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ナツコイ

 今日私は髪を切ることにした。

 高校生の時にモデルとしてスカウトされ、有頂天になっていた。最初は小さな仕事でも売れしくてしょうがなかった。
 雑誌の表紙を飾ったことも何度かあった。今にしてみれば、あれが最高潮の時だったのかもしれない。
 そして気が付いたら、もうすぐ30歳に手が届く、売れないモデルになっている。
 私に残されている道は二つ――このままモデルを廃業するか、それとも脱ぐか。
 それを決めるために強引に恋人で、これまた売れないカメラマンの彼氏を連れ、沖縄へ気まぐれ二人旅としゃれ込んだのだ。
 斗弥はブツブツと渋りながら、当日のチケットやら宿先なども手際よく手配してくれた。
 那覇空港へ降り立った瞬間、独特の熱気が襲う。沖縄に来たのは、雑誌の撮影以来だ。
思えばあの頃仲良くなったモデル仲間のほとんどは、とっくにモデルを辞め主婦になっている。
 沖縄の熱い風に胸が隠れるほどまで伸びた髪が宙をそよぐ。
「さて初日は軽く近くを観光するとして、明日はどうするよ」
「私、行きたいところあるからそこに行こう」
「へー、杏佳にしては、事前に計画しているとは……珍しいな。どくに行くんだ?」
「もー、すぐ意地悪を言うんだから……罰として当日まで内緒の刑」
「な、なにー!」
 斗弥はオーバーリアクション気味に頭を抱える。そんな仕草を見て私はなんだか少し硬くなった気持ちがほぐれた気がした。

   *** ◆◆ ※ ◆◆ ***

 沖縄――二日目。私が行きたい場所。 それは、沖縄本島南部、知念村の東の沖合約5kmに浮かぶ長さkm弱の細長い島――神の島・久高島だ。
 久高島は、知念村からフェリーで30分もかからない。ただ日によっては波が荒く、この日も船が波の上でロデオをしているのか、と思うぐらい大きく揺れた。
 斗弥はフェリーから写真を何度か撮ろうと思っていたが、結局揺れが激しくまともに撮影できる状況ではなかった。
 船の中ですっかりブルーになった斗弥だが、船を下りると一転元気になって夢中でシャッターを切っている。
 私はその間、貸し自転車屋さんで自転車を借りる。久高島の周囲を回るぐらいならば、自転車でもほんの二時間もかからないぐらいだ。幸い天候も良く、気温計はすでに30度を指している。
 自転車で出発してしばらくも経たない内に全身から汗がにじみ出る。真っ青な空と照りつける太陽。時折吹く海風のせいか、とても心地よい。
 しばらくすると、島の先端にたどり着いた。
 どこまで青い空と海、寄せては返す波の音とそよぐ風だけが支配する世界。
 大きく伸びをして深呼吸をする。斗弥は私のことなんかお構いなしに、風景ばかりの写真を撮っている。
「ちょっと! 斗弥。風景ばかりじゃなくて、私も撮ってよ。これでも一応モデルなんだから、失礼じゃない?!」
「ああ、悪い、悪い。すっかり夢中になっちまった」
 斗弥は悪びれもせず、カメラを私に向ける。
「ちょっと待ってよ、こっちにも準備あるんだから……ね! あそこから海岸に降りれる。
あそこに降りて撮影して」
「はいはい。わかりました」
 意外と勾配のある下り坂を下りていくと、一面に白い砂浜が広がる。
「わあ……きれい。ここなら大丈夫だね」
「そうだな。撮影にはもってこいだ」
「ね、斗弥。撮影する前に準備を手伝って欲しいんだけど」
 私はビニールシートを広げていく。
 うん。幸い風も止んでいるし、このぐらい広げれば大丈夫。
「お、おい、何をしてるんだ?」
「うん。断髪式の準備」
「断髪式って……誰の?」
「決まってるじゃない。私の」
 斗弥はキツネにつままれたような表情で私を見つめる。
 やっぱり一応儀式だよね、と思い私はビニールシートの中央に正座する。
 斗弥はやれやれと私からバッグを受け取り、中に入っている物に気が付いて怪訝な表情に変わる。
「お、おい……こ、これって」
「うん。それで一気にやっちゃって」

   *** ◆◆ ※ ◆◆ ***

 斗弥はバッグから取り出したバリカンを手にして戸惑っている。
「お、おい……本当にいいのかよ!」
「いいの。クリクリの坊主頭にしちゃって」
 私は青い空を見上げ、再び居住まいを正す。背後で斗弥が根負けしたようなため息を吐き出す。
「わかったよ。いいんだな、本当にやっちゃって」
「うん、ばっさりやって」
 斗弥の手が私の前髪にかかる。優しく撫でるように長く伸びた前髪をかき上げた。そしてそこにバリカンがゆっくりと近づいてくる。
 額に金属のひやりとした感触がした瞬間、目の前に黒い雨がバラバラと降り始める。
「あ……」
 何が起きたのか全くわからない。とにかくここから一刻でも速く逃げ出したい気持ちで一杯になる。
 そんな私のことなど気にせずに、バリカンは私の頭の上を動き続ける。
 ――いや、まだ切らないで! でも早く終わって!
 自分自身でもわかるぐらい混乱している。もう、頭の中が滅茶苦茶になりすぎて真っ白な状態だ。
 目の前に大量の黒髪の束……それでも前と横からおびただしい量の髪が切り落とされてゆく。
 だめ……もう泣きそう。
「泣きたいなら、泣いていいんだぞ」
「泣いてない! ただ太陽がまぶしいだけだもん」
「……わかったよ。続けるぞ」
 再び斗弥の手が動き始める。金属の感触が頭の上を通ったかと思うと、急にそこがやけ
に涼しくなると同時に照りつける太陽の熱い日差しを感じる。
 私は小刻みに震えそうになるのを堪えて、サイドの髪を一掴みにする。
「……杏佳?」
「この方が切りやすいでしょ? 続けて」
「あ、ああ……」
 斗弥は少し躊躇したけれど、一時経つとバリカンが顎の下にすっと入り込んだ。
 バラ、バラと、バリカンで着られていった髪が束になって宙を泳ぐ。
 掴んでいた髪の束があっさりと私の頭から離れる。切り落とされた髪は、目の前にそっ
とおいておく。目の前だと見たとき泣きそうになるかもしれないけれど、なんとなくそこへ置いておきたかった。
 今度は反対側の髪を掴むと、バリカンが入り込んでゆく。
 先ほどと同じぐらいの髪の束が、ばらりと手のひらに広がる。
「斗弥……後ろの方もお願い」
「ああ……」
 項にひやりとした瞬間、あ……あああ、ああああ。
 項からゆっくりと進入したバリカンはあっという間につむじまで達する。そして再び項まで戻って容赦なく髪を根元から刈り落とす。
 沖縄の太陽がより熱く感じ始めた時、私は丸坊主になった。
「あ、熱い~。軽い~。変な感じ~」
 頭を回すとそのまま飛んで行ってしまいそうなほど軽くなった頭。そしてすっかり坊主頭になった私を照りつける太陽。
「ね、斗弥。写真撮って」
「いいぜ。適当でいいから砂浜を走ったり、浅瀬の方まで近づいたりして」
「うん」
 すっかり全身のほとんどが小麦色になるまで私たちは写真を撮り続けた。

   *** ◆◆ ※ ◆◆ ***

 沖縄から帰ってから数ヶ月後、斗弥は写真集を出版した。
 表紙は丸坊主姿の私が沖縄の空へ手を広げ仰ぎ見る姿。
 どこまでも青い空に青白く刈られすっかり小さくなった私の頭が映っている。
 その写真集は女性モデルが丸坊主になって挑んだものとして、予想以上の反響を得た。
おかげで斗弥も写真家として引っ張りだこの毎日。
 私も再びモデルとして活躍することが出来るようになり、テレビ出演の機会も増えてきた。

 ようやく私たちが二人がスタート地点に経つことが出来た写真集――「完璧な空」
 ――二人の空がこのまま果てしなく広がることを祈って

       完

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