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個人情報がもたらす「新結合」

今回は、日経新聞連動テーマ企画「データの世紀 個人データは誰のもの?」に回答したいと思う。お題である「あなたは自分の個人情報をどう管理したいですか?」への答えは、「③ 直接プライバシーにかかわるようなコアな情報以外は、特に管理しなくてもよい」だ。

個人情報について、「自分が管理する」ことを前提としない社会になったほうが経済的な成長は大きいと考える。個々人が自制的に行動するよりも、できるだけ思ったままに行動することが経済社会に「新結合」によるイノベーションをもたらすだろう。選択肢①「誰に、どんな情報を渡すかを、自分で全部確かめて管理したい」も、選択肢②「情報銀行など自分が信頼する専門家に自分の情報の管理を任せたい」も基本的に個々人が管理しなければならないことが前提(②はエージェントに任せるという趣旨)だが、人々が縮こまってしまうのは望ましくない。しかし、プライバシー侵害を放置してよいという意味ではない。プライバシー保護と正しい目的への利用が管理される必要はある。このような管理は個々人ではなく、公益の観点からプラットフォーマーの責任として定着するべきだ。つまり「個々人が気を使って管理しなくても大丈夫」な社会を作るのが望ましい。

そもそもSNSが一気に拡大した理由は、これまで個々人が持っていても満たされなかったニーズを満たしたからだ。そのニーズとは、「自分をさらけ出したい」というニーズだ。例えばFacebookやインスタグラムに「今日の夕焼け」、「今いる町の室外機」、「おいしいものを食べた」、「うちの猫がかわいい」などの写真を載せる。ふと目にしたニュースに自分の意見を言ってみる。なんとなくつながっている「友人」や「フォロワー」などに自分の見たもの、考えたこと、感じたことを知ってもらう。メールなどで特定の人に読ませる強い意図に基づくのではなく、ふとした瞬間の自分をふと目にしてもらいたい。人が人とつながるときにもともと持っていたと思われるこのようなニーズが、SNSで顕在化した。以前は職業的な写真家や文筆業など選ばれた人にしか許されなかった発信が誰にでも可能となった。

このような「自分をさらけ出したい」行動は、「誰でも私小説作家」であり本質的にプライバシーを開示することだ。個々人はそもそも自由にプライバシーの一端(いまいるところ、名前、仕事などの一部を特定、推定可能)を開示することで楽しもうとする。この点がインターネットでシュンペーター※の意味での「新結合」を(偶然)生み出した。つまり、SNSに始まるネット上のプライバシー保護問題は、そもそも「原則として出さないように管理する」ことから見るべきではなく、「出したい」ニーズに応えて適切に保護する観点から進めるべきだ。※ヨーゼフ・アロイス・シュンペーターはオーストリア出身の経済学者。経済発展は、企業者が断続的に行うイノベーション(技術革新)によってもたらされるという理論を構築。

人々の「さらけ出したい」行動は、意図的にさらけ出したプライバシーの一端にターゲット広告を打つビジネスと結合した。そもそもインターネットはサーバーなどのインフラコストがかかる。WWW(ワールドワイドウエブ)は、世界のアカデミアのリンクにただ乗りして始まったが、検索エンジンの開発が、新しい広告宣伝の手段となり、無料メールによる利用者引き寄せと一体となって進化してきた。そして、さらけ出すニーズに関わる行動を利用した広告が、SNSをさらに大規模なビジネスに成長させた。いまやSNSや検索サービスへのサーバー投資が米国の設備投資の大きな比率を占めると見られる。結果として、無料メールにしても自分をさらけ出すSNSにしても、多少のプライバシーをいわば売りながら無料サービスでメール連絡やさらけ出す楽しみを享受する。これがインフラ投資・コスト負担をカバーする。個々人でまずプライバシーを管理するというアプローチでプライバシー管理を追及する政策や方向付けは、検索やSNSビジネスの新結合を壊す方向に見える。

1985年に証券会社に就職して以来、筆者は、バブルと崩壊、スキャンダルと規制強化の長い努力を見てきた。株式の売買は銘柄選びやタイミングについて参加者の徹底的な自由が求められる。そのためには、株式という商品が十分に「企画化」されている必要がある。会社の都合で「隠していましたが配当しない株式です」とか「裏でこっそり半分は友達に持ってもらっていました」などということは許されない。株式という証券の細かい仕組みや取引の方法だけではなく、利益や財務状況などの情報が投資の必要に応じて開示されている必要がある。取引の「自由」の裏には徹底的な企画化が規制として作られている。株式投資家は、各自がこの特定の株式が怪しいものではないかどうかをいちいち調べなくても、上場されていることや普通株であることなど大事なことをいくつか把握すれば、あとは自由に行動しても変な落とし穴には引っかかるなどと懸念しないですむ。株価のリスクだけを考えて投資すればよいことになる。

この経験から、個人情報の管理は、プラットフォームの公益性の観点からアプローチすべきと考える。特定のプラットフォーマーがどのような情報管理を行うか利用者がいちいち調べなくてよい程度に包括的な規制を設計することが望ましい。SNSのプラットフォーマーは、株式であれば証券市場の取引所に似た役割を持つと考えるからだ。プラットフォーマーへの規制と管理は、基本的にユーザーの自由ができるだけ大きくなるようにしたい。プラットフォーマー側が利用者との情報の非対称性を利用して、野放図にデータを(利用目的を気にもせず)売り渡したり、氏名、住所、電話番号など「コアな情報」を出さないようにしたりする規制があまねくかかっていることが適切だ。証券取引において証券とその取引所にたくさんの規制があるが、投資家は銘柄別に株式の設計(例えば議決権)が異なることを認識する必要はあまりない。それと同様にSNS等のプラットフォーマーが公益性を持つと社会が確認し、規制の網をかけておく。もちろん個々人の好みで管理することも可能にしてほしいが、それを規制や社会インフラ設計の方向とすることには反対だ。

筆者個人はSNSで自分をさらけ出すことに興味がない。無料メールは、通信業者の変更に強いから使う。SNSは自分のバンドやDJ活動の告知など便利のために狭い範囲で使う。しかし友人たちのさらけ出す写真やコメントはいつも楽しく見せてもらっており減って欲しくはない。規制からの自由(自分で守る)ではなく、自由のための規律(心置きなく利用できる)を設計する方向で議論が進むことを期待する。

#COMEMO   #データの世紀 #個人データは誰のもの

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