フォークダンスDE成子坂について。

先日放送のお笑い実力刃では、まさかのフォークダンスDE成子坂の特集をやっていた。令和の今、どれだけの人がこのコンビを知っているのか。
僕が彼らのネタをしっかり見たのは最初期の「爆笑オンエアバトル」。
とはいえ、この時点で既に解散が決まっており、おそらく彼らがテレビで最後にネタをしたのもこの時だろうと思う。
同じステージには、のちに初期のオンエアバトルを牽引するラーメンズやますだおかだもおり、歴史的な世代交代の瞬間ではあったが、世間的にはボキャブラブームも終わり、この番組も始まったばかりで大した盛り上がりもなく、レギュラー放送として深夜で淡々と放送されていた。

彼らはガハハキングという、ネタで10週勝ち抜くと優勝するという番組で、爆笑問題に続く二代目チャンピオンになる。ストレートで勝ち進んだとしても最低でも10本のネタが受けなければチャンピオンにはなれない。ある意味、M-1並にしんどい条件だが、そんな過酷な条件でも見事勝ち抜く実力派の芸人だった。
ボケの桶田の甘いマスクもあり、当時のお笑いライブシーンやボキャブラでもアイドル的な人気があり、キャーキャー言われていたが、それだけではなく何よりも彼らにれっきとした実力と才能があった。
番組には、くりぃむしちゅー有田や爆笑問題太田、土田晃之、ホリケン、名倉、キャイ〜ン天野、ますだおかだの増田、スタジオゲストとして古坂大魔王など、錚々たる顔ぶれが彼らを賞賛していた。

番組では彼らの代表作のコントを4本やっていたが、久しぶりに見るネタや知らなかったネタもあったが、今見ても充分面白かった。これを90年代に、そして芸歴数年でやっていたのだから圧巻である。
斬新な発想、的確なツッコミ。天才的であるが、しっかりテクニックや技術もあるとんでもないコンビであったことがよくわかる。
しかし、この番組以前に爆笑問題太田は彼らのことを賞賛しながらも、「あいつらは天才すぎた。天才すぎたせいで売れなかった」と語っていた。その理由もなんとなくわかる。ネタは凄く面白いが今見てもひとつひとつのボケの発想がぶっ飛んでいる。センスはあるがどこか狂気的なものすら感じた。
そしてどこか天邪鬼なところもあり、事務所のネタ勝ち抜きトーナメントでは、全組持ち時間1〜2分くらいの場面では、他のコンビが頑張って短い持ち時間でネタをやる中、彼らは自分たちの通常の持ちネタをそのまま早回しで演じていた。
当然ネタの内容が訳がわからず、MCに何故こんな感じでやったの?と聞かれ、自分たちにこんな短いネタがないから、としれっと答えていた。


解散後、桶田は音楽方面に、ツッコミの村田はピンでネタをやったり、「鼻エンジン」というコンビを組んだりしていたがいずれもパッとしなかった。
村田は酒に溺れ、愚痴をこぼすことも多かったそうだ。のちに村田は若くしてこの世を去ってしまった。
この時点でフォークダンスDE成子坂というコンビは永久に復活することはできなくなってしまった。
後に桶田は解散理由やコンビ間に何があったのか。自身のポットキャストで語っていた。
おそらくこの時点で既に自身の死を悟っていたのだろう。
この配信の後に桶田の訃報がネット記事に流れていた。
ポットキャストでは、照れ屋の桶田らしく、毎回の放送では聞き手の後輩?らと必ず美味しいメシの話などの雑談から入り、徐々に真面目な話になっていくという流れだった。
多くの芸人から憧れられる才能あふれる彼らにもそれなりの悩みを苦悩を抱えていたことが窺えた。
順風満帆のデビューから、トントン拍子で行くかと思われたが、少しずつコンビ間や周りの環境とのズレが生じていく。その事実を桶田自身の口から聞けたのはとても貴重だった。
才能や実力に恵まれても、それ以外の要因で売れないこともある。
それを思い知らせる気がした。
番組で、他の芸人たちはもし2人が売れていたら今世に出れなかったコンビもいただろうに、とまで言っていた。

桶田は自分たちを悲劇のコンビにしたくない、自身の死も5年後に公表してくれと奥様に伝えていたそうだ。
桶田敬太郎、最後まで見事な芸人だったと思う。

最後に、フォークダンスDE成子坂を知らなかった今の若手たちがあの番組を見て、こんなコンビがいたんだ!と知り、コントを見て影響を受けて欲しいと思った。
そしてフォークダンスDE成子坂を忘れず、これからも語り継がれる伝説のコンビであって欲しいと願わずにはいられない。

♯フォークダンスDE成子坂
♯お笑い♯コント

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