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漫画脳展拡大号を終えて


noteを書くのはかなり久しぶりになってしまいましたが写真展が終わったので一区切り。まずはご来場いただいた方々、年末の忙しい折に漫画脳展に足をお運びくださり誠にありがとうございました。

総勢42名の写真家がそれぞれの推しの漫画のセリフをテーマに写真作品を展示するこの写真展、私は攻殻機動隊のセリフから引用させていただきました。

どの出展者の方もセリフ選び、写真の魅せ方、セレクトはもちろん写真の質も高く、出展者ではあるが見ていて大変勉強になりました!

私の展示について一部をお話しさせていただいた方もいらっしゃいますが在廊中に語るには長すぎたのでnoteにまとめさせていただきます。お時間がある方は是非お読みください。

キャプション訂正
最後の一文は「こんな世界をあなたはどう生きる?」



セリフと推し漫画について




“世の中に不満があるなら自分を変えろ それが嫌なら耳と目を閉じ、 口をつぐんで孤独に暮らせ “
攻殻機動隊SAC一巻






アニメ版攻殻機動隊SACの冒頭で制圧したテロリストに向かって主人公である公安9課の草薙素子が言ったセリフです。



不条理な社会の一部として自分を溶け込ませつつ信念を貫いている主人公にとって、自分の正義の大義を為すために時には自分の正義を曲げざるを得ない自分への苛立ちと葛藤を表現しつつ、後に出てくる笑い男事件への伏線として用意されています。

(このセリフはアニメオリジナルで、原作では「バイバイ テロリスト この世の中が嫌いなら二度とあの世から出てくるな!」というセリフとともに犯人を射殺しています。)

笑い男事件は社会の不正に気づき暴こうとした犯人の笑い男というハッカーが不正を白状させるべく誘拐脅迫事件を起こしたことから始まり連鎖的に事件が巻き起こる社会現象になります。

笑い男のシンボルマークにはJ.D.サリンジャーの「ライ麦畑で捕まえて」より引用し、

『I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes. 』
ライ麦畑でつかまえて

と書かれています。

また、潜伏先であった孤児院のロッカーにも同じ文が書かれています。それを見つけた公安9課のトグサが『I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes. 』というセリフを「僕は耳と目を閉じ口をつぐんだ人間になろうと考えた」と意訳しています。これは「唖(おし)でつんぼの人間のふりをしようと考えたんだ。」と訳している通常版ではなく村上春樹訳の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」版の言い回しに限りなく近い。

また、そこには末尾に"or should I ?"と書き足されています。 だがならざるべきか。


本編の笑い男シリーズ自体が公安9課発足前に最初となるセラノゲノミクス社脅迫(通称笑い男事件)からスタートし、しばらく時を空けての本編内での事件というところもあり、「ライ麦畑で捕まえて」を「キャッチャー・イン・ザ・ライ」として時が経ち再訳し新時代の『ライ麦畑でつかまえて』とした背景すらも意識したように思えるのは深読みがすぎるか。「ホールデン・コールフィールドが永遠に16歳でありつづけるのと同じように、この小説はあなたの中に、いつまでも留まることでしょう。」というキャッチャー・イン・ザ・ライのコピーさながら、笑い男も人々の中に留まるのでしょう。

ポートフォリオに書いた文字もライ麦畑で捕まえてよりの引用で本編中で笑い男が潜伏先の孤児院を去る際に残していった左ききのキャッチャーミットに書き残した一文。

「You know what I'd like to be? I mean if I had my goddam choice, I'd just be the catcher in the rye and all.」
ライ麦畑でつかまえて

は「僕が何になりたいか言ってやろうかな?ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。」という意思決定的な一文です。


数々の社会的不安、天災や疫病、SNS、承認欲求、同調圧力、仮想現実内での人格形成、現実逃避、情報の共有と並列化、スタンドアローンコンプレックス、「オリジナルなきコピー」の群れの中で私のゴーストは何と囁くか?


展示写真について


私は作品としてポートレイト写真を撮る時は「エロス」と「タナトス」を意識して写真を撮っています。
エロスは“性的な”という意味だけでなく生命力や活力、強さ、光を意識しています。また、生きる、生かされることという概念から人というものをマクロで見ています。タナトスは“死”という概念を中心に有機物である生物が分子レベルまで分解され材料に戻り循環することから人というものごとをミクロで捉え死以外にも儚さや主観での感情表現などを影を意識して表現しています。ミクロとマクロはそれぞれスケールを表す言葉ではあるが同じ世界を違った視点で見ているものと思っています。どう生きるかはどう死ぬかのゴールへ向かう道のりだと思うし、どんな死に方を決めるかはどう生きたかを決めることであるように。



今回展示した作品は上段から

問いかけ
現代社会の投影
応え
そこに至る過程


という構成にしました。

1段目は問いかけ

2020新宿



仕事帰りの人の波をスローシャッターで写した写真です。
見てくれた人が「生」を感じるか「死」を感じるか。
今回は私の主観の定義を主張するものにはしたくなかったので一枚目は問題提起として見ていただいた方に問いかけるよう、曖昧な表現の写真を選びました。


2段目は現代社会の投影

2020 新宿
2020 新宿


整えられた壁に隔離された喫煙所のガラス。そこに反射する宗教の街宣カー。もう一枚は夕陽に照らされた横たわり手を伸ばすホームレスガラスで隔たられてサラリーマンの足。私が生きるこの現代日本の側面の社会的縮図だなと思い選んだセリフとリンクできるようこの2枚を選びました。

3段目は応え

あずりなさん
雪白めぐみさん



一枚はヌード写真ではあるがヌードであることを主張せずモデルさんのそのスタンスと露出が多いことよりも印象に残る表情を意識して残しました。

二枚目は泣き顔を撮った写真ではあるが優しさに包まれた表現になるよう撮影しました。

生は時に残酷で死は等しく平等で優しい。
エロスとタナトスにより生と死を表現しています。

生(エロス)と向き合った時、強い光に照らされて自分の本質が透けて見える感覚。撮っているのは私なのに自分を突きつけられて見られている感覚。

死(タナトス)はこの展示を見てくれている時点では誰もが体験したことのないもの。でも必ずやってくるもの。やがて来る未知の死は悲しいことではあるが優しく包み込むものであって欲しい。

これが私の死生観であり今の自分なりの1段目の問いかけへの応えです。

4段目は過程


私がこの2年半で撮ってきた私のフォトグラファーとしての縮図をL版を中心とした写真のスクラップで表現しました。1段目の問いかけに対し3段目を撮るまでに実際に私が歩んだ道のり。

今でもまだまだ勉強中ですが今回は敢えて撮影当時の現像でのプリントをしました。ほぼ全ての写真に再現像をしているので多分もう今回のこのままの現像が世に出ることはありません。L版プレゼントをもらってくれた方、未熟な私の写真をもらってくれてありがとうございます。未熟な自分も肯定してもらえた気がして救われます。


今日に至るまで


制作経緯というよりも自分語りになってしまうのですがご容赦ください。

私はコロナ禍の緊急事態宣言中に写真を始めました。社会が不安に飲み込まれ街から人がいなくなり報道ヘリの音だけが木霊する中でカメラを持ちました。

コロナ禍の煽りを受け妻が働くウェディングを母体とする会社が傾き、私の本業に何かあった時のためにそれ以外の力もつけようと決意した。妻に対し何があっても「大丈夫。」と言える自分でありたかった。


写真を始めて少し経った頃、幸せな家庭を持って過ごしていたはずの昔付き合っていた人が、ある日突然自ら命を絶ったとの知らせを知人伝に聞いた。

社会を包む闇に呑み込まれていく様を実感してそんな世界の中で良い光を探した。30代後半とフォトグラファーとして動き出すにはあまりにも遅いが本格的に写真を勉強しキャリアをスタートした。

ヘアスタイル撮影の際にポートレイト撮影もさせてもらったり技術向上のためにスナップや風景なども撮った。

恥を恐れず必死に光に向かって手を伸ばし闇を見つめ写真というものを考え続け気が付けば2年半が過ぎていた。

そんな折にケンタソーヤングさんから出展オファーの連絡が来た。

2つ返事で出展を希望した。

希望して1時間後にはセリフとスナップ5枚の出展作品を決めていた。

出展者が決まったところで思いがけない事実を知る。

福島裕二さんも出展する。と

私が福島裕二さんの写真を始めて拝見したのは写真を始めて半年くらいの頃に見たとあるweb記事で、写真から感じた印象で被写体さんとこんなにも向き合って写真を撮るのかと感じたことを覚えている。そして人生で始めてこの人みたいな写真を撮りたい。では無く、この人と同じくらいの覚悟を持って人を撮りたいと思った。ケンタソーヤングさんの個展「余命百年」開催の折に始めてお会いして話を聞かせていただき、私が感じた覚悟は「絶対的な感謝」であることを知った。

福島さんの隣を希望しスナップを3枚にして一対のポートレイトを入れ、これまでの私の2年間を追加して展示した。

出展期間中、会場に展示してあったのは紛れもなく私自信であったしこの2年半でした。カメラを持ってから今日までの私の全てを置いてきたと思っています。



さいごに



私はポートレイト撮影でスイッチが入ると撮影中全く喋らずにシャッターを切るのですが心の中では「大丈夫。」と被写体の方に思いながら撮っています。

どんなあなたでも大丈夫。

全てを受け入れて生と死を考え光と影を使いあなたの作品を残す。

まだまだ未熟者ではあるが祈りを込めて覚悟を持って明日からも真摯に写真と向き合いシャッターを切っていきたい。

「僕が何になりたいか言ってやろうかな?ライ麦畑のつかまえ役、そういったものに僕はなりたいんだよ。」
ライ麦畑でつかまえて


ご来場いただいた皆様、出展者の皆さま、部屋リーダーとして解説をしてくれたはるきくん、運営のみぞみぞさん、モーリーさん、こなみさん、この展示の主催と声をかけてくれたケンタソーヤングさんありがとうございました!

感謝と賛辞と愛を込めて

3月に一件写真展に出展を予定しております。改めて告知させていただきます。よろしくお願いいたします。

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