「それって本当?」と問われ続けた日々

このエントリーは、「ほぼ日の塾」第5期生応募開始にあたって、過去の塾生が自分たちの体験をふりかえるという企画の一環で執筆しています。

わたしは第4期生の「テリー」として、2017年9月〜12月の期間で参加していました。

なぜ応募しようとしたのか

まず<立場>から話すと、当時のわたしは大学4年生。出版社就活で連敗し、就職留年を考えている最中でした。

<動機>と<学びたいこと>に関しては、以下、ほぼ日に送った全文をそのまま載せます。

<動機>
紙やWEBメディアの編集者になるという夢があり、憧れのほぼ日のみなさんから「読者も自分も感じ入ることができる編集」のコツを教わり、それを実践したいからです。
ほぼ日のコンテンツの魅力は、柔らかいような、でも安易さや優しさだけで構成されてるのでもないストーリーを、いろいろな立場の人たちを通して教えてくれるところだと思います。特に、経営者の方のお話など、人によっては「難しそう/自分には関係ない」と敬遠されがちなテーマも、ほぼ日の手にかかると「とっかかりやすそう/面白そう」と思えるものが多いと感じています。どうしたらそんな風に、幅広い層の人たちに「読んでみようかな」と興味を抱いてもらえる読み物がつくれるのか知りたいです。
なぜなら、自分が編集者としての最終目標にしていることが、「マイノリティを主人公にした、純粋に作品自体も楽しめるけれど、同時に深く考えさせられる小説か漫画を作ること。それを通して、互いが互いを思いやれる社会にすること。」だからです。例えば、金城一紀さんの『GO』や、よしながふみさんの『きのう何食べた?』のような。就職活動中、「マイノリティものは売れ線じゃないよ」と出版社で働くOB・OGの方々にさんざん言われました。ですが、経験したことのないことを追体験できるのが読み物の良いところなのですから、「対岸の火事」と思わせないコンテンツを作れるようになりたいのです。

<学びたいこと>
・ほぼ日式の取材や編集のコツ(質問内容の考え方や、禁止事項にしていることなど)
・企画のタネを探すコツ
・読者の中にある不安などを煽り立てて何か行動に移させるのではなく、できれば安心感やホッとする気持ちを抱いてもらえるような読み物のつくり方

実は第1期生募集の際、選考に落ちてしまっていたわたし。そのときの応募文を読み返してみると、上記よりもはるかに主旨がぼんやりしている……。第4期80人クラスへの招待メールが届いたときは、文章力を鍛えてくれた就活のES地獄に感謝しました(笑)

参加中、どんなことを感じていたか

丸1日かけて、ほぼ日のことを教わる「80人クラス」。編集部・奥野さんの「いま、まさに壁にぶち当たっているんですよね……。逆に、どうしたらいいのか、僕がみなさんに聞きたいくらいです。」という言葉には、衝撃をうけました。リアルタイムで悩みながらやってる姿がそこにあり、「憧れの乗組員の皆さま」と思っていたけれど、完成された技術を身につけた存在なんかじゃなくて、変わり続けようとされているんだなと思いました。

それと、<動機>で知りたがっていた、「読者の興味の外にありそうなテーマでも読ませる記事のつくりかた」についての答えも得られました。ここに書いたら参加する人の楽しみが半減する気がするので、あえて秘密にしておきます。

さて、その後めでたく参加が叶った実践編。
3つの課題のうち、2つが他者の言葉を紡ぐもの、1つが自分の言葉を紡ぐものだったので、それぞれに違う難しさがありました。そのなかでも特に感じるものがあったのは、他者の言葉をコンテンツ化していたときです。

まず、自分が「言葉の貧乏性」であることを痛感しました。他者が発する言葉すべてが、とても重要なキラキラしたものに思えてしまって、編集で切り捨ててしまうことに躊躇いを感じてしまいました。ダイジェストよりディテールを慈しむオタク気質も影響していたのかもしれません。結果、言葉をつめこみすぎてしまい、読み味がすっきりしない……なんてことに。「はたして編集の役割とは」と言われてしまいそうな、自分の弱みを認識しました。

一方で、編集の際に補足が足りず、話の流れが強引に感じられかねない仕上がりになってしまうこともありました。これも、ずっとその原稿をさわっている自分には自然に感じられても、読者から見たらまったくそうではないかもしれないという、視野の狭さというか、気遣いの至らなさという感じが……。

最後にいちばんビクビクしていたのが、その人の言葉の切れ味を落としてしまっていないかということでした。自分の言葉だけで完結するエッセイなら、仮に出来がイマイチでも、ただ「テリーは文章が上手くないんだな」で終わるだけです。でも、対談の編集やインタビューでは、そうはいきません。自分がその人(たち)の言葉の大事な「預かり人」になるわけですから、そこの魅力を殺してしまったら、その人(たち)にまでイマイチなイメージがついてしまうわけです。「この人、こんなにいいこと/面白いこと言ってる!これは他の人にも聞かせなきゃもったいない!」というのは、個人的に強い執筆動機になりがちなのですが、それを届ける作業にはワクワクだけでなく、それと同等かそれ以上の不安がつきまとうものだということが、よくわかりました。

そのあとどうなったか

ほぼ日の塾が終わって3ヶ月後、2回目の就活シーズンがやってきました。と、ここで自分の中で変化が。1年目の就活時とは考えが変わり、新卒でフィクションの編集者を目指すことをやめたのです。

他の方のレポートにも書かれていることなのですが、塾では「それって本当?」という言葉が何回も登場します。
「それは本心からでた言葉なの?」
「褒められそう、とか、それっぽくなるからと思ってした選択ではないの?」
そんな問いかけが、課題作成に対してだけではなく、より深い段階まで染みてきたからでしょうか。

それまでの自分は、頑なに「使命」のようなものを信じていました。
在日コリアンというマイノリティとして、周辺分野でなにかしら現実を好転させるような価値を提供できなければ、なんというか、自分が仕事をする意味はないんじゃないだろうか。そうでなければ、自分は自分のあり方に満足できないんじゃないだろうか。頑張れないんじゃないだろうか。

でもそれは、自分の好奇心や可能性をあまりにも見限っている発想なんじゃないだろうか。「マイノリティとしての自分」だけが、尊重するべき自分の「タグ」なんだろうか。「同じ業界の優秀な日本人たちとの差別化をはかるために」なんて考えずに、「面白いものは面白い!」を追及したっていいんじゃないか。そしたら、ほぼ日を通して出会った「楽しそうな大人たち」みたいに、自分もなれるんじゃないだろうか。

こんなことを考えた結果、コンテンツマーケティング会社に就職を決め、WEB編集者を志望することにしました。自分史上もっともしなやかな心持ちでいるいま、来年4月から働き出すのがとても楽しみです。

5期生の人に伝えたいこと

ほぼ日の塾は、魔法学校ではありません。
「これさえすれば、PV数が劇的にアップ!」「文章構成がものの数分でできるようになる!」なんてことを教わる場ではありません。テクニックというより、ほぼ日でのコンテンツ作りにおける心構えを教わり、それを「こういうことかな……?」と悩みながら、文章に反映させていく。そして、講師の永田さんからの鋭いフィードバックを受け、自分の実力不足に落ち込む。この繰り返しでした。永田さんの口調はもちろん穏やかなものですが、行われているやり取りの内容は、かなーりスパルタです!

でも、受講者が本気なら、講師陣からも本気で返ってきますし、手応えがウソでなく見つかる場です。その手応えも、「一発で何か解決してくれる万能薬」というよりは、「前向きに試行錯誤していくための道しるべ」「暗い道を照らすランプ」のようなものと表現した方が近いと思います。

素敵な乗組員や同期の人々との出会い以上に、書くことで気づく新しい自分との出会いを楽しんでくださいね。


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