~デンマークとクレセントロール~ ⑥給食

痩せの大食いで米飯大好き、晩ご飯は毎日三杯はおかわりしていた。よその家でご飯を食べると「あっこちゃんはほんまにおいしそうに食べるなぁ」とよく言われた。まだ小学校に上がる前の幼いあたしは昼間は全力疾走で外を駆け回り、晩ごはんの時は眠気と空腹どちらも譲れず、ご飯を口の中に入れたまま、ちゅうちゅう吸いながら白目をむいてぐらぐらしているところを、姉に
 「また、寝とうで!」
とつっこまれた。
そんなご飯好きのあたしにとって小学校の給食は絶望的だった。給食の時間になると、アルミの皿の上に置かれた固いパンを見下ろしてため息をつき、少しずつちぎっては気は進まないもののベトベトのマーガリンを少しだけつけて口の中に放り込んだ。時々デザートに黄桃のシロップ漬けやアイスクリームが出てきた。そんな時はシロップやアイスクリームをつけてなんとか口に放り込んだ。でも、大概は半分以上残してこっそり給食袋に包んで持って帰り近所の野良猫にあげた。でも、猫でさえそのパンを食べようとせず、一緒に持ち帰ったプロセスチーズをくんくんして、
「チーズの方をくれ~。」
と、せがんだ。猫にも見向きをされない給食のパンは、母がハンバーグを作る時に牛乳に浸して、ひき肉に混ぜ込んだ。
パンばかりでなく、おかずもあまり食べられなかった。「クジラ肉のノルウェー風」なんて、「ノルウェー」が何のことなのかもわからす、酢豚のできそこないのような硬い硬いクジラ肉は噛めば噛むほど口の中で嫌な味わいが広がり、ろくに噛まず涙目になりながら飲みこんだ。「ポテトサラダ」については、後述する。その中でも「豆と玉子の炒り煮」は最高に食べられないメニューだった。グリーンピースと炒り卵を混ぜ合わせたものだが、これをクラスの一番後ろの席に座っているちびまるこちゃんに出てくる藤木君みたいな池田君という背ばかり高くてもやしみたいな男の子が、「豆と玉子の炒り煮」を食べている途中で吐いてしまったことがあった。男子が
「うわっ、こいつ吐きよった!」
と、言って後ろを振り向くと、池田君が泣きそうな笑ったような困ったような顔で座っていた。机の上に砂山のようなものがあった。無理もない。あたしも吐きたい。池田君はそれ以来「豆田」と呼ばれるようになった。「豆田」は食べるのも遅くいつも五時間目が始まるギリギリまで食べていた。「豆田」はそれでも、特に慌てるでもなく、泣きそうな笑ったような困ったような顔をして淡々と食べ続け完食していた。今でもグリーンピースを見ると「豆田」のことを思い出す。
給食は基本的には残してはいけない。パンはこっそり持って帰ることができるけど、おかずはそういうわけにはいかない。「ミートスパ」なんかは好きな子は山盛り入れてもらっていた。
「あたしの分もあげるから、食べて」
と言いたかった。でも、どうしてもどうしても食べられない時はパンに詰められるギリギリの量までなんとか口に入れて、残りはこっそりパンの中に詰めた。
 ある日、ポテトサラダが出てきた。じゃがいもの生ぬるさといい、歯ごたえのないニンジンときゅうりの感触といい、すえたような匂いといい、一口食べただけで「豆田」の気分になった。あたしは、給食を食べ終えた生徒が食器を片づけはじめ、運動場に遊びに行く子がいたりと、教室がざわざわとした頃を見計らって、ポテサラをそそくさとパンに詰め始めた。慌てていたので、ポテサラはパンにきれいに収まりきれずにむにゅっと端っこから飛び出した。わたしは一秒でも早くそれを片づけてしまいたかったので、ポテサラがムニュっと出たパンをそのまま給食ナプキンで包んだ。パンを包んだ給食ナプキンは赤ちゃんの紙オムツのようにどっしり生温かかった。そのままではランドセルの中が悲惨なことになると思い、給食袋にそれを入れようとしたが、どう見てもパンの大きさに比べて給食袋は小さい。それでも、わたしは強引に袋の中にパンを押し込んだ。ムニュっとポテサラがまた、はみ出てくる。チャックが半分閉まらない。給食袋相手に四苦八苦していると、
「うわっ、こいつ、きったな~!」と、声が聞こえた。さらに、 「先生、こいつ、おかず、パンに詰めて持って帰りよう!」
と、畳みかけてくる。先生はわたしの机の上に転がっているころころの給食袋を見ると
 「ちゃんと食べなあかんぞ~」
と間延びした声で言った。あたしは、笑って誤魔化すしかなかった。
 母はそんなわたしを見て、朝ごはんだけでもしっかり食べさせようと、朝から色々なものを作ってくれた。かまぼこと海苔ととろろこぶがのったうどん、卵かけごはん、フレンチトースト、ホットドック、ロールパンにたまごを挟んだもの、お餅に砂糖醤油味をつけて海苔で巻いた磯辺焼きなど、色々工夫をしてくれた。わたしと姉はそんな朝ごはんを食べながら『おはようセブンオーオー』の”おはようキャラバン隊”が今日はどこを走っているだの、田中星児の髪の毛がはねているなどと言い合い、“オレンジ村も花盛り~…”とハスキーボイスが聞こえる頃には、少し大きめの給食袋が入ったランドセルを背負って家を出るのであった。

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