ジョン・ウィリアムズ氏にあって人生ほぼ完結した話

先日のジョン・ウィリアムズ氏が来日したコンサート、あれで私の今までの人生がほぼ完結した。

私は子どもの頃ピアノを習っていた。
姉が習っているのをみて私もやりたいといい、ヤマハ音楽教室に入った。ピアノを弾くとすぐに先生に才能を評価され、本格的にピアノを習わないか、個人レッスンを受ける気はないかと持ちかけられた。

そこから私の第一の人生が始まった。
ピアノ人生である。
ピアノで全国大会に何度か出場し、周りからはピアノが上手ともてはやされた。

私のアイデンティティは「私=ピアノ」であった。

しかしその第一の人生に終わりが訪れる…
いや…自分から終わらせた。
決めたのは中学校3年生の時である。

終わらせた理由は①自分は音大にはいかないと何年も前から決めていたこと(長くなるのでここでの詳しい理由は省略する)、②高校では吹奏楽を経験したかったこと。この2つの理由でピアノをやめた。

ピアノは音大の先生にみてもらったこともあったりと、割と本格的にやっていたので音楽の知識があったり、耳もある程度肥えてはいたが、吹奏楽自体は初心者であり、完全に初心者として扱われた。自分も木管楽器はやったことがなく、自分自身を初心者だと認識していたため、自分の学校の演奏に口出しはほとんどできなかった。いや、しなかった。
一部経験者達の圧が怖かった。経験者達は自分が上手なのをアピールしたいのか、大きな音を出して音楽は壊すし、音楽として理にかなったことを言っている先生のことを無視したり、みんなが勝手なことをしていた。

自分の好きな曲は演奏できても、自分の好きな音楽はできなかった。

言い訳にはなるが、だから自分も本気で練習して自分の高校に吹奏楽に貢献しようとも思わなかった。

そこで思う。私ってなんだっけ?

思春期特有のアイデンティティの崩壊が訪れる。

今までは自分=ピアノ、自分=音楽だった。
しかし、ピアノをやめると同時にそれは失われた。
辞めた瞬間、ピアノは特技ではなくなり、ピアノをほんのちょっとだけ弾けるだけの人となり、全ては過去の栄光となった。

自分は何者?将来何がしたい?

アイデンティティの崩壊。
でもそれは数日であっさり解決した。

私の第二の人生はもう始まっていたのだ。
ピアノをやめると決めていた中学校3年生。
その時に私はマリアナ海溝より深い沼の底に落ちていた。

『ハリー・ポッター』という深い、粘稠度の高い、決して抜け出せない沼に。

私のアイデンティティは「ピアノが特技の私」から「ハリポタが大好きな私」に変わっていた。

ぽっかり空いたなんの取り柄もなくなってしまった自分の人生を今まで以上に埋めてくれた。
いわばハリポタに救われたと言っても過言ではない。

ハリポタにハマり、映画はあらゆる芸術の集合体ということに気づく。
もちろんその芸術の中に「音楽」がある。

ハリポタにハマり、ハリポタの音楽が「ジョン・ウィリアムズ」という人物によって造られていることを知る。

そしてありとあらゆる耳にしたことのある映画のテーマ曲をいくつも書いていることもそこで知ることになる。

いつか会いたい。
彼の振る指揮で、演奏を生で聴きたい。

そう思うようになった。

そして今年、遂にその夢が叶った。

人生で3本の指に入るくらい最高の瞬間だった。

音楽に生きた第一の人生と、ハリポタに生きている第二の人生が繋がった。

今までの人生は一つとして無駄ではなく、
この日のためにあったんだ。

そう思えた最高の瞬間だった。

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ちなみにほぼ完結と書いたのは、
まだまだ死ぬまでにやりたいことがたくさんあるからだ。
今までいくつも叶えてきたが、まだ足りない。
まず1番目はJ.K.ローリング氏に会って直接お礼が言いたい。
2番目はダニエル・ラドクリフ氏に会いたい。
本場のオーケストラの演奏が聴きたい。
サクラダファミリアを見に行きたい。
南の国に行ってみたい。
など、まだたくさんやりたいことがある。

健康診断ちゃんと受けよ。





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