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54年目の「見果てぬ夢」 松本白鸚傘寿、文化勲章受賞記念「ラ・マンチャの男」ファイナルステージ レビュー

   初めての観劇は中学生になったばかりの春だった。染五郎がマーチンベック劇場へ単身勇躍渡米する直前の初演帝国劇場ということになる。共演のアルドンサ/ドルシネアは草笛光子。記録を確認すると同公演は浜木綿子とのダブルキャストだったようである。ミッチ・リーのメロディーラインが美しく耳に残り、帰宅後、自室のLPレコードコレクションから、当時愛聴していたアンディ・ウイリアムズの「impossible dream」に針を落とし、英語詩で繰り返し反芻した。その後、同じ頃『チップス先生、さようなら』と『アラビアのロレンス』ですっかり魅了され入れ上げていたピーター・オトゥール主演で映画化されたことも重なり、同作は自分自身にとっての極めて重要な作品となり、幸四郎、白鸚と途切れることなく続いてきた偉大な不世出とも言うべき役者のドン・キ・ホーテの物語を自身の年齢の重なりとともに観劇しつづけてきた。1000回公演で松井秀喜氏を近い席でお見かけし、1100回、1200回記念公演については劇評をwebメディアに投稿した。

   昨年2月、日生劇場でファイナル公演と銘打たれた舞台がかかった時、誠に残念ながら公務調整いかんともしがたく、チケット入手に奔走することもなく遠いところからその終幕に思いを馳せるばかりだったのだが、コロナ禍の影響により、突如、公演は中止となってしまった。大千穐楽を迎えることなく長い旅路の果ての終幕に至った御大の無念いかばかりかと思いを飛ばしつつ、世情混乱ゆえのこととは言え、演劇界の伝説ともなっている本作の幕切れとして、これはあり得ないと地団駄踏むばかりだった。


   そうした経緯もあって、昨年末、この4月に10日間限定で横須賀でのファイナルステージの発表があった時は、欣喜雀躍、いや狂喜乱舞(大袈裟か)して公演を待ち焦がれた。


  そして初日。開演前から浮き立つものを抑えられなかった。舞台が始まり、白鸚キハーノをサンチョ駒田一がさりげなく、しかししっかりと背中から支える姿や直後のいくつかの場面で、若かりし染五郎、幸四郎と亡き小鹿番の姿や来し方を思い返さないではいられず、舞台を見やりながら、自分は夢、現の時空を往来していた。アルドンサの松たか子登場シーンでは、客席から待ってましたの喝采。すっかり観慣れた場面、聞き慣れた楽曲が次々繰り広げられるのを、これが最後と受け止めながら、さまざまに思いは交錯するばかり。とりわけ『見果てぬ夢』のもはや誰をの追随も許さぬ品格尊く、凛とした白鸚ドン・キホーテ朗唱シーンでは、感興の制御不能、突き上げてくるものを抑えるだけで精一杯だった。その後物語の半ば過ぎ、アルドンサ強姦シーンに胸塞ぎ、悲嘆に暮れていると、これまで見慣れぬたゆたいが舞台に流れ、牢名主/旅籠主人役であるカンパニー最古参上條恒彦が「休憩。休憩だよ」という覚えのない台詞を観客に向け発して、ハッと驚かされた。なるほど、ここで一呼吸入れなければ、それ以降一人の観客として錯綜する内面を整えることはできなかったかも知れない。おそらく傘寿白鸚を気遣っての中仕切りだったのだろうが、観客にとってもありがたい水いりの構成だった。

   後半は、今回が初演健闘の伊原剛志扮するカラスコ博士との対決とキハーノの死出の場面。現実との折り合いを拒み続けた老詩人キハーノが、カラスコ博士の処断により精神の破綻を自覚させられ死出の旅路を余儀なくされる中、ドルシネア姫と呼ばれた旅籠の娼婦アルドンサが、意識朦朧のキハーノにもう一度でいい、ドルシネアと呼んでと懇願する。彼女にとって、そう呼称されることだけが、あるがままの人生に折り合いをつけず、あるべき姿のために戦う唯一絶対の拠り所だった。その一言さえあれば、悲惨な現実を超えて行ける。その希求の切実さはいつ観ても胸打たれる普遍性豊かなものだが、この日のアルドンサ松たか子の歌声は旅籠でのそれとは鮮明に異なる切なく可憐なもので、観る側は溢れる涙を堪えることが出来なかった。

   やがて牢内での劇中劇を演じきり、アロンソ・キハーノ/ドン・キホーテの作者セルバンテスは、裁きの場に呼び出される。物語冒頭では、嘲笑の変人扱いされた詩人は、劇中劇により皆の心をしかと捕まえ、下層にある罪人達の『見果てぬ夢』の合唱を誘引する。これを餞として、襟を正し、白鸚セルバンテスは堂々と極刑の待つ場へと進み行く。なんという物語、舞台だろう。


「夢」や「希望」という語を、いつからかわれわれはすっかり自分から遠い、絵空事のようなものにしてしまっている。あふれんばかりの豊かさの中で育ち生活して、それが当たり前になってしまえば、変革・刷新の機運は生まれない。あるがままをよしとして、それが実は単に所与の人生に折り合いをつけていることだとも自覚できない。あるべき姿を、滑稽だと笑われても求め、邁進する。54年間にわたる白鸚セルバンテスの長い旅路は、その重要性を改めて観るものに突きつける。あと僅かで、この気高い舞台が完全に幕をおろし、伝説となる。大千穐楽は令和5年4月24日である。

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