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写真集『MINAMATA NOTE』について02

(2012/09/14記)

 漁師町をうろついていた猫たちが、あるとき腰を抜かしたようにフラフラしだしたかと思ったら、突如、狂ったように駆けだし、海に落ちて溺死したり、かまどへ飛び込んで焼け死んだり……。

 それが、後に水俣病と呼ばれることになる悪夢の前兆だった。

 現在でも水俣市内には猫が多い。魚屋も多い。そして病院や診療所のたぐいがやたらと多い。いま猫たちは楽しげに飲み屋街を闊歩し、魚屋には不知火海で水揚げされる旬の幸が並ぶ。あじ、スズキ、石垣貝……。

 じつは現在、水俣病の認定患者の数は500人を切っている。「水俣病患者とは認めないが、水俣病の症状について見舞金を出す」と非論理的なことを言う特措法(水俣病被害者の救済及び水俣病問題の解決に関する特別措置法[平成21年法律第81号])による救済を求めた人々は6万人。

 水俣市の人口は3万人に満たない。ということは全水俣市民が手を挙げ(実際にはそのようなことはあり得ないわけだが)、さらに不知火海沿岸全域から3万人以上が申請しなければこのような数字にはならない。

 なかには、補償だの治療費だのいう以前にきちんと加害企業と国が責任を認めるべきだとして、これまで今回の特措法のような妥協には応じてこなかった人もいる。

 しかし発生から60年。かつてユージン・スミスが『MINAMATA』(三一書房)で撮影した第一世代の多くは亡くなった。

 現在は患者の過半を、母親の胎内で水銀中毒となった胎児性水俣病の世代が占め、彼らも老境を迎えつつある。

 歳を取れば誰だって体調に不安を覚え、実際ままならないことも増えてくる。況んや水俣病患者をや。

 市内の病院・診療所の多さは、認定未認定を問わず、水俣で暮らす上で起こりうる健康被害、(そこまで顕在的でなくとも)健康不安の裏返しであろう。

 もはや、認定を待っていられないという切実な状況が、申請者の数字に現れており、500と6万という数字のギャップに、私は水俣病よりも重篤な、この国の宿痾を見る。

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