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一切の業を成す

プロフィールから見てわかるように(わかるか?)私はSuchmosとTempalayが大好きである。いや、大好きでは表せないくらい好き。もう本当に、本当に、、

この先どれだけいい音楽に出会ってもこの2つは超えられないだろう。というか越えないでくれ。

正直SuchmosもTempalayも何がいいのかわからない。どこが好きなのかわからない。歌詞も意味がわからないものが多い。

ただ、めちゃめちゃに好きなのである。音が好き。音でドキドキするし、音でキュンとなるし、音でニヤニヤしてしまう。

感動って〜枯渇しちゃう♪と小原綾斗は歌う。
ゴーストワールド、ゴーストアルバムの感動はいつまでも枯渇しない。何度聴いても、呼吸をするのも忘れてしまうくらい好き。胸が苦しくなる。

私は音楽を聴いて胸が苦しくなって大好きという気持ちと同時に涙が溢れる瞬間が大好きだ。
1番生きている心地がする。

この気持ちは語源化できない。近い言葉で言うとしたら“恋”だと思う。
でも語源化しようとしてる時点でナンセンスかもしれない。

この2バンドのおかげで私は音楽が好きなことに気づいた。

音楽はすごい。
気分に合った音楽を聴くだけでなく、アルバムをひとつの作品として聴くことができる。
メロディーと歌詞でその人の人間性が見える。
その人の人生を想像できる。楽しい。

映画や漫画、ドラマなどは音楽と違い、視覚からの情報がある。
だからこそ表現できるものはあるがそれによって想像が制限されてしまうこともある。

音楽は曖昧な表現をあえて曖昧なまま伝えてくれる。
だからこそ聴き手によって聴こえ方が変わり、その人の音楽ができ、音楽がその人に寄り添うことが出来ると思う。

目を瞑り、耳を澄ませる。
音が好きな曲、リズムが好きな曲、全然メッセージ性のない曲、逆に言葉が沢山詰まっている曲、あの子と重ねることができる曲、自分と重ねることができる曲、兎に角音が好きな曲。

そのときの精神状態、場所、時間、季節によって聴こえ方が変わる。

楽しい。大好き。

好きなもの、ずっと好きなままがいい。

でも、あんなに好きだったぬいぐるみ遊び、いつからしなくなったんだろう。

あんなに好きだったのに。あんなに楽しかったのに。
私が変わった証だ。なんだか寂しい。
変わると好きだと思うものも変わる。

今私が変わろうとして、今の自分じゃなくなったら、
音楽の聴き方、聴こえ方も変わってしまうのかな、
感動が枯渇してしまう日が来くかもしれないのかな。

今の私がぬいぐるみで遊ぼうとしても、あのときの気持ちや熱量で遊べないのと同じように、
いつか音楽を聴いて感動が枯渇してしまう日がくるかもしれない。私が音楽から離れてしまう日がくるかもしれない。

その日が怖い。感動を忘れてしまうのが怖い。感動に慣れてしまうの怖い。寂しい。
そのくらいなら変わらないままがいい。生き辛いままでいいとすら思う。

私がここまで音楽が好きになのは、今まで音楽しか拠り所がなかったからである。

自分で自分がわからず、他人からも自分からも自分の存在ごと否定されていた私が、
唯一自分の気持ちに素直になれたものが音楽であり、SuchmosやTempalay、その他諸々だった。(と、書きながら気づきました)

当時は、消えたくて、生きたくなくて、別に生きなくてもよくて、でも死ぬと生きた証だから、死ぬのは違くて、誰かを悲しませてしまうし、残された人はいつか悲しみが和らぐ日があっても、私が死んですぐはきっとすごく悲しいと思うし、悲しませることはできないし、とりあえず消えたかった、煙みたいにふわ〜っと、存在ごと、みんなの記憶からも、ライトに、消えたらどれだけ楽だろう、

多分、あのとき消えれたら消えてたと思う。死んでも消えれないから死ななかっただけだし。
今は消えれても消えません!良かったね〜!やった〜!

高校生のときは、チケット代を払ったんだから、とりあえずその日までは生きないとチケット代が損だ、4000円、5時間弱のバイト代か〜、ドブに捨てるようなもんだからな、という感覚で日々を繋いでた。(めっちゃ可哀想でウケる、良かったね、私)
今もライブの予定がないと絶望に近い不安を感じるのはこのときの名残かも、

もう“好き”より、“依存”の状態に近い。

依存先が無くなるのが怖い。
自分が変わってしまって自分から依存先を手放してしまう日が寂しい。
音楽を卒業する日が怖くて寂しい。

わ!!また変なこと考えて不安になってる!
そんなこと考えずに、今を楽しもう!その日が来たら違う好きなものができてるよ!

遠くで誰かが言ってる。言っていることはわかる。私は今から走って追いつけるのかな。多分追いつけないし息が上がってしまうな。追いつけてもついていくのにいっぱいいっぱいになってしまって苦しくなるだろう。
それならゆっくり歩くことにした。

その日を怯えながら聴いてるからこそ聴ける音だってあるはず。

薬を毎日飲むと耐性がつく。きつい運動も毎日やると簡単になる。長い通学時間も毎日通えば普通になる。
だから、感動に慣れないようにわざと聴かないようにする。感動を忘れないように定期的に思い出す。
私なりの感動が枯渇しないための方法。できるだけその日を伸ばしたい。

それでもやっぱり日々は続き、環境は変わり、出会いと別れがあり、昨日の私とは違う今日の私で音楽を聴く。

こうやって、たまらない日が続いたとしても、僕らは一切の業を成すってワケ!

そうだよね!音楽、ありがとう!音楽、
きっとずっと好きです!!


追記
これ書き始めたときは、SuchmosとTempalayの魅力について書こうと思ったのに、私の頭のまとまりのなさが爆発、Suchmosについては1ミリも書いてないし、Tempalayもゴーストワールドの“感動って枯渇しちゃう”の部分だけ切り取って自分語りなの、なんだか悔しい。もっとゴーストワールドについての解釈とか、好きな曲とか好きな部分とか書きたかったのに……うわん、
いやでも、好きなものは、好き!だけで、その好きの一言にいろんなものを含ませたほうが楽しいからあまり好きなものを語源化はしたくないとも思います。
ちなみに、ゴーストワールドの中だと、
“愛し合って泣いている 一つ星が宙に光って瞬いた”
の部分が綺麗すぎて、いつも泣きそうになります。
小原綾斗(敬称略)の感性、本当に好きです。いつまでも好きなことを好きなだけしてください。
中国巡演増加演出、楽しみすぎてたまに気が狂いそう。頼むから深海よりやってください。セトリは私に組ませてください。TempalayもドミコもMONO NO AWAREもワンマンの長さでやってください。

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