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ワードサラダ、こんぺいとう

夜中を持て余してつらつら


まとまった量の文章を読むことが、出来なくなった。

140字で完結するつぶやきの連続なツイッターは、見られる。

noteひと記事、とりとめなくお喋りを聞くように流し読む、くらいまでならできるらしい。

小説や教科書は入ってこない。

元は絵に描いたような本の虫、物心付いた頃から文章を読むことを苦痛と感じたことがなかった身なので、焦った。


私は言葉にすることが好き。
不安なことや気がかりなことは言語化してみる、それで落ち着ける。
かたちのない嫌な感情は大きくみえてこわい。
文字に起こして、意味の通った言葉の整列にするとしゃんと整って見える、かたちや大きさをひとまずは定義できたような気がして、扱いやすくなる。
掴み所のないモヤモヤをひとつの記号に置き換える感覚。

読めない、って凄い不安もやっぱり言語化してみたかった。ひとに説明するため、というよりは私のため、不安を落ち着けるルーティンとして。集中が続かないというのとはまた違うこの感覚はなんだろう。



ワードサラダ というものを知った。

文法としては正しいが意味は破綻している文章。ひとつながりの文脈を持てない単語たちがひしめき合っている。

私の初めて見たワードサラダ、その中の一文に心底やられた。


“ 北極星とともに寒天に閉じ込める、ブザービートと金平糖の相性がかじかんで、薄くて柔らかい駅名を蒸すことで解決してきたと伝え聞いていてくださいますよう、お喜び申し上げます。”

(引用元は後記)


美しいと思った。
お互いに出会えない単語たちはどれも孤独で、だけど文脈に殺されないことでそれぞれの単語の元々纏っていたきらきらが際立って、響き合うような。
詩のような。

正しい文章の美しさを図案に沿って編んだビーズ編みのそれと例えるならば、これはぶちまけられてごちゃ混ぜにきらめくビーズの美しさだと思った。
いや、この文ならば金平糖がいい。
ざらりとばら撒いた一面の金平糖。色とりどりな金平糖。


ワードサラダ面白い。
あれこれと眺めるうちにふと気づく、このわからなさ、私が今本を読もうとするときに感じる “読めない” って感覚と同じだ。言葉の意味はわかるけど文章として言いたいことが入ってこないところが、同じ。

ぴたっとはまった。
やった、と思った。
言語化できてしまうと私は強い。
それで治るわけじゃないのにって思うでしょう、だけど “なんだか読めなくなった変になっちゃった???” よりは、『ワードサラダみたいに見える。』の方が私は安心出来るのだ。


そうして余裕ができるとこれなかなか面白い状態だなと思う。

単語ばかりは浮き出すように目に留まる。
言葉の美しさも味わいたいけれどやっぱり先が気になって、とザクザク読んでしまってきた小説たちを開けば、色とりどりな言葉がうるさいくらい詰め込まれている。ばら撒いた金平糖。どこでうまれたのか最早誰にもわからない孤独な単語たちが集められてきらきらしてみえるなんて、いろんな距離の星たちで明るい宇宙、みたいだ。


私は言葉が好き。
美しい言葉に飢えている。
もっともっとと際限なく、探してしまう。


世界はワードサラダだと思う。
文字に限ったとて軽く見回せばもう情報は有り余る。

活字を読みたくて仕方がないからかもしれないけれど。今、そうして目に飛び込む言葉のひとつひとつが物凄く鮮やかに見える。吊り広告の選び抜かれた一言にはっとする。雑誌の表紙に踊る見慣れないカタカナにときめく。


とてもつかれる。
物語を楽しみたい。
興味のある分野を調べたい。
勉強もしたい。


だけど今は、賑やかで鮮やかでへんてこで美しい、ワードサラダを泳いでいようか。


ばら撒かれた一面の金平糖をざくりざくり、かき分ける。



…………

ワードサラダというものの存在を教えてくれた 稲田 さんの作られたワードサラダ新聞。言葉選びもご自身でされたそうなので純粋なワードサラダというよりは一つの詩と呼びたいですが。引用の一文をはじめ、とても素敵です勝手ながら紹介をさせてください。↓


https://twitter.com/inata17ta/status/1097501068341141510?s=21


画像の絵はパウル・クレーのです、好きです、抽象画のよくわからないモチーフの連続なのになんか綺麗って感じにも似てるなと思って。