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「とにかくな、スコンと抜けてるほうがええねん」と彼女は言った。

今日もまた、何も考えずにただ、だだだーっと書ける時間がやってきた。晩ごはんは茹でたてのパスタにシーチキンと大根おろしをかけたやつだった。醤油にわさびを多めに溶いてパスタに垂らし、焼き海苔をぱらっと散らすだけで美味しい。
例のごとく、いま取り組んでいるお仕事のことで頭はパンパンだ。それでも半分はめどがつき、さああと半分、となったところで電池切れ。今日はもう休憩して、実家の父ちゃんが以前買ってくれた簡易肩もみ機に寝転ぶことにしよう。
そういえば今日の夕方、実家の母ちゃんがいつものように突然電話してきて「どこにおりますか?いまあんたの家の前におるけど」と父ちゃんを連れて突撃してきたんすよ。卵30個とヤクルトとミルミル、それからちりめんじゃことか佃煮とか甘納豆とか割れせんべいとかイチゴとか、すごい量の孫たちへの貢物を持ってきてくださった。しかも茶のみ話にいろんな教訓を混ぜ(人間は最終的には頑張らないとだめ、とかそんな話やったな母ちゃん)、昨日私立高校受験を終えた長女には答えがわからない時の必殺技まで伝授しようとしていた。それは鉛筆をコロコロして選択問題を当てろという…オイ父ちゃん!有益な情報を…ありがとうな笑。しかも孫とバトミントンまでやって遊んで帰ったぞ父。80歳のくせに動きがよかったのでビデオ等で記録を撮っておいた。まあ77歳には見えたな。あんたたち長生きしなさいよ。
いまはというと午後9時を過ぎ、畳の居間に座ってパソコンの前、周りには下の子ども2人と猫のナナちゃんがいて、なぜか畳半畳ほどのスペースに人間3人と猫が1匹。それって人口密度が濃すぎるんじゃないですかい。
わたしは原稿1本書くと結構精魂尽き果てるタイプなのだ。放電し尽くして、なんの力も残ってはいない。そやけどそんな状態から出てくるもの、ないところから持ってくるものこそ本来の力なのだろう。わたしはそのことを18年前、母乳が出なかった時に身をもって学んだんよな。母乳は白い血液というらしいが、全然乳量が足りないとき、自分の内部で血液が母乳に変換されていく感覚…自分が底をつきそうになった瞬間に、あのイメージを使うことって結構よくあるんすよ。
しかし本来の力って、実は自分の内部から出てくるものばかりではない。外と繋がってお借りするからこその力ってあるのではないか。機織り作家をしている親しい友人に話を聞いたとき彼女は「とにかくな、スコンと抜けてるほうがええねん」と言った。自分はでかい筒のようにスコンと抜けて、どっか自分の外部にある大きな力の出どころに接続する。そうするとダダッと作品ができる、というのだ。わたしはそのことを聞いて芯から感心し、とてもよく分かる気がした。ただ、自分の性質から結構雑念が邪魔をして、でかい筒になるまでに時間がかかることが多い。ああ、猫のナナちゃんに加えてハチくんまでが机の下に集まり、なんかザワザワし始めたじゃないですか。こんなんだから気が散ってしまうのだ…と思う心と反対にキーボードを打つ指に勢いがついてくるから不思議。あれ、わたしって雑念だらけのほうが集中できる人間なのだろうか。
猫だらけ人間だらけ、新聞だらけで脚も伸ばせずにいる。はっきり言ってこのままではエコノミークラス症候群の予備軍だ。頼むみんな、独りにしてくれ。父ちゃん母ちゃんもなんで原稿の文末を思いつく前に突撃してくるんじゃ、笑…と思いながらこの状況を喜んで歓迎している自分がいる。眠てえー、でも寝ない。だって今日は金曜日なのだ。やっと明日は朝寝坊できるってのに、早く寝たらもったいないじゃん。というふうに自分の中に相反する自分を飼っていて、ウキウキ喜んでいる。わたしは厄介な人間なのかもしれんなーと思う。
はあ。いよいよ眠い。もしかしたら眠りこそが自分の外部とつながる太い筒なのだろうか。そうしてどっかからでかい力をお借りして、元気な朝が来る。それが休日の朝ならなおさらだ。寝坊したっていいのに、なんだか早起きできそうな気がしてきたなー。おやすみっす。さあ、肩もみ機にダイブしよっと。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。いただいたサポートを糧に、学んだり動いたりして、よりよいものを書いていきたいと思います。これまでサポートしてくださった方にも、この場を借りてお礼申し上げたいです。本当にありがとうございました!