名が体をあらわさない

(2009/12/07記)

 参謀本部、教育総監、陸軍大臣などの要職を歴任した元帥陸軍大将、畑俊六。その回顧録『元帥畑俊六回顧録』(錦正社)が今年七月、刊行されていたことに気づかなかった。軍事史学会編となっているが、実際の監修は伊藤隆さんと原剛さんで、まずは望みうる最高の人選と言うことになるだろう。

 今日遅ればせながら神田三省堂書店で見つけて手に取ったが、ちょっと驚いた。なぜこれほどの本がまったく話題にならなかったのだろう。

 じつは私はタイトルに違和感を持った。確かに内容は回顧録で間違いないのだが、とても重要なことに本書は、日記を含んでいるのである。

 回顧録部分はA級戦犯容疑で巣鴨に収監された畑が記したもので、自らの生いたちから陸軍大臣に就任するまでを比較的詳細に書きつづっている。

 畑の日記と言えば、詳しい人ならすぐに、みすず書房の「続・現代史資料」第四巻『陸軍 畑俊六日記』を思い出すことだろう。更に詳しい人は、一九七七年に出た『巣鴨日記』(日本文化連合会)が浮かぶかも知れない。

 ところが、この『元帥畑俊六回顧録』には、上記の二書に含まれない、新出の日記が収められている(もしかしたら憲政資料室などでは読めたのかもしれないが、少なくとも私は知らなかった)。

 ひとつは「巣鴨日記Ⅰ・Ⅱ」とクレジットされ、一九四五年一二月から一九四八年一月まで続く。即ち一九四八年二月から一九五四年一〇月までを描いた前出の『巣鴨日記』と補完関係にあり、これでA級戦犯として逮捕状が出た一九四五年一二月から、終身刑の判決を受け、六年服役して仮釈放される一九五四年一〇月までの畑の日記が出そろったことになる。

 問題は、「巣鴨日記Ⅰ・Ⅱ」前に掲載されている「日誌Ⅰ」と題された日記である。私は、その日付が一九二八年一月から翌二九年九月までであることに驚いた。

手元にある『陸軍 畑俊六日記』を開くと、一九二九年一〇月から一九四五年三月までとなっているから、『元帥畑俊六回顧録』に収められている「日誌」は、みすず書房版よりも前の日記ということになる。

 この時期、畑は陸軍参謀本部第四部長から転じ、第一部長の要職にあった。ちなみに第四部は戦史に関する研究を行うセクションだが、第一部は作戦・編成・動員などを司り、その部長は大本営の一員を兼ねる、まさに戦争指導の中枢であった。

 その重要ポジションにあった畑の一九二八年の日記。これはもう、絶対に、どんなことがあろうとも、張作霖が登場しないはずがないではないか。なにせ張作霖は、この年の六月、関東軍によって爆殺されているのだから(満州某重大事件)。

 パラッとめくったら、あに図らんやいきなり河本大作登場。しかもいい具合に無茶言ってるし(笑)。やっぱりこいつの処分をうやむやにしたのは失敗だったなぁ。

 それから張学良のキャラも、いままで考えていたよりもずっと香ばしいワルである気配が濃厚だ。張親子の関係も相当なものだと思われる。なかなか面白いので興味のある方はぜひ手に取っていただきたい。

 まぁ、本書に収められた回顧録・日記の類に私が驚いたのは単に不勉強ゆえである。従って話題にならないのも、この時期に関心のある研究者にはとっくに知られた内容だったからだろうと拝察する。

 むしろ、はじめにも述べたように、私が問題にしたいのは本書のタイトルである。『元帥畑俊六回顧録』ではオカシイ。これは絶対に『元帥畑俊六回顧録・日記』もしくは『元帥畑俊六回顧録・日誌』とすべきである。

 こういうことをすると、本の重要性に一瞬、気づかない、私のようなおっちょこちょい(笑)が続出しないとも限らない。むしろ素人が読んでこそ、田中義一や張学良の評価や満州事変に至る道筋、ひいては昭和史の風景がちょっぴり違って見えてくるように思われ、私などそこが本書のすばらしさだと思うのだが如何なものだろう。

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