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日常会話

インドでは、とにかく口頭コミュニケーションが必要だし、好まれる。逆に日本(東京)では、会話せずに快適に日々生活することが可能だ。渡印前、退職してブラブラとしていた時には、一日のうちに発する言葉は、「レジ袋ください」の一言くらいだったものだ。

デリーでも特に自分から積極的に会話をしているわけではない。むしろ、会話せずに済むのなら、その方がありがたいのだが、それでもとにかく話しかけられるし、返答する必要に迫られる。

たとえば、こんな土曜日。
メトロに乗ると、けっこう混んでいる。立っていると、私より年上そうな男性に「ここ座る? あと、靴紐ほどけてるよ」と、女性専用席でもないのに席を譲られる。
某ライブラリーへ行くと、セキュリティに止められる。「今日はイベントやってるよ」。ええ、知らなかった、とりあえず入ってもいい? と聞いて入る。受付でまた「イベント参加する?」と聞かれる。いや、ただ座ってるだけでいいかな、と確認。しばらくすると「日本の方ですか?」と日本語で話しかけられる。
ライブラリーから家具マーケットへ移動。チープなテーブルと椅子を買い求めるのに、「そのテーブルいくら? 椅子もある? 広げて見せて? ちょっと座っていい? 安くなんない? 配達してるくれる?」とあれこれ聞かねばならない。日本なら、黙ってレジへ持って行くだけなのに。
Uberで帰りのタクシーを呼ぶと、指定場所が停めにくかったのか、電話で「バス停の手前のxxレストランの前にいますから〜」と電話が掛かってくる。どこだxxレストランって、と思いながら、その辺にたむろしている人に「xxレストラン、どこ?」と尋ねる。もはや「エクスキューズミー」とか「サンキュー」とか、口から出てこなくなった。
帰宅して玄関前で洗濯物を取り込んでいると、お隣りのメーターさん(仮)も取り込み始めた。普段は、「ハロー」くらいで勘弁してもらっている。と、「このピンチ、お宅のね~」と手渡してくる。お前か、いつも私の洗濯物からピンチを外して、タオル2枚をピンチ1個で留めたりして間引いていたのは。お向かいのメイドの仕業かと思っていた。

Uberのドライバーやメーターさん(仮)とのおしゃべりを避けても、これだけやり取りが発生する。別の日のことだけれど、道を歩いていると、「ねぇ、マダム、(サリーの)ブラウスからブラはみ出してないか見てくれる?」と話しかけられたこともある。
なんだろう、この気安さは。逆に、こちらからこれくらいの気安さで話しかけてもOK、ということでもあるので、ありがたくもある。インド(デリー)の愛おしい部分だ。

…が、実は、日本でも田舎へ行けばこれくらいの距離感のことがある。限界集落に近い実家のある田舎に帰ると、例えば、駅の待合室で隣り合わせたおばあさんに延々と「猿にカボチャをかじられた」という話を聞かされたりする。この距離感、ガラス張りの家に住んでいるようなプライバシーのなさ、遠慮のなさがイヤで上京したのだが、1周回って戻って来てしまったかもしれない。

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