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人生はインスタ映えしない。

彼女が家にやって来てから、25日が経過した。

黄色い彼女。名前は知らない。

花の名前や花言葉に、さほど興味がない。

心惹かれるか惹かれないか、その判断基準だけで良いと思う。

毎日欠かさず水替えをしていたら、25日経った今も、花弁が所々枯れ始めてはいるけれど、まだ見たところ元気に咲いている。

40代の美魔女、と言ったところだろうか。

花がしぶといのか、私がしぶといのか。

私は、花を見るなら、こうして一輪の花をじっくり眺めるのが楽しいと思う。

〇〇フラワーパークといった類の施設もあるが、そういう所にあまり興味はない。

一面に咲く色とりどりの花を、もちろん綺麗だなとは思う。しかも敷地面積も相当広く、それはそれは圧巻。お見事。

だけど、何かこう、良いところだけを見せられている感じがしてしまうのだ。

そういうフラワーパークはよく、インスタ映えスポットとして紹介されるけれど、まさに私生活の良いところだけを公開するインスタの如く、美しい、綺麗な部分だけの切り売りのように見える。そういうのは、美しさのある一面でしかないのだ。

どんな花も生き物だから、咲いては、やがて枯れていく。

種を植えて、芽が出て、一生懸命手を掛けて育てる人がいて、そうして綺麗に咲いた花がお店に並び、誰かが買って、そうしたうちの一輪が、私の元へやって来る。段々と寒くなるこの季節の中、一輪の花は我が家で呼吸を繰り返し、黄色い花弁を少しずつ茶色に変えていく。

花が生まれてから死に向かう一連の流れと、それに伴う人間のストーリーは、一輪の花にしっかりと宿っている。

その流れの中には、色んな事があっただろう。私が知り得ない事も。

インスタに載せられるような事しか起きない人生などないのだと、インスタなんか知り得ないであろう花の一生から教えられる。

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