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判断基準の徹底が重要になる、動乱期

これが日本企業がダメになってきた原因です。

判断基準の徹底が重要になる、動乱期

今は誰の目から見ても、明らかな動乱期です。
この動乱期には人々の結束を促す、「判断基準の徹底」が必要です。
中国古典世界の「木火土金水」の様なものです。
(一部の人を除いて、かえってわかりにくい?)

この「判断基準」は、企業の目指す指針です。
この「判断基準」は、メジャメントとして給与や処遇の基準です。
この「判断基準」は、出処進退の基準です。
この「判断基準」は、企業運営の基準です。
この「判断基準」は、株価を決める秤でなければなりません。

そういう意味での「判断基準」を明確にできている日本企業は、スタートアップを除いて存在するとはなかなか思えません。
少なくとも、給与体系や処遇の判断基準であると明確に言い切れる日本企業はないと思います。

その徹底ができないところに、日本企業がダメになった原因があると、私は睨んでいます。

実は「若き頃の私へのレクイエム」はこのことが言いたくて書き始めたのですが、途中で内容が変わってしまいました。あれはあれで、過去の私への決別に必要だったと思います。

今の日本企業の評価基準は曖昧でかついい加減です。

これは評価を決めていた席に同席していた私がいうのですから、間違いありません。評価最終権限を部署内で持っている人から見て、「優秀」であるかどうかが課題とされるのです。
要するに「好き」か「嫌い」かです。
こんなことがまかり通っており、人事は判断基準を示すけれども徹底されないというこれまた仕事をしていない、目上には意見しないという無様さが、日本企業をダメにしてきました。

判断基準が全てにすれば、「好き」「嫌い」を言い換えた、「優秀」「普通」という言葉でごまかされてしまいます。
いかに「優秀」でも、「評価基準」で見て「最低」なら「最低」にするべきなのです。

それが公平=Justiceというものでしょう。

日本企業が劣化したのは、事実上「評価基準」がなく、「好き」「嫌い」で人事評価や処遇を決めてしまったせいではないでしょうか?

サポートいただき感謝します。いろいろ困難な時ですが、人様のお役に立てる事を考え、行動していく所存です。宜しくお願いいたします。