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写真集『MINAMATA NOTE』について04

(2012/09/16記)

 水産加工場、干された漁具、珍しくもない日本の漁師町の風景だ。しかし、それらはただちに違和感を醸し出す。

 遠いのだ。海から。不自然に。原因は埋めたてである。工場排水とともに流れ出た水銀のヘドロが、それ以上、海洋を汚染しないように、国と県は巨額の資金を投入し、チッソの排水口があった水俣湾一帯を埋め立てた。

 いや、埋め立てた、では生やさしい。埋め立て尽くした、とでも言うほかない。そこに証拠と記憶を隠滅しようという、きわめて強い悪意を感じないではいられない。

 当たり前のことだが、漁師町はその昔、魚湧く海と呼ばれた水俣湾に面していた。埋めたてはその海を人々から遠ざけた。

 そんな水俣市内から車で20分ほど北上すると芦北郡に入る。新幹線の新水俣駅を過ぎて左折し、海に向かって進路を取ると曲がりくねった下り坂の先に、美しい入り江に息づく漁業の集落、赤崎地区が姿をあらわす。

 ここに住む諌山孝子さんに、私たちはどうしても会わなければならなかった。今回の石川さんの写真集のカバーで、ぜひとも使いたいと思っている写真がある。その被写体が孝子さんなのだ。

 写真の利用許諾を得るための諌山家訪問を、石川さんも私も今回の水俣行きの最大の眼目と位置付けていた。

 この素晴らしい写真をカバーに使うことは、石川さんと私の間では、あまりにも既定のことになっていて、もしOKが出なかった場合、どんな表紙にしたらいいか他の写真をまったくイメージできないほどだった。

 幸い、快くお許しはいただいたのだが、その後、孝子さんの父君、諌山茂さんが語ってくれた赤崎での水俣病戦記とでも呼ぶべき物語は、私の心にいくつもの棘を残した。

 小さな漁村、赤崎地区からただ一軒だけ水俣病熊本第一次訴訟に加わった茂さんは、これに負けたら家族で土地を出るしかないなぁ、と悲壮な決意を固めていたという。

 水俣病の原因をはっきりさせることで不知火海の水銀汚染が明らかになれば、漁業で暮らす人々は明日から職を失うかもしれない。その恐怖が諫山家以外の漁師たちの口を封じていた。

 それでも娘のために立ち上がった茂さんに、かねて抱いていた疑問をぶつけてみた。

「水俣病の原因が正式に解明される前から、多くの漁師たちが犯人はチッソの排水だろうと思っていた、という話を聞きます。どういう根拠があって、その確信が持てたのですか?」

「漁船の修理のために、当時、設備のあった百間港へ行く(回漕する)でしょう。そうすると船についていたフナムシが全部死ぬんですよ。こんなのはおかしい、とみんな思っていた」

 百間港は、チッソの工場排水の排出口があった場所だ。たまったヘドロの厚さは浚渫前、4メートルに達していたという。フナムシなんて頑健な生き物、そう易々と死ぬもんじゃない。いったいどれほどの水銀濃度だったのか、いったいどれほどの生物濃縮が起こっていたのか……

 この写真集が背負っているものは、もしかしたら私が考えている以上に重いのではないか。そんな気がしてきている。

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