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第2回神谷新書賞

(2021/01/31記)

1.ひとまずの口上

 今年の神谷新書賞を発表する。管見の及ぶ限りのことなので遺漏のほうが多いに決まっている。独断と偏見による銓衡と合わせてご海容を乞う。

 2016年に亡くなられた日本経済新聞社の伊奈久喜さんが書評を書くたび嘆息していたことを思い出す。

「みんな書いちゃうと読んだ気になって本を手に取ってもらえないし、ぼやかして書くと、あいつは本を読まないで書評してる、なんて言われるし……」

 私がやっているのは書評ではなく紹介に過ぎないが、それでも難しいことに変わりはない。「面白い」だけではバカみたいだが、それを魅力的に語るには知恵も腕も足らない。

 これは読み落としていた、あるいは読むかどうか迷っていた、という新書に手を伸ばすきっかけにしてもらえたら嬉しい。

2.20冊選んでみた

01 宇野重規『民主主義とは何か』(講談社現代)
02 伊藤亜聖『デジタル化する新興国』(中公)
03 斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社)
04 小山俊樹『五・一五事件』(中公)
05 藤野裕子『民衆暴力』(中公)
06 駒井稔『文学こそ最高の教養である』(光文社)
07 小林道彦『近代日本と軍部』(講談社現代)
08 詫摩佳代『人類と病』(中公)
09 岡山裕『アメリカの政党政治』(中公)
10 岡本隆司『「中国」の形成』(岩波)
11 園田茂人『アジアの国民感情』(中公)
12 鈴木亘『社会保障と財政の危機』(PHP)
13 鳴沢真也『連星からみた宇宙』(ブルーバックス)
14 荒木田岳『村の日本近代史』(ちくま)
15 檀上寛『陸海の交錯』(岩波)
16 空井護『デモクラシーの整理法』(岩波)
17 竹中治堅『コロナ危機の政治学』(中公)
18 及川輝樹『日本の火山に登る』(ヤマケイ)
19 岡崎守恭『遊王 徳川家斉』(文春)
20 酒井正士『邪馬台国は別府温泉だった!』(小学館)

3.それぞれに思うところ

 宇野書(1位)、伊藤書(2位)、斎藤書(3位)という今年の上位3冊の主張するところは、私の中では密接に関わり合う論点となっている。

 東日本大震災をも最終的にしのぎきろうとしていた日本の戦後民主主義が、まったく思いがけないことにコロナ禍によってほぼ息の根を止められつつある現今、とうに手をつけていなければならなかった社会システムや紐帯の修繕が容易でないことに今さら気づいて慌てている人が多すぎる。

 民主主義は、あるべき理想といたしたない現実の折り合いのメカニズムである。社会がどれほどのゆとり(寛容性)を持つかによって志向(投票行動だとか、右や左といった相対的な立ち位置)は劇的に変化する。

 3冊が提示するのは複雑に絡まり合った問題の核をなす議論であり、部分の構造を示す分析である。一見ベクトルはバラバラかもしれない。しかし一緒に読み、考えることに大きな意義があると確信している。その結果としてこの位置に納まった。

 これらを踏まえた上で、詫摩書(8位)や鈴木書(12位)へとテーマを広げたり、竹中書(17位)を手に取って現況を検証する、地道で手間暇のかかる知的営為(思索)だけが、本当の意味での問題解決への糸口なのだ。

 調べない、読まない、自分の思い通りの結論しか見ない風潮にどこかで歯止めをかけないと、世界は取り返しの付かない事態を迎える。

 私のお手伝いする本が難しくて高くて読めないというのなら、せめてきちんとした新書をきちんと読んで、きちんと考えてもらいたい。日本はこんなにもヒントに満ちている。考える手間を惜しんだら終わりである。

◆――◆――◆

 小山書(4位)に対する評価は同書がサントリー学芸賞を受賞した際に、選考委員の田中明彦さんが寄せた選評(https://www.suntory.co.jp/news/article/13792-3.html#h)に尽きている。

 日本政治の低徊や民主主義の放埒への苛立ちに身を焼き、いずこともしれぬ処方箋を求める放浪とも徒労ともつかない読書は時にひどく辛い。

 同じ読むならこういう読書が良い。知られた歴史に知られざる補助線を入れる、学問の力、知的探求の醍醐味を味わえる。

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 コロナ禍が戦後民主主義を瀬戸際まで追い詰め、さらにはアメリカの政権委譲が市民による連邦議会襲撃という衝撃的な事態を招来したことを受け、私の中では詫摩書と並ぶ木鐸となった藤野書(5位)。

 日比谷焼き討ち事件については20年来考えてきたこともあるが、そうした個別の事例から著者の知的膂力によってつかみ出される普遍性に注目したい。

 BLMの行く末しかり、アメリカの政権委譲をめぐる騒擾しかり、ただ目の前で起こっていることだけでなく、ロングスパンで歴史を見据えるための手がかりとして有用性はきわめて高い。

◆――◆――◆

 ムダの会で長らくご一緒してから幾星霜。光文社古典新訳文庫の仕掛け人である著者と翻訳家たちの対話をまとめた駒井書(6位)。同文庫シリーズを手に取ったことがある人にはかなりオススメ。

 読者を次なる読書へと誘うとても良質な、新書らしい新書に思われた。著者には『いま、息をしている言葉で。』(而立書房)という魅力的なタイトルの回顧録もあるがまずはこちらを。

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 執筆の経過を伺うたび、新書で500ページはやり過ぎです、と何度も言ったのだがついにやりきってしまった小林書(7位)。でも通史としての仕上がりはさすが。

 学問的厳しさ、史資料や新しい研究への目配りは相変わらずだが、若い頃の気性の激しさは少しずつ影を潜め、言葉通りの意味で研究者としての円熟を感じる。まもなく定年を迎え、新たなステージでも活躍されることだろう。

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 サントリー学芸賞も受賞した詫摩書(8位)を拝読したのは1回目の緊急事態宣言の最中である。コロナのことなど頭の片隅にさえない時期に書かれたという事実が、本書に有無を言わせぬ迫力と説得力を与えていた。

 『新型コロナ対応・民間臨時調査会 調査・検証報告書』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)も傍らに置きつつ、本書を出発点に、竹中書(17位)、そして、これから出るであろうアメリカ大統領選挙の変容をめぐる新書、藤野書、同じくこれから出るであろうBLMをめぐる新書、といった各方面へ読書を進めることも有益だろう。

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 たとえば交差投票(最近はほとんどないと聞くが)のように、ちょっと不思議な、日本人にはやや違和感のある慣習を持つアメリカの議会や政党の制度については、必要に迫られたとき場当たり的に調べる程度で済ませてきた。

 しかし岡山書(9位)のおかげで、いくらか不勉強を挽回することが出来た。そもそも「政党」を日本語の字義と同じに考えてはいけなかったのだ。この点に留意するだけでもアメリカ政治についての印象批評や床屋政談はそれなりに避けられる。

 日本ほどアメリカ研究の行き届いた国は世界でもそうないと思うのだが、トランプの退陣をめぐってなぜあんな有象無象が湧いて出たのか未だに理解に苦しむ。

 とまれ私たちは同じ民主主義と自由経済に立脚するというだけで、なんとなくアメリカを理解したような気になっているが、本書のような優れた新書を読むと、じつはそれがかなり怪しいことがわかる。拳々服膺したいところである。

 久保文明さんの『アメリカ政治史』(有斐閣)を読んだときも同じことを感じたが、これだけの紙幅で建国以来250年のアメリカの歴史を過不足なく語るのは至難の業で、著者の力量には感嘆した。もっとたっぷりした本を読ませてほしい書き手である。

◆――◆――◆

 限られた紙幅という意味なら岡本書(10位)も人後に落ちない。岩波の「シリーズ 中国の歴史」の最終巻(第5巻)にあたり、清朝以降4世紀に及ぶ大河の如き中国の歴史を200ページ強で描いている。

 あと300年くらい経つとEUについてもこんな本が書かれるような時代が来るのだろうか、などとあらぬ想像を巡らしてしまうほど壮大だ。

 同じシリーズからは4巻目に当たる壇上書を15位に挙げたのみだが、第2巻の丸橋充拓『江南の発展』、第3巻の古松崇志『草原の制覇』も非常に面白く読んだことを付言しておく。

 ただ丸橋書と古松書を含め、同シリーズについても、新書ではなく、もっとたっぷりとした書籍で読みたかった、という読書人としての恨みがなくはない。

 読み手の力が落ちているから出版社もそれに合わせた商品設計をしなければならない。力を入れているから優れた新書は次々生まれるが、読者側においてそこから先への広がりは今ひとつである。新書はあくまでも、その次の、より深く、より大きな読書の入り口だという気概を持ってほしいと願わずにいられない。

◆――◆――◆

 園田書(11位)はもっと上位でも良かったかもしれない。アジア各国で行った、主に学生(エリート)たちへの調査をベースに対外認識や国民感情を分析している。

 たとえばASEAN諸国が中国をどう見るかといった場合、その海洋進出に直面しているか否かが評価の軸になるのは当然だろう。

 では、日本においてアジアに対してネガティブなイメージが残る理由は何なのだろうか。本書はそこに、冷戦体制メンタリティの存在を見いだす。

 私より上の世代ならともかく、冷戦を経験していない学生たちにまで、なぜそんなものがこびりついているのか。考えなければならないことは多い。

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 行動する経済学者として知られる著者の危機意識が前面に出た鈴木書(12位)。「感染症の危機、経済の危機の次は、社会保障の危機」という惹句には手を伸ばさざるを得なかった。

 こういった優れた問題提起が現実の政策にうまく取り入れられていくと、もうすこしこの国は生きやすいと思うのだが…。

◆――◆――◆

 鳴沢書(13位)、及川書(18位)、岡崎書(19位)は、読んでいて心楽しく、知的で愉快な読書を満喫した。いずれも、何が書いてあるかは表題の通りである。

 岡崎書には、その昔、文春新書が立ち上がった頃に志向していたコンセプトの残り香が感じられて個人的にポイントが高い(笑)。

 やたらと子だくさん、程度の認識しかなかった徳川家斉について、特にそれを知ってどうするわけでもないのにこんなにみっちりお教えをいただけるとは。専門家の中には辛い評価もあるようだがエピソード満載で大満足。

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 荒木田書(14位)は、松沢裕作さんの『町村合併から生まれた日本近代』(講談社選書メチエ)を念頭に読み始めたが、「近代史」と言いながら中世から説き起こされており、かなりしっかり日本史の復習をさせられた気分であった。

 ただ「村」を舞台に近代とは何か、近代国家における共同体とは何かを問いかける展開は面白く、自分の意識の中にある村のイメージを点検するために、久しぶりに有吉佐和子さんの『助左衛門四代記』(新潮文庫)を引っ張り出してきて並べて読んだ。

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 刊行直後に原武史さんがツイッターで「奇書ではないか」と評していて、一体どういうことかと身構えつつ手にした空井書(16位)。

 第1章「収納」にはじまり、「整理1」「整理2」と続く目次はこれまでのデモクラシー論からは考えられなかったもので、そこだけつまむと確かに「そんな切り口があるモノか」と胡乱に感じたりするかもしれない。

 しかし、整理の過程を追っていくうち、これが実は非常に周到に用意されたデモクラシーの腑分けであることがぼんやり見えてくる。

 正直に言えば、私は自分が、著者の期待しているレベルで本書を理解できているとは思えない。だが本書はおそらくもっと凄い本だ。時間をかけて、じっくり咀嚼したい。

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 酒井書(20位)は新書のネーミング大賞があったら迷わず1位に推すところだ。著者の肩書きと経歴(ヤクルト中央研究所に勤務する生命科学者)には驚いたが、議論はけして荒唐無稽なモノではなく夢が膨らむ。

 温泉地としての別府は大好きで何度も訪れたが、コロナのせいですっかりご無沙汰である。街中の公衆浴場をめぐりながら邪馬台国に思いをはせる日々が戻ってくることを祈りつつ筆を置こう。

4.購入リスト

多湖淳『戦争とは何か』(中公)2020/01
丸橋充拓『江南の発展』(岩波)2020/01
君塚直隆『エリザベス女王』(中公)2020/02
永吉希久子『移民と日本社会』(中公)2020/02
石黒圭『段落論』(光文社)2020/02
鶴岡路人『EU離脱』(ちくま)2020/02
杉田弘毅『アメリカの制裁外交』(岩波)2020/02
小林道彦『近代日本と軍部』(講談社現代)2020/02
速水融『歴史人口学事始め』(ちくま)2020/02
川平敏文『徒然草』(中公)2020/03
及川輝樹『日本の火山に登る』(ヤマケイ)2020/03
藤原帰一『不安定化する世界』(朝日)2020/03
古松崇志『草原の制覇』(岩波)2020/03
畑仲哲雄『沖縄で新聞記者になる』(ボーダー)2020/3
駄場裕司『天皇と右翼・左翼』(ちくま)2020/03
岡本隆司『東アジアの論理』(中公)2020/03
詫摩佳代『人類と病』(中公)2020/04
瀧本哲史『2020年6月30日にまたここで会おう』(星海社)2020/04
小山俊樹『五・一五事件』(中公)2020/04
兼原信克『歴史の教訓』(新潮)2020/05
片山和之『歴史秘話 外務省研修所』(光文社)2020/05
岡崎守恭『遊王 徳川家斉』(文春)2020/05
金凡性『紫外線の社会史』(岩波)2020/05
渡辺靖『白人ナショナリズム』(中公)2020/05
檀上寛『陸海の交錯』(岩波)2020/05
竹中功『吉本興業史』(角川)2020/06
倉沢愛子『インドネシア大虐殺』(中公)2020/06
鈴木董『文字世界で読む文明論』(講談社現代)2020/08
菊地大樹『日本人と山の宗教』(講談社現代)2020/07
庭田杏珠『AIとカラー化した写真でよみがえる戦前・戦争』(光文社)2020/07
岡本隆司『「中国」の形成』(岩波)2020/07
酒井正士『邪馬台国は別府温泉だった!』(小学館)2020/07
駒井稔『文学こそ最高の教養である』(光文社)2020/08
木下昌輝『信長 空白の百三十日』(文春)2020/08
藤野裕子『民衆暴力』(中公)2020/08
山本卓『ゲノム編集とはなにか』(ブルーバックス)2020/08
島田裕己『疫病 vs 神』(中公ラクレ)2020/09
園田茂人『アジアの国民感情』(中公)2020/09
斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社)2020/09
木村昌人『渋沢栄一』(ちくま)2020/09
岩井秀一郎『一九四四年の東條英機』(祥伝社)2020/10
岡山裕『アメリカの政党政治』(中公)2020/10
伊藤亜聖『デジタル化する新興国』(中公)2020/10
宇野重規『民主主義とは何か』(講談社現代)2020/10
竹中治堅『コロナ危機の政治学』(中公)2020/11
川添愛『ヒトの言葉 機械の言葉』(角川)2020/11
荒木田岳『村の日本近代史』(ちくま)2020/11
島薗進『新宗教を問う』(ちくま)2020/11
佐藤卓己『メディア論の名著30』(ちくま)2020/11
鈴木亘『社会保障と財政の危機』(PHP)2020/11
菊池秀明『太平天国』(岩波)2020/12
小島健輔『アパレルの終焉と再生』(朝日)2020/12
勝田敏彦『でたらめの科学』(朝日)2020/12
毛内拡『脳を司る脳』(ブルーバックス)2020/12
空井護『デモクラシーの整理法』(岩波)2020/12
鳴沢真也『連星からみた宇宙』(ブルーバックス)2020/12

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