見出し画像

「成り立っていない私たち」上町しぜんの国保育園園内勉強会アーカイブ09

2022年度、最後の上町園内勉強会。
テーマは「成り立っていない私たち」として、ゲストに札幌トモエ幼稚園の宮武大和さんをお迎えしました。

まずは、上町しぜんの国保育園の保育者、井上あさみより事例発表。小学館「わたしの保育記録」で佳作を受賞したこともあり、写真をまじえて話してもらいました。

事例としては、散歩の帰りにぐちゃぐちゃになって、歩けなくなって、さてどうしよう…となったところからの顛末。
ある子がそれなら歌を歌ってあげよう、と言い出したものの、「はずかしいから、みんな目と耳をふさいで…」なって…。
詳しくは、小学館のwebサイトにほどなく全文が載ると思いますのでそちらをご覧ください。

ちなみに事例発表を終えて、井上からのまとめでは
・『目に見える解決をしていない』からこそ、『問題解決のために協力し合った』だけではないからこそのおもしろさ、一体感を感じた
・おとなの力で、さっさとまとめて連れて帰っちゃうことはできたかもしれない。けれど、それでは「もったいない」とその瞬間に思った
とのことでした。

参加者からは
・「大人がリードしすぎない」というのが良いと思いつつも、難しい…。
・大人が解決したらもったいないと思った時に、「待たねばならぬ」と思ったのが、「待ちたい」と思ったのか?
・待つという時の自分の立ち位置について迷うことがある
・組んでいる保育者によっても、どこまで待てるかは変わるような気がする
などなど。

井上からは、
・以前、青山さんに「困ってからが保育でしょ」と言われたのが念頭にある。こういうことが起きた時に「待ってみよう」と思っている。感覚としては「待ちたいな」だったと思う。

青山からは
・保育をしているとき、ついつい「〜しなければならない」というタスクになってしまいがち
・でも「ここで大人が解決したらもったいない」という思えることは、「子どもの時間の内側」に入れることであり、ほんとうはそれこそ保育の価値かもね
・そして、そういう子どもの時間の内側に入れるチャンスは日常の様々な場面にある


続いて、札幌トモエ幼稚園の宮武大和さん。
宮武大和さんといえば、エデュカーレの表紙写真を始め、保育のさまざまな瞬間を印象的な写真で映していることでも有名です。

今回は、宮武さん自身がいま感じている課題感を話してもらいました。
「最近の「なりたってなさ」には、写真を撮ることに対する自分の気持ちの変化がある。
マニュアルフォーカスで撮っていた13年前の自分に負けている今の自分。
狙って取りに行こうとしている」とのこと。

そのさいに、写真を「撮り始めた頃の写真」と、「撮り慣れた最近の写真」を比較しながら語ってくれました。


写真を取り始めた頃の一枚



宮武さん自身の分析では、
・撮り始めの写真はぶれたり、技術的にはまだまだ
・技術だけ見たら、当然「撮り慣れ」の写真のほうがいい
・けれど、撮る瞬間のことをいえば、撮り慣れたいまは「写真としてのできあがり」をすでにイメージしながら撮っている
・経験が重なり、どんな構図で撮るのが良いか予測できてしまう
・年齢による身体の変化がそうさせているのだろうか
・自分のなかで「写真を撮る人」と縛ってしまっている
・写真のできあがりとしてはよくても、いまひとつ、子どもに触れられていない気がする。撮り始めのころのほうが子どもに近かった気がする

参加者からは感想というより、札幌トモエ幼稚園の実践ふくめて、あふれるような質問があとからあとからでました。

青山からは…あのさぁ、率直に言っちゃってもいい?という前置きのもと、
・やっぱり圧倒的に「撮り始め」の写真のほうがいい!
・なぜって、そこには大和くんと子どもとの関係性があらわれているから
・いまの「撮り慣れ」の写真のほうが、写真としての出来栄えはいいかもしれない、雑誌の表紙になったりするのはこっちなのかもしれない、でもさぁ
・それはなにも、宮武大和じゃなくても、撮れるんだよね
・宮武大和と目の前の子どもとの「間」にある一秒を、写真という表現をつかって見せてくれる、それこそ、世代を代表する保育者である宮武大和がやってきたことなんじゃないの?

以上!

さて、来年度も上町園内勉強会はリニューアルして、続きます!
さらにバージョンアップする予定です。でもぼちぼちやりますw
近日中にこちらでもお知らせしますので、楽しみにお待ちくださいませ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?