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[02 高尾山薬王院]武田信玄や上杉謙信など戦国武将に愛された戦いの神様に会いに行く。

こんにちは。

神社ナビゲーターのミネヤマです。

2021年7月5日(月曜日)に高尾山薬王院に行ってまいりました。高尾山はご存知のように、日本一登山客が多い山で有名で、高尾山薬王院はその高尾山にあるお寺ということで、登山の途中で参拝する方も結構多いです。

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<高尾山遊歩マップと高尾山薬王院地図>

今回、神ログでなぜ、高尾山薬王院に参拝したのかと言うと、今という時代と、このお寺が建立された時代がある意味めちゃくちゃ似ていたからなのです。

実は、高尾山薬王院が設立される少し前のこと、今から1200年前の奈良時代で、天然痘というウイルスが大流行しました。

今世界で猛威を奮っているコロナウイルスのは、感染者のうち、実際になくなる方は1.0〜1.5%程度とのことですが、この時代の天然痘の致死率は感染者の約30%!!コロナの20倍から30倍くらい殺傷能力があるということで、天然痘流行は日本の国体を揺るがすほどの大事件でした。

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<高尾山薬王院入り口>

この疫病をなんとか鎮めるために、聖武天皇は仏様の力を借りようとして、奈良の大仏建立や、日本各地に国分寺が建立されました。この時の責任者がかの有名な大僧正・行基です。彼は日本全国で国分寺を建立し、天然痘を鎮めるために、命をかけて尽力しました。高尾山薬王院もこのような歴史の流れの中で、国分寺の一つとして、744年に建立されました。

国分寺は全国各地の国府という行政の管轄下にありました。しかし、時代が下るにつれて、地方官吏の腐敗などで国府はどんどん力を失っています。結果的に国分寺を維持する力も弱まり、多くのお寺が廃れていきました。もちろん、高尾山薬王院も例外でなく、廃寺となりました。

廃寺の薬王院を救った神様は誰?

奈良時代に国分寺の一つとして、建立された薬王院でしたが、時代の流れに逆らえず、残念ながら廃寺となってました。

「兵どもが夢の跡」そんな言葉がピッタリだった南北朝時代の1375年に、廃寺となった薬王院に京都醍醐山の高僧・俊源大徳が入山します。

彼は八千枚の護摩木を焚く「護摩供養秘法」と呼ばれる修行を実施した後、飯縄大権現様を感得されて、お祀りされることになりました。この飯縄大権現様様はその後、戦国時代を迎えるにあたり、不動明王の化身と言われたことから、戦いの神様として、北条氏照、上杉謙信、武田信玄、徳川家康など多くの戦国武将にも信仰されました。

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<高尾山薬王院ご本尊>

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<ご本尊前の烏天狗のお仮面(赤・青)>

このような流れがあって、薬王院では薬師如来様だけでなく、飯縄大権現様とが共に奉られています。

実際どのようなお姿だったのか?

飯縄大権現様は不動明王の化身と言われことから、不動明王のお姿のようであり、また烏天狗のようなお姿でもあると言われています。また、不動明王のほかに、歓喜天、迦楼羅天など5体の神様が合体していると言われています。

一体、スピリチャルカウンセラーの島尻先生にどのようにこの神様のお姿が見えたのでしょうか?

「ご本堂で護摩行が始まる前に、最初に登場されたのは烏天狗でした。そして、その後、太鼓や中央で火が上がり始めると、烏天狗の神様が、不動明王へのお変わりになったのです。一人の神様が姿を変えられたので、本当にびっくりしました。」と島尻先生。

炎が上がった瞬間に神様のエネルギーも一気に変わられたとのことでした。インスピーレーションを得たい方や、戦いの神様のお力を借りて、さらに飛躍したい方は、飯縄大権現様とつながると多くのご利益がありそうです。

飯縄大権現様がこの時、どんな言葉を参加者の私達にお伝えされたのか?これはとっても気になる内容と思いますが、本神社参加者の方にはお伝えしていますので、一度ぜひご都合のよいタイミングでご参加ください。

神ログが主催する本気で開運!神社ツアーにもし興味をお持ちでしたら、その内容については下記を御覧ください。

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<本気で開運神社ツアー!の参加者様で記念撮影>




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