2024/03/11


道玄坂にいる。だけど渋谷の道玄坂じゃない。店の名前。カウンターに老人がひとり、マスターと一言だけ今日は寒いですねと言葉を交わしてから、そのあとはだまって新聞に目を落としている。穏やかそうな女性二人客が入ってきて、コシノジュンコみたいな髪型の女の人のほう、たばこの煙を吐き出し方が独特。もし目の前に誕生日ケーキがあって、30本分くらい蝋燭が立っていたとしても、ひと息で吹き消せそうなくらいの息の強さで煙を吐く。店内の装飾、たくさんのビー玉と水が入ったコップ、日を浴びてビー玉の端がひかる。綺麗なのにiPhoneのカメラではその綺麗さが映らない。ちゃんと目で見て覚えておけってことかも、目で見て文字で書いてごらんってことかも、たった数秒で写し取って満足しないで、その目できちんと見なさいってことかも。だとしても、普通にカメラはほしいね。

ラジオから流れてくるNakamura emiが良い。あと数分で14:46になる。東日本大震災の発生時刻。ここにくる途中、街中に献花台が設置されていたので、側に用意されていた沢山の花からピンクのチューリップを選んで献花した。喫茶店でしばらく時間を過ごした後、46分に近づいてきたので店を出た。一人になりたかった。誰かにとってのあの時間がどういう意味があるのか、小さい空間でそれを感じたくなかった。人通りが多い道とか、はたまた誰もいない公園とか、そういう場所ならいっそ誰がどう過ごしていようが気にならないけど、こういう小さな空間で楽しそうにお喋りをする人と黙祷する人と、どちらも存在した場合、どういう気持ちになっていいのか分からない。

街中の至るところで追悼コンサートが行われていた。綺麗なオーボエの音が聴こえた気がして、人混みから演奏者を覗くとソプラノサックスを吹いていた。音が柔らかすぎる、あんな音が出るのか。新聞記者と思わしき人が、近くにいた老年の男性に「黙祷はしましたか?どんなことを考えていましたか?」とインタビューしていた。男性はかなり耳が遠いみたいで、ええ?ええ?と何度も聞き返していた。黙祷をしたか聞かれるのは嫌だなと思っていると、目の前にいた60代くらいの夫婦の夫のほうが、妻の背負っていたリュックの肩紐のねじれをそっと直していた。それが私の涙腺を緩めていまにも泣いてしまいそうになった。側から見たら、私はいま13年前を思い出して泣いているように見えるだろうか。

さらに歩いているとオルガンの音が聴こえてきた。電子ピアノかな?と思って音を出している楽器を探すも見当たらず、音を追って上を見上げるとパイプオルガンを弾いている人がいた。

宙に浮いているパイプオルガン

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