心が震えた日。

「震撼」という言葉がよく似合うコピーがある。

出会った瞬間文字通り心が震え、ざあっと視界が開けて道ができるような。

最近そんな体験をさせてくれたキャッチコピーがふたつあったので、本日はそれらの写経をしていこうと思う。

すべての今日を、支えていく。

レシートにひっそりいるのがまたいい。

まず私、ドトールのぽてっと珈琲なロゴが大好きでレシートを手に取ったら愛でるタイムがあるんですが朝、やられました。射抜かれた

なんだこの「朝のリレー」みたいな透き通っていてすぐ側にある言葉は。

こんなに小さい、ほとんどの人が見ないような紙で健気にフレフレしてたのか。愛おしすぎる

まずビジュがいい。ロゴの上にすとんと収まる文字数で、ロゴデザインと相まってピアノを弾いているような可愛らしさがある。

次に、主張し過ぎない落ち着きのある言葉。
「すべての」なんて大きな言葉が入っているにも関わらず厚かましくないのは「支えている。」ではなく、「支えていく。」だから。

カフェの珈琲の向こう側には多くの場合、「もうひと頑張り」がセットでいる。
このコピーには労いの言葉が入っていないのに、ちゃんとその頑張りを主役にしてくれている。

この言葉が手に取られる情景、そのときの心情まで見越して最低限の言葉で形成されているのだ。

同じくドトール「がんばる人の、がんばらない時間。」というコピーもあったが今回はなぜ、「がんばる人の、今日を支える。」ではないのか。

珈琲を手にとる人は、形は違えどみんなが各々頑張っているからだ。あなたが頑張れていないと思っていても、あなたは今日も頑張っているのだ。

だからあえて限定的な言葉を使う必要がない。

「がんばる人の」は「がんばらない時間」という対比の強調として、「がんばる人」である必要があった。ここで「すべての人」にしてしまうとメッセージがぼやけ、ただのんべんだらりとしている構図になってしまう。

それぞれのメッセージに合った最適な呼び名で心にすとんと収まるのが気持ち良い。

あとは「毎日を」ではなく「今日を」であること。いつもすぐ側にあるという意味なら毎日を使いたくなるところだが、このコピーはあなたの今日を日常としてまとめ上げない。
「今日」を生きるあなたを、線ではなく点で労う言葉。毎日通って「今日」を褒められたくなる。

足取りが重い日も、全部が嫌になった日も、うまく頑張れなかった日もすべて肯定してくれるようで、ドトールが益々好きになるコピーでした。

正解より別解

「かっこいい」って言うのもくやしい

「さすが博報堂」で片付けるには勿体なさすぎるほどかっこいい言葉。

「別解も正解では?」と立ち止まってしまわずに、ちゃんと書き出してもらえたからこそ世に出た言葉。

常識や前提、固定観念はときに創作を邪魔する。キャッチコピーは文法の乱れや日本語の矛盾なんてどうでもよくて、「心がどう動くか」の勝負なんだと改めて思わせてくれる一言。

ボディはきっと、何度も声に出して調整されたんだろう。意味はもちろんのこと、音の流れに不快感がない。
「正解、なんかで、満足か。」はそう思った決定打。文字にすると少し違和感があるのだ。
「あれ、声が、遅れて、いるよ」みたいな

しかし音読するとまあ、これが最適なんだと。

ずっと2つの対比の流れできていて、仮にここで「正解なんかで、満足か。」や
「正解、なんかで満足か。」にしてしまうと、
文字としての収まりは良いが尻すぼみというか、それまでの流れが最大限生きてこない。

二つの読点には覚悟と野心と挑発とワクワクが宿っていて、クリエイティブへの飽くなき探究心を感じる。

ここで言われている別解は、数学のように「そういう解き方もあるんだー」とすぐ腑に落ちるものではなく、コロンブスの卵のような「え、それありなの?」みたいなものと考える。
みんなの想像を超えるような、世界にまだなかった選択肢を切り拓いていく感じ。

クリエイティブの可能性を見せつけるとともに、既存アイデアの蓄積の延長にしかないAI技術への宣戦布告とも取れる。

クリエイティブなんて大層なこと言ってるけど、AIでちゃちゃっとそれっぽく作れちゃう時代でしょ?と軽視する人に「満足なら、どうぞそこで立ち止まってて」と笑いかけるようなニヒルさを感じる。渋いぜ博報堂。


以上!

コピーはさ、世界を宝物にしてくれるよね。
やっぱり楽しいなあ

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