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坐禅会で考えた。「文章って一体なんなんだ?」

この前の投稿では、坐禅のことを書いた。そのあと1日坐禅する会にも参加して、素敵なご老師(すごいお坊さんのことです)や主催者の方たちにお会いすることができた。それでわたしはいよいよ、今この瞬間を生きることに集中しようと気持ちを新たにしたのだった。それが2週間くらい前のことだ。
「ハイこれからは今この瞬間を楽しんで生きるぞ!!」って思ってた。しかし、そうは上手くいかないのが人間ってものなのか。頭でも心でもわかっているつもりだったのに、それからわたしは完全に流されて過ごしてしまっていた。ちょっとした無気力…なんだか色々に集中してがんばることができないのだ。それって学んだことと逆じゃんか。

中学生だった長女の受験生活は終わった。ここでは今は書かないけど、それは激動の日々であった。今、彼女は見事に気持ちを切り替えて4月に向かっている。映画「ハイキュー!」を観たおかげです。ハイキューを作ってくれた人たちありがとうございます。そして長女よ、よくがんばった。超超偉いぞ。上の息子は通信制の大学生になる。息子も出願がんばった。めっちゃ偉い。次女は長女が通っていた中学校に入る。素敵。小学生は末っ子だけになる。おりこうさんだぞ。
というわけでこの頃、子どもらはみーんな偉かったが、母は今、ダメダメだ。ライターを始めてせっかく2年やってきたし、まだまだ書くことがあって書きかけのものもあり、それを預かっている身として、ちゃんと仕上げないと。そう思って心の中はもがいている。詳しくは忘れてるけど大人のおじちゃんと大げんかする夢ばっかり見てる。ああ、J子よ、がんばっておくれ。自分で自分にそう思ってる。しかしがんばるがんばる書くとなんだか苦しくなってくるではないか。やりたいこと、好きなことをやっているはずなのに、なんだこのジレンマは。

話はえらい変わるんやけどこの前の坐禅会のことを書く。わたしは1日中坐禅する会なのかなと思ってた。でもそうじゃなかった。途中途中に色々あるのだ。まるで「徹子の部屋」みたいに老師の特設コーナー?に呼ばれていってマンツーマンで話をする「独参」っていう時間にまずビビった。坐禅してたら「Mさーん」ってわたしの苗字を呼ぶ声が聞こえてくる。行ってみると主催者の方が「老師とお話してきてください」っていうじゃあないですか。
え、何話したらいいんすか??ちょうど坐禅もしよったとこやし、頭真っ白!!ってなったけど…そやけどドアを恐る恐る開けようとしたら向こうから老師が明るくスコンと抜けた声で「どうぞー!」っていうからなんかホッとした。向かい合っても10秒くらいは何を話したらいいか全然わからなかった。だけどじっと座っているうちに、老師がとてもお茶目な方っていうのか、そんなに怖くないなと途中から思えてきた。なんか誰か親戚みたいな近しい感じもするし、とにかく不思議となんでも愚痴れるし質問もできる。老師との時間が楽しかったのだ。いや、愚痴ったらいけんよな笑だって超すごいご老師で!!…わたしはそんなの初めてだったから呼び方も分からなくて「あの…老師は、老師さん、老師様は、っていうか、なんて呼んだらいいんですか、ご、ご老師…でしょうか」と困っていたら「なーんでもいいんだよ笑」と言ってくれた。なんでもいいわけはないが笑
老師は超人気者…っていうか、全国からファン?の人が7、8人くらい来て大分の人と混ざり合ってた。3日間の日程で最終日にはジャズのライブも予定されていた。そこでは老師が音について語るという。わたしが参加したのは2日目で、朝8時半から夜8時半までのスケジュール。昼も夜もみんなでゆーっくり一緒に美味しいご飯を食べたし、午後にはご老師のお話タイムと質疑応答時間まであった。それがまたとーてもゆっくりゆったりとした時間で…その時、わたしはどうしても老師に質問したくなってしまった。それは言葉のことだった。

食べものを食べると即座にその味がわかる。今食べたものの味がするようになっているし、今触れたものの感触がわかる。人間ってよくできているじゃんね、と老師はいう。チーンと鳴るあのほら、仏壇の前にある「お鈴(おりん、っていうのかな)」お話を続けながら、あの「お鈴」を遊ぶように味わうように鳴らし続ける老師。しまいにはテーブルの上に、くるっと逆さまにして伏せてしまった。そして、今って楽しいじゃん、と言ってるみたいに無邪気な笑顔をしているのだ。
わたしはご老師に尋ねた。目の前にお鈴がない人に時空を超えてその物のことを伝えるために、言葉に変換するとする。黒いお椀のような、半円形の、触るとひんやりして、鳴らすとチーンといい音が鳴るそれ。黒にも色々あるし、それを見て緑と感じる人だっているかもしれない。虚飾が過ぎるとその物から遠くなってしまう。だから伝えることってとても難しいと感じるんですが、どうなんでしょうか。この大分でわたしの目の前にあるもののことを、例えばロサンゼルスの人にそのまま伝えるにはどうすればいいんでしょうか…一字一句は覚えていないけど大体そんなことを質問したんですよ。
そしたらご老師はそれに直接答えなかった。けどなんか「向こうの人にもこれを触ってもらったら?」みたいなことをポロッと言ったんですよね。え?!触ってもらう!?そんなこと考えもせんかった。電話するとかですか?
老師は手にホワイトボードマーカーを持ってて、例えば「これを伝えるには向こうの人がこれに触れればわかる」みたいなことを言ったと思う。ということはですよ。まずホワイトボードマーカーのことを伝えたい人に電話して「ちょっとホワイトボードマーカーを手に持ってみて!それそれ、その感じ、わかる?」みたいな伝え方がある、ってことで…

えーっ!!!そしたら、ある意味では「文章って要らない」ってことになるんかも?…わたしはそう思って、驚愕したんすよ。

いや、ご老師はそうは言っていないけど。答えは言わずにニコニコ笑ってヒントみたいなのをずっと連発していたっけ、ダジャレを混ぜながら笑。それで、わたしが思ったことは
「文章って一体なんなんだろう…」ってことと、
「これが禅問答ていうか分からないけど、超おもしろい!!」ってことだったよ。

ああ、がんばれねえ。集中できねえけど、生きてるだけで日々ご褒美みたいな出会いもあるし。パソコンが冷んやりしてる。頬に当てた手のひらが温かい。右膝しびれてるな。腰痛い。そう、自分の身体を通してもう1回、今この瞬間を楽しんでみよう。はあ眠い。おやすみっす

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