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ナナメの夕暮れ/若林正恭

2022年2冊目📚

こんなに共感することができるエッセイ本だったとは。
もはやほとんどの人が知っているオードリーの若林さんのエッセイ本だが、単行本が出たときはなんとなく気にはなっていたけど手を出すことはできなかった。当時は何か読んでみたいという決定的な一打がなかったのではないかと思う。でも、これは間違いだったのは今読んでみて分かる。

あと僕にとっての決定的な一打は、書き下ろしのあとがきだった。単行本の発売から数年経った今の若林さんは当時の自分をどう見て、どう感じるのだろうか。そして、どんな言葉を新たに綴るのか。それが楽しみだったのが、一打となった。

ただこのところ、どうも読書が進まないという悩みがあって、この本を読み切るのにも多分1ヶ月くらいかかってしまっている。最初の方は、若林さんの綴る文章がどこか心地よくて、分かる、この気持ち分かるという感じで読み進めていたのですが。とまぁ長い時間をかけながら、本日読み切ったわけです。

さて、楽しみに読んでいたこの本ですが、前半の方は付箋をしないくらい夢中に。後半は今日読んでいたわけですが、ここからいつものように自分が気になった場所に付箋を貼るという作業を開始。

で、その付箋をしたものの中でも僕が一番共感したのは、『自分探し』についての話。自分探しというと自己啓発に走っている人とか、バックパッカーとか、世界中を旅して自分が何をしたいのか探すとかいうのを指すように僕も理解していたのですが。若林さんに曰く、自分探しをしなくてはいけない人とは、自分がよく分からない人のことを指すようです。それで、自分がよく分からない人というのは、他の人と自分が何か違うような気がしている人のことだと。

そういう自分が分からない人間は、『自分を探して見つけないとこのクソ社会を生き抜くことができない』と。

分からないから、探すしかない、分かろうとするしかないのだ。そうじゃないと、この社会野中で自分が生きていくのが大変で、苦しむことが分かっている。だから、自分探しという勝手に名付けられた言葉で自分の分からないを見つけにいくのである。しょうがない、そうしないとこの世に自分の存在があることを証明できないように感じてしまうのだから。

自己啓発、バックパッカー、世界を旅する、憧れたときあったな。

『俺はもうほとんどの人生は“合う人に会う”ってことで良いんじゃないかって思った』
合う人に会う。よくこんな言葉出るなぁ、すごい。合う人に会うために、これからも僕らは人に会い続けていくんだろうし、そこで合う人に出逢えたときの喜びってのは、もしかしたら人生の中で貴重な瞬間なんだろうな。少し人に会う機会が減っているので、合う人に会いたいですね。

若林さんが1人でベンチでぼーっと隅田川を眺めてる場面があるのですが、なんとなくそこにはいない春日さんがいるように見えたんですよね。若林さんの文章の横にはいつも春日さんが横にいるような感覚があるんです。コンビだからといって、片方の活動の片鱗に相方が浮かんでくるということは変なことではないだろうけど。テレビやラジオでしか分からないけど、2人のいい関係が影響しているのかもしれない。2人が高校生時代からふざけ合っていたという回想シーンがあるんだけど、想像できるんです、その姿が、今と変わらない2人が。40歳を超えたオジさんと呼ばれる世代の2人かもしれないけど、その2人の無邪気に笑い合っている。互いが絶対的な存在なのでしょう。

いや、本当にいいエッセイ本だった。フリマアプリで少しいつもよりも期待して購入した本だったけど、この本はずっと手元においておこう。


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