたい、との思いをくみ取った。ジョーも頼まれてない説=「俺はずっと観察してたんだ」の台詞から、失禁すると殺されることを説明。
・ダンスの後にミルクを持って帰ろうとするのは、一瞬、死んで欲しくないと思ったのでは?だが、既に退院手続きをしてしまったので、生きて介護施設か死んで退院か選択肢を与えた、ともとれる。
・どうとでも解釈できるようにしている?演出家や役者しかわからないのでは?いや、役者すら曖昧なまま演じている可能性もある。

■歌や踊りが与える効果
・老人の歌や踊りは退屈だと感じたが、そのことにより、自分の老人に対する視点の厳しさを認知した。
・老人が歌い踊るシーンは、設定上の身体的には無理があるが、これは演劇の演出上の嘘とも考えられる。実際はそんなこと出来ないけど、こうだったらいいな…って理想を想像しているシーンの可能性。医療関係者がはけた後の場面のことが多いので、そう思った。
・選曲は彼らが若いときに流行った曲なので、現実に踊ってないけど心は躍っている可能性。
・「腸は年老いても若いままだ」って台詞がメタファーで、この事とかかっているのでは?
・バレンタイン医師が移民局での尋問の際に朗読させられる歌詞、あれは威風堂々のもの。英国では第二国家的に愛されており、サッカーの試合やBBCプロムスでも歌われる曲である。彼が言葉に詰まるのは、あのあとに続く歌詞が問題だったと言うより、歌詞全体の英国を賛美する内容だが、その国が彼を追放しようとしている事が残酷である。

■移民制度や医療制度などの政治や文化の背景
・バレンタイン医師の滞在資格については、2018年に問題になったウィンドラッシュ世代問題ではないか?アラン・ベネットがインタビューでも言及している。 (子供の頃に親と一緒に移住して永住権があるはずだが、政府の書類不備によりそれが証明できない移民がいる)
・民間移民斡旋業者が書類偽装による無資格の看護師をうけいれ、老人を殺した?死亡率が上がった?病院があり、それが社会問題となり、民間斡旋から政府が直接採用に変更、という事が過去にあった。
・上記と関連して、看護師資格習得に介護的なケアの実習が必須となった。
・ブグレジットによりEU移民の扱いがかわるので、医療関係の医師・看護師を育成する学校では、英国籍の入学者を増やそうという流れがある。
・行き場のない高齢者を長期入院させるのは、英国でも日本同様に減らしていく方針ではある。
・「インドでは家で老人の世話をするのに」といった台詞に対して、日本人は家では娘や嫁がみることになるのでは?と先を考えがちだが、あの台詞の意図は、施設にいれて見舞にこない事に対しての、理想的な状態としての例示と思われる。
・英語の脚本だと、ブリティッシュとイングランドが意識的に使い分けられていた。ベネットはイングランドを愛しているが、ブリティッシュは違う。翻訳者は、イングランドは人格、ブリティッシュはシステム・制度、として表現するよう工夫していた。

■婦長の人物像
・彼女は周囲の常に周囲の期待に応えているだけである、親に13才で介護の仕事にだされ、その後に看護の資格をとったが、学がなくでもできる介護施設から老人病棟といった職務経歴。
・病院の数値目標が設定された時、老人病棟の退院率に貢献しようと思ったのは、専門教育をうける機会がなく、周囲の期待に応えるのが良いことだと思ってたのではないか?
・実際に言われていないことを察知して、そのように動くことを求められる人生だったのでは。
・叙勲のスピーチの際に、彼女が嬉しそうなのが、見ていて辛かった。
・「看護の仕事をしたい」「看護をうけたい患者がいるのに、介護を必要としている患者がいるのでベッドが空かない」との台詞が重い。
・無知で変われない不器用なキャラクター。どうやったら彼女救えたのか?
・「反省と正直は違う」と言われるのはその通りだが、彼女はどうやったら反省できるのか?

■英国人の笑いのツボがわからない問題
・婦長がモーズリー婦人を注射して殺すのをビデオ撮影してた、屍姦したと告白するところ、この2カ所で笑いが起きたのはどんびきだった…とのご意見
・それに対して、文化が違えば、笑いのツボが違うのは当然なので、気にしてもしょうがないとのアドバイス。
・ブラックユーモア的な演出で、やり場のない感情の捌け口としての笑いは、英国的には受け入れられている。
・笑いのハードルは低い、こんな単純なことで笑うのか?ってこともある。
・とはいえ、笑いが起きたせいでシリアスなシーンが台無し、ってことも無いわけではない。

上記以外にも、河合先生が過去作品や他作品などとの関連情報を沢山あげてくれましたし、柏木さんは演出の巧みさをすごい褒めてたことや、村上さんから英国に移民として暮らす者としての視点など、他にもいろいろ興味深い話はありましたけど、ひとまずこんなかんじで。
(明らかに意味が違ってるよ、ってのがあったら教えてください)

ちなみに、今回の語る会の全体の印象として特筆すべきは、新作で過去の上演と比べるものがなかったからか、現代物で社会問題を正面から描いた作品だったからか、登壇者も客席から語った人も、基本なんでも褒めてく姿勢だった事ですね。
あと、客席から語った人の雰囲気もちょっと違って、発言者の半分位が男性(参加者の男性率は1〜2割)だったのと、あらかじめ発言内容や質問を沢山用意してきてる風の人が多かったです。

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