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写真集『MINAMATA NOTE』について05

(2012/09/17記)

 石川武志さんの写真集『MINAMATA NOTE 1971~2012』(千倉書房)には、いくつか大きなストーリーの流れがある。

 ひとつは既に紹介したように、1970年代と2010年代の風景や患者の姿の対比による「終わらない水俣」ということなのだが、もう一つ重要なのが「写真家ユージン・スミスと水俣」というテーマだ。

 ユージン・スミス。1918年、カンザス州に生まれ、1957年から世界的報道写真家集団マグナムのメンバーとなっている。

 1948年の『カントリー・ドクター』、1951年の『助産婦』、1954年の『アルバート・シュヴァイツァー』などと並び彼の代表作に挙げられるのが畢生の名作『MINAMATA』(日本語版は三一書房から)である。

 石川武志さんは、その制作にアシスタントとしてかかわり、3年にわたって水俣でユージンと寝食を共にした。

 ユージンを知らなくても、彼が撮影し、現在とある事情から世に現れることはなくなってしまった、水俣の悲劇を代表する作品「入浴する智子と母」は、誰しも一見の記憶があるのではないだろうか。

 カメラマンはアシスタントにきつく当たることが多い。しかし、ユージンは懐の深い人だった、と石川さんはいう。

 ある日、石川さんの枕元にコダックのモノクロフィルム、トライXが20本置かれていたことがあるそうだ。自分とは違う、お前なりの水俣を撮ってみろ、というメッセージだった。

 石川さんと共に、ユージン・スミスが「水俣の恋人」と公言して憚らなかった特別な被写体、田中実子さんの旧宅を訪れた。

 40年前、石川氏はこの旧宅の窓際で母に抱かれて入り江を見下ろす実子さんを撮影した。ユージンの仕事を手伝う合間に、自分の作品を撮り続ける中での1枚だった。

 ユージンや石川氏が撮影したころ、実子さんの面倒をみていたご両親は疾うに亡くなり、あとを受けて世話にあたっていた実姉夫妻も病に倒れた。

 現在、水俣病の最も深刻な問題は、患者および患者の世話をしてきた家族たちの高齢化だ。患者たちの具合は年を経るにつれ悪化していく。

 それまで歩けた人が車椅子を手放せなくなったり、自動車の運転が出来なくなったりして、介護者への負担はいや増すばかりである。しかし、それを支える公的援助のシステムはない。

 被写体というだけでなく実子さんを慈しんでやまなかったユージンが遠くアリゾナで急逝したのは59のときだ。24時間介護が必要な状態という実子さんは、今年、59歳を迎える。

 ユージン・スミスが水俣滞在中に借りて住んでいた家は、すでに取り壊されてなくなっている。現地を訪れると、驚くほど狭い敷地には夏草が茂り、近所のキリスト教会の看板が立てられていた。

 大家だった溝口家は代替わりして、ユージンの足跡は見る影もないが、近所に住まう溝口家の長女夫婦の家に、かつてユージンが住んだ家に据え付けられていた五右衛門風呂が残されていた。

 ユージンも、そのアシスタントだった石川氏も、この風呂に下駄を履いて浸かったという。コンクリートの駐車場に無造作に放置された風呂釜からは、いま花の終わった鳳仙花が呆然と空に手を伸ばすのみである。

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