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満月の夜には、やっぱり思う事がある

昨日今日と、寂しさ、悲しさ、ジレンマ等、人の感情の機微に触れる機会が多かった気がします。
私に直接当てられた訳ではないメッセージが大半ですが。

もう9月なのか、それともまだ9月なのか。

多くの人にとって、あの緊急事態宣言から半年の月日が経過した事が、1つの節目の如く、感じられているようです。
「変化の激しい時代」「明日がどうなるか分からない世界」
そんな風に今の世の中を形容する事にも、段々と慣れて来ました。

でも考えてみて下さい。
コロナウイルスが世界に蔓延しようがしまいが、明日と言うのは元々、どうなるか分からないものです。

私達人類の歴史、いや宇宙の歴史の中で、一寸先がどうなるか、100%分かった事など、ただの1度もありません。
と言うより、不確定な未来に身を置く事こそが、「生きる」という事です。

私達には、生まれてから死ぬまで、明日が保証される日など、ただの一度も来ないのです。

先日、私の3倍以上生きてきた人生の大先輩から、人間に等しく与えられた事は、「死ぬ事」だと教わりました。
「人間は生まれた時から、死に向かって歩いている」
死だけが、私達に与えられた、全員共通の人生のゴールです。
そこに至るまでに、どんな物語があったとしても。

こんな世の中になって改めて実感出来たことが一つあります。
「人間、何かが無いと生きていけないなんて、絶対にない。」
食べ物とか睡眠時間、その他衣食住に関わる最低限のものは、勿論必要です。
ですが、例えば、旅好きな人が旅に行けなくなっても、毎日飲み歩いていた人が、夜遊び出来なくなっても、そんな事で人生が終わったりはしません。

人生には、色んな楽しみ方がある。

私のような暇人は、「人はなぜ生きているのか」について、考えることが偶にあります。

その真意にはまだ辿り着けないどころか、生きている事に理由なんてないのではないかと、考える程にそう感じてなりません。

因みに三島由紀夫さんは著書で、こう語っているそうです。
「何のために生きているかわからないから生きていられるんだわ。」

それもまた、真実かもしれません。

最近の私は、こう考えるようにしています。
「今この瞬間を生きる為に私達は生かされている」

人生とは、今この瞬間の為にあるのです。

一瞬、一瞬を大切に。

というような、人生の事分かったような事言うのが私の悪い癖です。笑
25歳の甘ちゃんの言葉で文章を締め括る度胸は無いので、私がお世話になっている人生の大先輩からの言葉を、最後にお送りします。

「一日一生、一日一笑」

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