見出し画像

はじめまして神谷よしえです

はじめまして


自己紹介をさせてください。私は大分県宇佐市にある、海沿いの小さな町で生まれ育ちました。母金丸佐佑子は高校の家庭科の教員をしていたのですが、地元の料理を研究するために、1997年大分県宇佐市に台所だけの建物「生活工房とうがらし」を設立します。その後、母に導かれそこを拠点に食にまつわる活動をはじめました。

画像1

台所だけの建物生活工房とうがらしは、畑、田んぼ、果樹園、ため池、今台所、昔台所、外台所、囲炉裏、半地下などを兼ね備えています。


それから十数年、食にまつわる活動は、宇佐を中心に大分県内、福岡県内などの九州をはじめ、東京や関西にもおよびました。中でも、上海・バンコク・ミラノ・プラハ・ワルシャワなどでは、おにぎりを握る活動も行ってきました。大分県乾しいたけ大使として乾しいたけのPR活動や、調味料ソムリエプロとして、調味料講座を年間100回近く開催していた時期もあります。大分県が発祥とされるゆずごしょうを広める活動は2008年にはじまり全国各地でゆずごしょう講座を開催し「マダムゆず」とも呼ばれています。

もともとは亡き母金丸佐佑子が、高校の家庭科の教員だったこともあって、子どものころから「食」というテーマがとても身近にありました。

一緒に住んでいた母方の祖母高橋ナツヱも「食」に詳しく、畑の野菜作りから、お米作り、みそにお漬物も白菜漬けや高菜漬け、たくあん、奈良漬と、魚のさばき方も、乾物の目利きなど、本当にありとあらゆることを教えてもらいました。その祖母、母が守ってきたわが家のぬか床は明治40年に、曾祖母が嫁入りした時におこしたものです。
父方の祖母金丸タカヨも料理が得意で、体がよく動く人でした。商店の傍ら食堂もやっていて、近所では有名な料理上手でした。私はそんな環境で成長しました。
母は、高校で「地元の食をもっと知りたい」と始めた伝承料理の活動はすでに40年近くなり、「日常の食を非日常から研究したい」とはじめた台所だけの建物「生活工房とうがらし」での活動も23年になります。
気がついたら、そんな環境のおかげで、食には興味はありましたが、正直料理が得意だとは思っていません。それでも、日ごろの料理や、3人の子どもを育てる中での料理はこなしていました。お弁当も18年作り続けましたが、夏休みや連休がどんなに待ち遠しかったことか。料理が得意という友人たちをとてもうらやましく思っていました。

画像2

そんな私が、どうしてよしえ食堂をはじめようと思ったのか、きっと不思議だと思います。私自身すら不思議に思っています。それでも、私が50数年を生きてきて積み重ねてきた想いを形にしていこうと思っています。食で伝えていきたい思いや、食の情報を、これから少しずつお伝えできたらと思っています。
どうぞよろしくおつきあいください。

毎週月曜に更新予定です。お楽しみに。

画像3

よしえ食堂チーム、頑張ります。

#よしえ食堂   #ごはん大好き #しいたけ大好き #ゆずごしょう大好き #おうちごはん #生活工房とうがらし #マダムゆず

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?