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「豊かさ」に欠けると、美女が醜女に見えるという話

「豊か」という言葉そのものには裕福で幸せなイメージがあります。
広辞苑の第五版で意味を調べてみると、「物が豊富で、心の満ち足りているさま」とのこと。

たしかに、物が豊富なだけではなく、心が満ち足りていないと豊かという感じはしません。

たとえ大金持ちであっても「豊か」さは伴わないのだというエピソードとして思い出すのが、紀元前1年、中国の後宮の美女の一人、「王昭君」の物語です。

当時中国の後宮には、皇帝に仕えるために1000人の美女がいました。
…1000人って多すぎる気もしますが。
皇帝が毎晩1人に会うと考えて、全員に会うのに2年と270日かかるってどうなの。

実際皇帝もそんなことはしていなかったらしく、忙しくて全員に会いに行けないので、後宮の画家に全員の肖像画を書かせていました。

多忙な中皇帝はそれらの肖像画を見て、今日はどの美女と過ごすかと決めていたそうです。

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そうなると一生のうちに皇帝に会えたのは…正確な数は言われていませんが、子どもの数を考えてもせいぜい数十人、多くて百人くらいでしょう。
残る数百人は一生皇帝に会うこともできないまま一生を終えたそうです。

ある日、中国(当時は前漢)と貿易をしていた匈奴の王が、ぜひ後宮の美女と結婚したいと皇帝に頼みました。
それで皇帝は、後宮の女性を一人、彼に妻として渡す約束をします。

しかし、内心では彼は匈奴の王を見下していたので、彼に美女をやるのは勿体ないと思っていました。それで後宮の美女の肖像画の中でも、もっとも醜い女性を選ぶことにしました。それで選ばれたのが「王昭君(おうしょうくん)」という女性です。

その「醜女」が後宮を出る当日、皇帝は初めて王昭君を見て仰天しました。
王昭君は肖像画とは似ても似つかない、皇帝すら今まで一度も見た事がなかったような絶世の美女だったからです。

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何故、彼女の肖像画は醜く描かれていたのでしょうか?

当時、宮廷画家は後宮の女性たちから賄賂を受け取っていました。
王昭君は画家に賄賂を渡さなかったため、醜く描かれたとのこと。

何故、彼女は画家に賄賂を渡さなかったのか?ということに関しては、諸説あります。

「彼女は貴族の出身ではなかったのであまりお金がなく、賄賂が渡せなかった」
「彼女は不正を嫌ったので賄賂を渡さなかった」
「彼女は賄賂を渡して肖像画を綺麗に描いてもらうほどの野心はなかった」
「彼女はチップのシステムを理解していなかった」←欧米的発想。
…等。

皇帝は激しく後悔しましたが、すでに匈奴の王が迎えに来ていたため、全ては遅すぎました。
王昭君は匈奴の王のもとへ嫁ぎ、宮廷画家は斬首された、ということで物語は終わります。

豪華絢爛で美女を千人も集めていた後宮とは思えない、皇帝のせこいキャラクターゆえにこの物語は後世の創作だとも言われていますが、皇帝が忙しすぎて女性を一人一人把握できずに肖像画に頼るという所はリアルな気がします。

実際皇帝というのは食事をする暇もないくらいの激務だったらしく、野心あふれる画家や後宮女性のとりまきに言われるままに、まともな恋愛もせずに義務的に後宮に赴いていたのではないかと。

忙しい、とは心を亡くすと書くとおり、心ここにあらずだったのでは。

もし皇帝の心が豊かで、想像力も豊かだったとしたら?
大切な外交相手である匈奴の王のために気に入ってもらえるような女性を探そうとしたでしょうし、そもそも肖像画だけで女性は判断できないと気付くこともできたかもしれない、そして王昭君との出会いもまた違ったものになっていたかもしれません。

古今東西、ハッピーエンドの物語はいろいろとありますが、他人を見下したり、他者の足を引っ張った主人公が最後に美しい配偶者に恵まれて豊かに暮らした…という話は聞いたことがありません。それは大抵主人公を成長させるためのモブキャラクターの行動です。

「そしていつまでもしあわせにくらしました」というグランドフィナーレが永続的に「しあわせにくらしています」となった状態こそが、豊かといえるのではないでしょうか。

正しい心根と他者への思いやりに基づいた行動を日々積み重ねていくことで、豊かさの種は日々育っていくのかもしれませんね。

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