見出し画像

四天王寺亀井水の古代水道と大阪市水道管破裂の現在

飛鳥時代の水道工事

四天王寺の中心伽藍、金堂の真ん中床下には、創建以来の井戸があります。つまり、四天王寺全体のご本尊である救世観音様の真下は井戸です。この井戸は参詣者には見えません。

資料写真は、戦後、空襲で焼け落ちた跡の、発掘調査の時のものです。井戸枠は飛鳥時代のものではありませんが、井戸そのものは、地主神として聖徳太子が鎮祭した龍神様の水として、まもられてきたのです。

画像1

この井戸の水が、亀井水へと導かれ、亀型水盤に注がれます。

画像2

亀井水コラージュ。

つまり、すくなくとも金堂から亀井水への地下水道が存在するのです。

私は、四天王寺境内全体に、古代水道が存在するのではないかと、想定しています。そうした調査はおこなわれていません。

奈良県明日香村では、豊浦寺や飛鳥寺で、水道が確認されています。飛鳥時代には、水道工事の技術があったと考えていいでしょう。

四天王寺の中心伽藍の東重門には、白鳳時代の瓦製の排水路が、ガラスごしに観察出来るようにされています。

金堂から亀井水への水道は、亀井水の取水口の位置から、境内の地下2メートルあたりにあるはずです。おそらく、石組みの頑強なものでしょう。1400年の時間に耐えてきたのです。

水道管破裂の現代大阪市

画像3

大阪市中心部を流れる大川は、秀吉による淀川筋変えまでは、淀川の本流でした。両岸は毛馬桜ノ宮公園の桜並木。やがて、寝屋川と合流し、中之島により堂島川と土佐堀川にわかれます。

江戸時代は、大川の入江は青湾と呼ばれ、大阪城の茶会の水をくむ、清流でした。

明治28年、この大川の清流から、大阪市の水道が始まります。

画像4

大川左岸、都島区がわの遊歩道に残された、取水口のひとつ。

画像5

大阪市水道発祥の浄水場は、のちに国鉄貨物ステーション淀川駅となります。民営化により淀川駅は廃止され、大規模高層マンション群となります。その中に、水道発祥のモニュメントとパネルがあります。

画像6

画像7

大阪市の水道は、明治28年から、126年の時を経ているわけです。

近年豪雨災害による浸水被害対策として、大阪市は各所に大規模下水道の整備をすすめてきました。

一方で、急に深刻な問題として報道されたのが、上水道管の老朽化です。市内の半分の水道管が、寿命をすぎ、毎年100箇所で破裂している。

新自由主義を信条とする大阪維新の会は、大阪市の公共工事を大阪府に一元化し、全体を民営化する方針をとってきました。いわゆる、とこ〜そ〜なる大阪市廃止路線です。

水道民営化は、前世紀末の新自由主義のはやりで、世界中で試みられ、ことごとく失敗しています。維新の会は、民営化を目指し、まず水道管工事を民間に丸投げしようとしましたが、頓挫します。次にはおそらく、水道全体を民営化することで、老朽化問題を解決しようとするでしょう。しかし、水道事業はそもそも採算のとれないものです。

専門技術職公務員を育て、継続的なメンテナンスが必要です。外部業者に丸投げして、安く済まそうというのでは、知識技能の蓄積ができず、非効率となります。

大阪市は、空前の高層マンションブームで、人口増加に転じています。しかし、土台となる都市インフラが極めて脆弱なものになりました。水道が維新できなければ、各地の高層ビルは廃墟になります。

などと迷っていたら、昨日、和歌山市で紀の川にかかる水道橋が崩落しました。市内北部が広範囲に断水しています。

すべての地方で、戦後成長期のインフラが老朽化しています。さて、どうしましょうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?