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#2_スペクトラムな日日是好日、自分のスペース・ペースを乱されると苦しい

「多かれ少なかれ問題」多いから困ってるんだよ!

私「自分のスペース・ペースを乱されると苦しい」です。「アスペをとっかかりに自己分析してみる」で取り上げた、未完了のプロセス論。誰しにも起こることだとしても、どうも、人よりもダメージが大きい気がする。

発達障害と呼ばれるものは総じてスペクトラムなもので、ひとつひとつの特性の凸凹が顕著である、という事でしかない気がする。つまりは程度問題。しかし、これを言葉で語ろうと思うと、これまた総じて矮小されがちである。ここが厄介なところ。「そんなの多かれ少なかれ誰にもあるよね〜」というやつ。そう!その「多いのか・少ないのか」がとっっても重要なのだ。多いから困ってる。

「多い」というのも、相手(または社会)とのギャップであって、相対的なものだという事もまた忘れてはならない。だからこそ、必ずしも片側だけの問題ではないということ。

そもそも人は、感度の高低や、信じてるもの、どんな体験をしてきたかによって、驚くほど見える世界が違うのだから。同じ空間にいて、同じ事象を同時に見ていたとしても、頭の中は異空間だったりする。

スペース問題

子ども時代からリビングよりも個室を好む引きこもり体質(妹はいっつもリビングにいたなぁ)。今はまだ小さい人たちがいるので、リビングの片隅に自分のコーナーがあって何とか凌いでいる。個室ではないけど、けっこう気に入っている。部屋の角、すみっこが最高に落ち着く。

ペース問題

とは言え、リビングはリビングなので賑やかだし、当たり前だけど「お母さん」という人はよく話しかけられます。「お母さん、お腹すいた〜」「お母さん、〇〇が〜(泣)」「お母さん、見て見て〜!」など、ありとあらゆる要求がランダムに投げ込まれ、一方的に始まるコミニュケーション。それらの一つ一つに上手く切り替えられない。心がすごく抵抗し疲弊する。今やってる事への未練が断ち切れず冷酷な態度をとってしまうこともよくある。子どもはかわいいのに、未完了プロセス耐性が低過ぎなのだよう(泣)

「自分のペースでやらせて!」という心の叫び。いや、声に出てるか(笑)

この特性が強いことは、子育てには不向きだね。しかも子だくさんだとこの時期が長い!

自分を守ろうとすると、子どもを傷つける。子どもが傷つくと、自分も傷つく。この無限ループ地獄であります。

自然の力を借りる

このループから抜け出す唯一の方法は、えいや!と外に出ること。子どもと遊ぼうと思っても、〇〇ごっことか玩具遊びなど自分の興味のないことは苦しくて出来ない(←頑なに拒否)ので、外に出てしまう。そうすると私の場合は、自分のペースや興味に寄り添いつつ、子どもとの心地よい時間を共有しやすい。良い塩梅。草木や花や虫や動物は、世代を超えて楽しめるもの。発見したり、不思議がったり、ただ感じたり。出るまでが大変なんだけどね。(これが今や仕事にもなっている!)

〈おまけ〉アニミズムあそび

小さい人とはアニミズム遊び。意外とこういうのは平気なのですよ!なんでも擬人化。「風さんがこんにちはって言ってるわー」「ちょうちょさんが、ふっちゃんどこ行くの?だって」とか言うと、ちゃんと子どももそのファンタジーの中で会話が進むのですよね。これ楽しい。

私みたいな出来る事と出来ない事の差が激しいお母さんは、自分の心地よい事を見つける事が大事かなと思いますね。その中で、子どもと楽しめる事が1個でもあれば万々歳。

そう言えば、普段から私、植物に話しかけてる事が判明(あ、心の中でね)。夫に言ったら驚いていた(笑)

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