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花虹源氏覚書~第一帖桐壺(三)

昔々その昔、帝の御子に光君と呼ばれるお方がおられました。
源の姓を賜り臣下となられましたが、三人のお子様は、お一人は帝にお一人は后にお一人は人臣の位を極められたそうな。
そのお血筋の末の末、とある姫さまに教育係の女房が語る源氏の君の物語

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むかしがたりをいたしましょう

帝は、亡き桐壺更衣の忘れ形見の若宮をお里である二条邸からよびもどしました

若宮は、しばらく見ないうちに成長し、この世のものとも思えぬ気品と清らかさで、鬼神に魅入られてしまうのではないかと心配になります

―——おおげさねえ。それよりも、ねえ教えて、東宮はどうなったの。

東宮には弘徽殿女御のお産みになった第一皇子がお立ちになりました

帝は、本心では愛しい若宮を東宮に、とお望みでした
しかし、無理を通せばかえって若宮のためになるまい、とその気持ちはお心のうちにおさめておられましたので、帝の並々ならぬご寵愛の様子を危ぶんでいた世の人々も、とりわけ弘徽殿女御も安堵して、宮中は平らかでございました

二条邸の祖母君は、若宮の東宮立坊に一縷の望みをかけておられたのでしょう
落胆なさってお心が弱り、夫や娘のいるところに自分も行きたいと願い、そのお心がお身体を弱らせ、とうとうお亡くなりになりました

若宮は六歳におなりです
三歳で母君を亡くしたときとは異なり、その悲しみは深く、おばあさまを恋しがって泣いておられました

祖母君は、掌中の珠である若宮を寄る辺少ない現世に残す心残りを繰り返し繰り返し最期の床で述べておられました
それを聞き、帝も深く悲しまれたとか

―――祖母君はたったお一人で亡き御夫君の願いを遂げようと奮闘なさって力尽きてしまわれたのね。
   若宮も、まだお小さいのにお母さまだけでなくおばあさまとも死に別れてしまってさびしいでしょうね、かわいそうに。
   教えて、その後、どうしたの?

里の祖母君が亡くなられたので、若宮はもっぱら内裏でお過ごしです

帝は、若宮が愛しいのと不憫なのとで常にお側におき、きさき方のところへお渡りになる場合もご一緒です

弘徽殿にも連れていき「更衣のことは、今更憎むことはありますまい。母君のいない可哀そうな子です、情けをかけてやってください」などと言い、御簾の内にも入れてしまわれました

―——帝もおかしなことなさるのね。私が弘徽殿女御だったら、そんなこと言われても、はいそうですか、と言いたくないけれど。

宮中で一番の権勢を誇るのは、東宮の御母君である弘徽殿女御でございます

宮中で過ごすしかない幼い若宮が弘徽殿女御に睨まれたら、その威光を恐れて若宮をかばうものなどおりませぬ
そのようなことにならぬように、という帝なりのご配慮でございましょう

なにしろ若宮の愛らしさは、たとえ屈強な武士や仇敵であったとしても、おもわず微笑んでしまうほどなのです
直接合わせてしまえば、弘徽殿女御もすげなく突き放すことはなさるまい、とお考えになったやもしれませぬ

弘徽殿女御が若宮がお側に寄ることをお許しになったのですから、ほかのきさき方もお姿を隠しているわけにはまいりませぬ

そのうち、愛らしく聡い若宮は、宮中の女人たちの気の置けない遊び相手として大層可愛がられるようになりました

七つとなり、読書始めが行われました
本格的に漢籍を学び始めますとその聡明さであたりを驚かせます
漢学など正統派の学問はもちろん、琴や笛など音曲も巧みで皆が聞きほれてしまいます、さらには・・・

―—— もう、そのくらいでいいわ、褒めすぎよ。その素晴らしくて完璧な皇子さまはこの先どうなるの?

帝は、若宮があまりにも優れていらっしゃるので、その行く末についてお心を決めかねておられました

そのころ高麗から来朝した使節のなかに、観相をよくすると評判の占者がありました

若宮の身分を隠し、臣下の子として占わせたのですが、相人は驚いて、なんどもなんども首をかしげて不思議がりました

 「帝王となる相なり されど帝位を望めば天下に騒乱あり
しかれども ただ臣下にて果てるご器量にはあらず」

帝はこの観相を聞き、かねてよりお考えのことと思い合わせて感じ入るところがあったのでございましょう

さらに、本朝の観相人と宿曜の博士に若宮のことを占わせました

―——「観相」は、その人の容貌や骨格などで性質や運命を占うこと、「宿曜」は、星の運行をもとに人の運勢を占うこと。三人もの方に占わせたのね。
   教えて、それで帝はどのように若宮のことをお定めになったの?

東宮にお立ちにならない皇子様の行く道は、宣下を受けて親王となるか、姓を賜り臣籍に下るか、憂き世を捨てて仏弟子となるかでございます

若宮の生まれ持った聡明さや清らかな気品は際立っていて、皇族の尊いご身分を失わせてただの臣下となすにはあまりにも惜しいとお思いです

しかし、親王となせば、世間の人々から帝位を狙っていると疑いをもたれることもあろう、野心を抱くものに利用されることもあろう、と危ぶんでおられます
また、母君の身分が低くお身内も既に無い若宮では、親王の中でも高い位は望むべくもありません

帝は、ご自身が退位された後の世で、若宮を不安定な心細い身の上におきたくない、それならば朝廷を支える重臣となる方が希望が持てよう、と若宮を源氏となすことをお心定めなさいました

―——若宮は、「源」の姓を賜って臣下となるのね。
   でも、占いによると「ただの臣下」では終わらないのでしょう?
   なぞなぞみたいだわ。
  「何ぞ何ぞ これ何ぞ 帝ではなく臣下でもない さあ如何に?」
   教えて、若宮は結局どうなったの?

答は早々には手に入りませぬよ
長い長いむかしがたりの果てに見つかりましょう
あせらず ゆっくりと お聞きくださいませ

さあ、むかしがたりを続けましょう

若宮は、年月を重ね、美しく賢くお育ちになっておられます
その時薬をもってしても亡き桐壺更衣の面影が帝の御心から去ることはありません

帝のお慰めになれば、と選りすぐられた姫たちが新たにきさきとして入内されましたが「愛しいひととは比べものにならぬ」と悲観して、すべてが疎ましく心楽しまぬ日々を過ごしておられました

そんな帝のご様子を憂えたのか、帝にお仕えする古参の典侍が、とっておきの噂話を申し上げました

―—— おばさま女官の情報網って千年前から強力なのね。
    教えて、どんな噂なの?

先帝の四番目の姫宮のお噂でございました

典侍いわく
「三代の帝にお仕えしていても桐壺更衣ほどのお美しい方はいらっしゃいませんでしたが、先帝の四の姫宮さまは、よく似ていらっしゃいます。
先帝の御代、幼いころを見知っておりまして、たいへん愛らしい姫様でございましたが、近頃ご成長なさったお姿をほのかに垣間見たところ、それはもうお美しくて」

帝も、もし本当に似ているのであれば、とお心を動かされ入内を促されました

噂の四の姫宮の母君は先帝の后、中宮でございました
母后は、姫宮を大切に守っておられましたから入内のお話に眉をひそめました
弘徽殿女御の威勢が強く、また、桐壷更衣が非業に亡くなったような宮中へ入内させるなどとんでもない、とのお考えです

母后が首肯しないので入内のお話は滞っておりましたが、そうこうしているうちに母后がお亡くなりになりました

姫宮はとたんにお心細いお立場におなりです
帝がここぞとばかりに熱心にお誘いになるので、姫宮の兄君である兵部卿の親王なども入内をお勧めし、とうとうきさきとなりました

―—-四の姫宮は、どのようなお気持ちだったのかしら。
   最愛のひとに似ているから、と求婚されても、私はうれしくないわ。   
   でも守ってくれていた母后はいなくなって、兄君は頼りないし、仕方ないのかしら。
   教えて、姫宮は宮中でつらい思いはなさらなかったの?

縁談を断るにも力がいるのですよ
小さくかよわきものが、嵐から守ってくれていた大樹を失ったとき、自ら嵐に立ち向かうのか 次の大樹を探すのか、どちらが是か非かはそれぞれの理がありましょう

さて、四の姫宮は飛香舎を賜りました。これからはその名にちなみ、藤壺の宮とお呼びいたします

典侍の噂通り、お美しく、驚くほどに桐壺更衣にそっくりです
桐壺更衣と異なり、藤壺の宮は申し分のないご身分ですから、だれからも批判されることなく帝もお心のままにご寵愛することがお出来になります

帝は、桐壺更衣を忘れるというのでもなく自然と御心が移ろいなぐさめられるようでございました

若宮は、臣籍に降下し「源氏の君」と呼ばれるようになりましたが、相変わらず帝のお側にあり、お渡りにしたがってきさきがたにもお会いになられます
どのきさきがたも皆、とりどりにおきれいですが、源氏の君からみれば、年かさの女人ばかりでございます

その中で、藤壺の宮はひときわ若く美しいのです
母である桐壺更衣のことは面影すら浮かばないのですが、藤壺の宮が母に似ていると聞き、懐かしく慕わしく思い、常にお側にいたい、親しくお側にいてあまえたいとお思いになります

藤壺の宮は、元服前とはいえ、男の子に顔を見られるのを恥ずかしく思うのですが、帝が「そのようにいやがらないでください。この子は、面差しが亡き母によく似ているので、貴女にも似ているでしょう。貴女とこの子が本当の母子のように思われるのですよ。」などと仰るので身を隠すこともできません

源氏の君は、春には花を、秋には紅葉を、とこまやかに幼き慕情を込めて藤壺の宮におくるのでした

いつしか、帝のご寵愛深きめでたさと清らかに光り輝く美しさから、源氏の君を「光る君」そして、藤壺の宮を「輝く日の宮」と称えて並び呼ばれるようになったということです

続く

岩波文庫 源氏物語(一)19ページから25ページ
見出し画像は 週刊朝日百科 絵巻で楽しむ源氏物語 高麗の相人にあう源氏

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