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洗濯機のはなし



嘘です。写真のはなしです。KAMANOIです。

忙しいことは良いことだが何かと抱えすぎてキャパシティを超えてくると心の余裕が無くなり、制作や思考に支障を来たす。自責の念が強いほどさらに追い込まれて深みにハマる。真面目な人ほど陥りやすい傾向ですね。

私はそこまで生真面目な人間では無いがそんな私でもたまには余裕が無くなったりスランプに入る時もある。そんな時の私はデジタルのカメラを置いてフィルムのコンパクトカメラをポケットに入れて所用のついでに散歩をする。そんな時に撮った肩の力を抜いた写真群。

なぜフィルムのコンパクトカメラなのかということなのだが、正直iPhoneでも構わない。露出やシャッタースピードも何も考えずただ撮りたい時にシャッターが切れるのならば何でも良いのだ。

どうした鳩。事情は知らんが仲良くしなよ。

要は撮らなければいけないという感覚からの離脱と解放。しかし撮りたい時には撮れる存在。安心感を与える心の保険である。ア◯ラック。もしくはアル◯ック。


心を落ち着かせ頭を空にし、アウトプットを忘れて街を歩く。心が動いた時にだけシャッターを切る。写真を撮ることが目的では無いので撮らなかったら撮らなかったで良い。そんな気持ちで街を歩くと不思議と撮りたくなるものである。

古い機体を使っているとフィルムが切れてしまった。だがそれも良しとしよう。デジタルでは起こらない現象だし。


思考の休息をしながら肩の力を抜いてのんびりと街を眺めて歩く。写真を始める遙か前、旅先や友人との集まりで単純に心が動いた時に写ルンですでシャッターを切っていた頃を思い出す。あの頃の写真は記録でありインプット寄りの思考であった気がする。知らんけど。


現像から返ってきた写真を見返して見ると、良い写真を撮らなければという思考から解放されていてシンプルでどこか優しい。思考が洗われ初心に返り、赦しを得たかのようである。驚きの白さに。だから洗濯機のはなし。



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