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他人の評価で苦しんでる人へ。

  • ○○さんの好みのキレイな系統ではないですよ

  • SNSでキラキラしてる人に憧れてると思うけど

  • ○○が好きだと思ってた

どれも実際に言われたことで、ただ不思議なのはどれも的外れという事である。

好みの系統に関して言った事も発信も行動もしていないし、キラキラしている人に憧れた事もない。むしろ真逆でキラキラ系の人を懐疑的に見ていて、それに対し否定的な事なら言ったり発信をしていた。それだけに驚いた。

なんでこういう風に思われるのか不思議に思った。ただ真っ先に思ったことは“それぐらいイメージは根拠が無く勝手である”という事。

ただ“そう見えている”という事自体は事実なので、それに起因する何かがあるのは間違いないとも言える。そしてそれはおそらく人によって違う。

まず一番大きな要素は「見た目」だと思う。そう思うとイメージの違和感がない。

清潔感は大切にしているので髪は整えるし髭は剃るか整えるかするし、服もカジュアル過ぎないキレイすぎない様にカラー含めてバランスを取る様にしている。すると対象が別々のモノであれ“キレイな系統が好き“というイメージに何となく繋がる気がする。

そして二番目に大きな要素は「言葉」だと思う。これはその“内容”よりも“言葉遣い”や“スタンスの取り方”だと思う。つまりキラキラ系の人たちに似ている言葉遣いやスタンスを取っている様に見えるのだ。そう思うと内容自体に意味はない、もしくは重要視していないとも言える。たまに「正論」なのに炎上したりする事があるのは、つまりそういう事なんだと思う。

すると「イメージを上手く利用できる人」というのが世の中を上手く渡る人になる。それは意図的でも打算的でも無自覚でも良い。また真逆に振ってギャップ効果を狙う事もできる。ヤンキー先生みたいな文脈で使う事もできる。人に迷惑かけず真面目に生きてきて先生している人の方が偉いのだろうけど、それとこれは別々になる。

だからイメージというは途轍もなく強力で、それは国を動かす事すらある。情報戦は個人間でもビジネスでも会社内でも戦争でも重要になる。恐ろしくもあり、シンプルでもあり、面白くもあると思う。

それで損したり得したり人生は色々あるけど、それで“人間”なんだからそれで良いよね。



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