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お好みの「形」に戻せたかい

虚像に塗れた私 まるで神様みたいね

本当の気持ちとか知ったかぶりで
気味が悪いの妖共め

何かを掴んだとて それで幻想 壊して
想いを冷ますとか愚の骨頂ね
ただの雑魚に取り合わないの

冷静 装う僕が 言葉を口にするのは
簡単に虎視眈々と怒っているから

john『春嵐』より

前書き

月曜日始まりましたね。
今日もちゃんと「地獄」でしたよ。

でも、少し動いたこともあって、インターンの予定が立てられそうなんですよ。どれだけ「地獄」でも、金がないと生きていけないし、歩みは止められない。

片道50分の通学時間が心の安寧を保たせてくれている気がする。そんな日でした。

「物」は壊れたら直せない

そんな、通学の間
よく音楽を聴くんですよ。
いつものように、ヒットチャートを上から聞いていた時に、
上の『春嵐』の歌詞がすっと頭に入ってきたんですよ。

昨日も言ったけれど、自分は今「人」として自分を見ていない人に怒っている。しかし、それは一方的な感情なんですよ。

「人」として見ていないから、平然としてるし、
「人」として見られていないから、「物」を壊して傷づいた「人」である、自分の手を慰めてほしがっている。
「物」として見ていないから、周りも放置で、
「物」としてしか見られていないから、現状を許容するしかないんです。

どうでもいい「悪評」に包まれた私の虚像は、誰も触れたくない。
本当に怒っている理由も知らないで、愚痴り続ける。
一方的な「仲直り」を要求してきて、許してないと知るや、罵詈雑言。
私は、そんな愚かな人間を見て「物」である自分を誇る。
そんな私がいつもと変わらない様子で「話す」のは怒りを伝えたいから。

勝手にこんな叫びに変換してしまいました。

怒らせた本人は、どうやら居心地が悪いらしく、
毎日飽きもせずに、すごく不自然に話しかけてきます。

言い方悪いけれど、
これが、本当にむかつく。

「物」を接着剤で固めて元の形に戻すことしか考えてないのが目に見える。
壊れた「物」は頑張って戻しても、完全には戻らないことを知らないんです。あのバカたちは。
「人」は「物」を実用性のない、いい感じのインテリアにして、二度と壊さないように遠くにおきたいんですよ。

接着剤で押し固めたその先は

『春嵐』、二番の歌詞でもいいこと言ってるんですよ。

思想が乾いた私 何処が神様なんでしょう
とっくに怒りとか無くなっても
演じているとも つゆ知らずにね

それでもこの物語終わりにせずにいるのは
変わらず耳を傾けている君に
届いて欲しいと願っているの

停戦を誓った僕の 人格は剥がれ落ちた
落胆を受け入れる覚悟を 持っているから

john『春嵐』より

怒りとかがなくなったとしても、
結局、「人」として許した後に待っているのは、「落胆」なんですね。

私を怒らせた人は、自分が恵まれた環境にいることを知らずに、「物の形が直らない」ことを、まるでこの世最大の不幸かのように叫び続けてる。
その耳鳴りのような叫びが私の「声」が届かない原因だと知らずに

今日はこの辺りで。おやすみなさい。

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