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生態系の変化

(2023/05/28記)

 出版業界や書籍の全般について語ることは出来ないが、とにかく我が身を置き管見に及んだ界隈の風景を同時代的に書き残そうとブログを続けてきた。

 ところが長いスパンで読み返してみると、大学生を鑑にした日本人の思考力(学力ではない)低下の歴史をつづっているような気持ちになってくるから困ったものだ。

 この一年を振り返るだけでも、読書しない・できない・教科書を買わない大学生に対するグチめいた書き込みの多いこと(苦笑)。

教科書販売の憂鬱」でコロナ明けの春の教科書販売の低迷を嘆いたのが2022年の6月7日。

2022年の総括」で、大学生の可処分所得の少なさや、シラバスに「プリントを配布するので教科書不要」と書いてある授業を選ぼうとする学生の存在を指摘したのが2022年12月30日。

 そんな折から、社内の会議に、この春(2023年)の教科書販売の速報が出たのだが、そこで看過しがたい数字が報告された。

 540冊送ったアイテムに400冊の返品申請があったというのだ。一アイテム一大学での数字である。なんと返品率74%。

 毎年のことにしてはずいぶん数を読み違えたね、と思ったかたがいるかもしれない。しかし、それは見当違いだ。

 これまでも何度か書いたが、千倉書房の営業は渋い(苦笑)。よほどの理由がない限り、先生が希望してきた数字や生協の教科書担当が出してきた数字を鵜呑みにして最初から満数出荷することはないのである。

 50と言われればまず20送って様子を見る。それが捌けそうならまた20。もちろん先方にはきちんと説明し交渉し、初動がよければすぐに追加を出庫できるようにした上での話である(大昔は「言ったとおりに出庫しないとは何事か」などと先生や生協さんからお叱りを受けることもあったが、教科書の売れ行きが低迷するにしたがい、そうしたクレームは減り、近年ではそんなことをおっしゃるかたはいない)。

 2022年春にも180送って152返品(返品率84%)、15送って12返品(同80%)という例があったので、74%もあり得ない数字ではないのかもしれない。しかし今回は母数が違う。

 これまでそれなりのセールスを続けてきた実績があり、なにより当社の営業が540冊送ってもよいと判断した(←ここ重要)アイテムが惨敗したのである。これはなんとしても原因を突き止めなくてはならない。

 調べた結果、浮かび上がってきたのはそれまでも深く静かに進行していた学生の生態系の変化が、コロナ禍を経て、より露骨にあらわれた可能性だった。

 今般、大学生はもちろん、大学生を持つ親世代も生活に多くのゆとりがあるわけではない。可処分所得の少なさゆえに教科書にまわすお金も十分に確保できない(それよりも優先したい・しなければならない使途がある)。

 経済的事情が、ゆとり教育に端を発した読まなくてもいい→読まない→読んだ経験がない→読めないと思い込む「活字離れ」、そこから派生しSNSとデジタルデバイスの時代が決定的に加速させた、ある程度の量をきちんと読んで深く考える行為の放棄などと相俟って、教科書ひいては書籍全般の販売の長期低落傾向を招いているというのが、基本的な私の認識である。

 話を戻すと、可処分所得の減少は大学生のアルバイト事情も変えた。かつては遊ぶため、旅行や趣味のための小遣い稼ぎが主目的だったアルバイトは、今や学生生活を続けるために欠かすことの出来ない手段となっている。

 学費だけは親が出すが、生活費の一部、あるいは大半を自分で稼いでいるという学生が驚くほど増えた。言うまでもなく学費すら自身で稼いでいるという学生も増加中で、そうしたトレンドはコロナ禍以降、加速する一方である。

 彼らは一週間のカリキュラムの中からきわめて慎重に授業を選択する。無駄なく(必要最低限の授業で)単位数を満たし、なるべく出費を抑え(教科書を始めとする教材の購入を忌避し)、そして自分がアルバイトに行きやすい曜日と時間帯の授業を取ろうとするのである。

 これは大学の立地(アルバイト先までの距離)や選択・必修授業の配置、バイト先の事情によって変動するので、一般論としてこの曜日のこの時間、と断じることは出来ない。ただし、大学や学部ごとに一定の傾向は生まれる。

 アルバイトへのアクセスは、大学の対面授業再開後、出欠確認の緩さや単位の取得しやすさといったこれまでの判断材料をうわまわる授業選択の理由となりつつある(ちなみに、試験への教科書持ち込みの可否が授業選択にあたって顧みられることは、コロナ前からすでにあまりなくなっていた)。

 どうやら千倉書房の教科書が惨敗した授業は、時間帯的にアルバイトへのアクセスに難があり、選択必修科目としての魅力を大幅に減じたと思われる。

 かわって数字を伸ばしたのは、同じ選択必修グループの中にあった別の曜日・時間帯の授業だった。断定は出来ないが、失われた教科書の数は、他の授業選択者のトータルの伸びに近いと思われる。

 大学がほぼ完全な対面授業に復した今年、突如起こった購買行動の変化の理由として考えられる要因は限られており、そればかりが原因でないにせよ、アルバイトへのアクセスは結構な比重を占めるのではないか。

 そんなことまで考えて教科書を販売していかなくてはならないのか、という気持ちもあるが、巨大な社会変動によって引き起こされた生態系の変化は、今後、常態化する可能性が高い。

 秋学期、来年以降の教科書販売を見据えて、打てる手は打たなければならない。株価ばかりが高騰しても、誰も豊かさや成長や明るい未来を実感できないこの国で、最後の拠り所は教育のはずなのだが、じつに頭の痛いことだ。

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