声をなくしたら
藍です。
今回は、拙いながらもいつもの好き!語りとちょっと違ったことに、挑戦してみました。
早速ですがテーマは、こちら。
声をなくしたら僕じゃなくなる
それでも好きだと言ってくれますか
この歌詞です。BUMP OF CHICKEN の、66号線という曲から引用しました。
BUMPめっちゃ好きです。そしてこれはもしかすると世界一好きな曲。こんなにも優しくてあったかくて。
……止まらぬ好き、は一旦置いといて。
ボカロにハマり始めた私はふと思ったわけです。
『このフレーズ、仮にVOCALOIDが歌ったとしたらこう、たまんねえな?』
VOCALOID(やそれに準ずる合成音声)って、キャラクター性はあるとはいえその本質は “声” ですよね。
歌声をなくしたVOCALOID、好きって言えるかな。いやそもそもは声無しでは存在しないものだよな。わ、困った、
仮にこの曲がボカロ歌唱だった場合、多分私はそんなことを考えてしまうと思うんです。
私は、〇〇廃とかそういうキャラクターへの愛が凄い! ひとではないです。だけどこんな言葉を歌われたら多分、ギュンって痛くなる。ちゃんと好きだよって言いたくなっちゃう。
好きな曲を歌ってくれる子!という愛着なのか、大きな意味でのボカロって文化への好き!がキャラクターの形してるのか。不思議に思うけど、やっぱり「声をなくしたら」って言われたら。ドキっとします。
じゃあ元の曲の印象、人間が歌う場合はどうなのか。
声がなきゃ僕じゃなくなるんだ、ってそこまで歌に縋る姿、なんか切なくなるんですよね。
ここで言う『声』って、歌う彼にとっては歌声ですが、それぞれが持ってる拠り所、アイデンティティを当てはめられると思ってます。
人間って、歌うための道具であるVOCALOID(一部に刺されそうな表現だな…)と違って何のために生まれたかとか決まってないじゃないですか。でも何して生きるか分かんないと不安とか言い出すじゃないですか。
絵描きにとっての 描くこと、料理人にとっての 料理。
特別な能力じゃなくても、それをしなくなったとしたら
私の価値ってなんだろう。
何かを出来るようになろうとする気持ちの、根っこってそういう不安を含んでいるところ、ありませんか。
声 = 自分にとって、これはできるよって胸張れること
それをなんにも持ってない、何者でもない僕じゃ自信が持てないんです。それでも、
「それでも好きだと言ってくれますか?」
心を預けて、素直に問いかける言葉が胸を打つ。こんなにも。
歌声無しには存在し得なかったVOCALOIDと、歌えなくても人間として成り立っていたはずの歌手、それぞれにとっての『声』の重み。
そうして意味合いが違ってきこえてくるの、面白いなって思うんです。
つまり!VOCALOIDイメソンとして聴いてもきゅんとして素敵! という魅力を見つけてしまったのでした……!
|ω・)チラ 今回ワンフレーズだけを語った66号線 ですが、まだまだあったかい言葉と音の詰まっためっちゃ良い曲です、推させてください。
【BumpOfChicken】 66号線 【オリジナルPV】 http://nico.ms/sm17360434?cp_webto=share_others_iosapp
貼らせて頂いたのはPV作品。
曲そのものは、COSMONAUT というアルバムに収録されています。名盤です是非、ぜひ。
#VOCALOID #vocanote #音楽 #邦楽