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第4章 帝国の盛衰 第1節 民族の移動―衝突は大陸の宿命

第1章 ジオポリテイ―ク序説
第2章 古代の戦争から読み解く
第3章 超国家の誕生

第4章 帝国の盛衰
第1節 民族の移動―衝突は大陸の宿命
第2節 ローマ帝国の分裂と滅亡―国力とガヴァナンスのバランス崩壊
第3節 中国と中華思想―中原の覇権というDNA

第5章 日本の古代ジオポリティーク
第6章 領邦国家の成立
第7章 ヨーロッパ大陸から新大陸へ
第8章 大陸の鳴動
第9章 主権国家の変革
第10章 戦争の世紀
第11章 戦後処理
第12章 冷戦後の世界

第4章 帝国の盛衰 第1節 民族の移動―衝突は大陸の宿命

 アフリカ北西端に位置するモロッコを大西洋岸沿いにジブラルタル海峡から南西へ進む。ラバトからカサブランカを経て200km行くとサフィである。サフィから東南へ150km入るとアトラス山脈西部のマラケシュに至る。マラケシュからアトラスを越えればサハラ砂漠に出る。2004年、この地方の地層からおよそ30万年前の人の頭蓋骨と石器が出土した。

 人類学の専門研究から人類の移動はアフリカから始まったとされている。現在の人類のルーツである現生人類は、アフリカ東部、現ソマリア、エチオピアからアラビア半島に至った後、ユーラシア大陸の西、北、北東それぞれに移動した形跡をたどることができる。ユーラシア大陸東縁部を北上したグループは、日本、さらにベーリング海峡へ北上した現生人類が現在のアラスカに渡りアメリカ大陸インディアンのルーツとなった。

 ここでは「人類の移動」がもたらす諸現象について、ラッツェルが『人類地理学』において考察、予見した論考に基き整理を試みる。

1 ラッツェルの『人類地理学』―移動について―

 F・ラッツェルは『人類地理学』(由井濱省吾訳:古今書院)において「国土は民族の増大とともに変化し、国家の政治力は国境の拡大に比例し生存圏拡大のため国境は前進する」と説いている。その基本は『人類地理学』の冒頭に論じられている「生命と地球の一体性」であって、それは人類にとって衣食住を満足するための「人類の行動」に伴う諸現象を言う。

(1) 民族は移動する集団―『人類地理学』―

 ラッツェルは、「レイノルド・フォルスター は民族を移動する集団と見、民族は移動するが故に、今日見る肉体的状態や文化関係において、その現在の環境の影響をいつも一定の仕方で探し求める必要はないのだという、真の人類地理学的見解を出した最初の人である見ることができるのである・フォルスターは人種についても民族についても、その移動やその数の増減について従来誰もが述べなかったような意義を考えたのであり・・・(以下略)」と、『人類地理学』第1章に紹介し『政治地理学』、後にチェーレンが作り出す「地政学 “Geopolitik”」の前哨としている。

 ラッツェルは第2章の「人類と環境」において人類は「移動」に伴って移動先の環境に同化していくが、その地の先住者が既に受けてきた影響と性格の形成に比べ、移動に伴う性格の変化に極めて長時間を要するとしている。

 また、「先住者が衣食住を定着させている環境への他民族の移動(移入)がさまざまな衝突を起こす」現象は「人間の移動」と「文明の移動」それぞれあるいは、「人間と文明両方」の融合現象が穏やかに進めば、西アジアのアレクサンドロス化(ヘレニック化)、ローマ帝国のローマ化、日本の律令/仏教化や明治維新の現代文明化が喚起されるのだが、革命や強制という急激な変化によって摩擦・衝突に至ることも多い。

 ラッツェルはこの現象を「自然が人間に及ぼす影響は、この影響を受けた人間や民族とともに移動し、遠隔地にまで運ばれる。故に民族の本質は単にその民族が現在住んでいる環境だけからでは説明できない。ローマの国家制度の根源は大ローマに発展した狭い発祥地の一定の自然的環境と密接な関連がある。この過程に従って二千年を経た現在、その発祥した領域より数千倍も大きいヨーロッパの大部分にこの影響が普及している」と述べ北米のニューイングランドを出発点にテキサス、アラスカまで及ぼした影響を敷衍している。

 「移動の動機・目的」は様々である。「天象気象および地勢の特異な変化に伴う衣食住維持の困難化」は、安定した衣食住環境への移動を喚起する。モーセに率いられてエジプトを脱出したアブラハムの民(ユダヤ人)は、飢饉を逃れてエジプトへ移動(移住)し奴隷となっていた。

 「富の追求あるいは衣食住環境に優れた情報を取得」するという外来の刺激は、大航海時代や、エーゲ海への移民、植民を促した。

 「戦争あるいは強力な勢力によって統治体制が変化」する例は多い。侵略は移動がポジティヴで、日本の満州国建国/満蒙開拓あるいはヒトラーの東方政策に見られる。ネガティヴな事例は、タタールの軛に見る祖国喪失という内面的移動という被支配、ユダヤ戦争に敗北し国を失い追放されたユダヤ王国・イスラエル王国のユダヤ人ディアスポラ(集団的難民)の例がある。

 社会現象としての移動について、ラッツェルは「あらゆる生活と同様に、民族の生活も移動と重ねて表現される。民族の拡大はこの移動の表徴であり、また移動によって理解することができる。可動性は民族生活の一つの本質的特性であり、それはどの民族にも、例え一見静止しているかに見える民族にも固有のものである。(第6章民族の可動性)」と述べている。

 しかしこの言い様(よう)は、大陸国家固有の可動性に基づく理論であって、「例え一見静止しているかに見える民族にも固有のものである」と言いつつ、日本のようなある規模以下の島嶼国の現実には当てはまらない文脈でもある。「・・・民俗学はすでにたびたび民族移動を明らかにしているから、民族移動が絶えず反復しますます拡大して行くことを疑うことはもはやできない(第6章)」と、ラッツェルは民俗学・人類学的文脈において述べている。すなわち様々な民族が陸続きで接して国・部族・非国家主体集団を形成している場合、境界線を地続きに越える往来が発生する蓋然性が高く、国境線を地続きに持たない国家の「想像できない越境」という環境決定的宿命とは相容れない。

(2) ラッツェルの「移動」に係わる考え

 先に述べたように、ラッツェルの論考は「大陸」を思考の基準にしているから島嶼国の日本人には理解が難しい。この点は日本人が大陸に起こった「戦争の歴史」あるいは「現に大陸で起きている戦争」を理解する上で重要な点である。「ある民族が異民族の世界に簡単に入っていける地勢、国境線を徒歩で越えて隣国に行ける世界」を念頭に置かなければ大陸の静的な環境も動的な社会現象にも理解が及ばず、むしろ誤解を招く。

 次にラッツェルの「移動」に係わる思考の一部を紹介し「国境線の前進」というキーワード理解の助けとする。

・領域が固定されていても民族は通過する、即ち移動は固定したものに束縛されない(第
46節「民族と領域」)
・民族が土地の食糧供給力以上に増大すると交通の進歩とともに人口密度も高まり流出現象「国境線の前進」を促す(第47節「可動性の発達」)
・鎖国も交通の欲求を阻めず移動性を容易にし、歴史の進行も早まる(第48節「交通」)
・外部的変化が顕著な民族移動だけを顧慮するのは、有機的成長が内部に存在し外部的変化
に与えている現象を忘却しているからである(第49節「内部移動」)
・あらゆる民族移動に目的と意志を認識すべきである。歴史は目的を意識していて、しかも
よく準備された移動が極めて多いことを教えているが、衝動的移動も有り得る。(第50
節「無意識的移動」)
・無意識、かつ衝動的移動は最終的に慣れた環境にたどり着く(第51節「無意識的移動の
限界」)
・移動は大・中・小集団の移動が混在し散乱する(第52節「散乱せる異動」)
・戦争は民族が守るべき財が豊富であればそれなりに打撃を回避、あるいは守るため、自己
と敵との間に軍隊を置く(第53節「戦争」)
・人間の最も強力で基本的な本能は防御本能であり、逃亡は集団移動の通例のかたちである
(第54節「防御と逃亡」)
・民族の移動は、移動先の先住の民族を苦しめ、一方の民族が他民族の圧力に屈して移動す
ると第3の民族が刺激を受けて移動する(第55節「受動的移動」)
・民族が移動すると他の民族を巻き添えにする随伴現象が起きる(第56節「巻きぞえ」)
・大平洋でよくみられる例だが移動を始めたが落ち着き先が無く漂流する場合があり、他の
移動への潜入が行われる例がある(第57節「漂流」・第58節「潜入及び浸透」)
・民族移動の頂点は「遊牧民の移動」であって、人間と動物の集団が一つの目的に向かって
敏捷にかつまとまって遠方に進出するため専制的・組織的行動を促し、広大ではあるが、
限られた空間における草牧・水源の豊かな地へと整斉と移動を行う(第59節「遊牧民の
移動」)
・移動する集団は、通常、根拠地を持たないため、移動適応態勢、戦闘即応態勢を整える
(第60節「遊牧民族の戦闘態勢」)
・民族の成長や力の差異が効果を発揮し、他の民族より増強増加が進むと、通常は本来の居
住空間を越えて拡大して行く「移住」が生ずる。しかし集団間で関係が深化して安定・定
着化に至ると移動が減少する(第70節「移住と植民」)

 ラッツェルは『人類地理学第2巻』において、改めてエクメネを詳述し「地理学」と「政治学」を融合した「地政治学 」の有用性にアプローチしている。

 ラッツェルは「エクメネ」の用語を使うに当たり「古代人は地球の大部分が無住であり居住不可能であると思っていた。居住された地球は古代人には遊星のごく一部分であり、彼らはこの部分を『エクメネ』と名付けた。その限りでは居住された部分に小さすぎる空間を割り当てたこの概念は誤っているとは言え、居住された地球と非居住の地球の対比には非常に大きい豊饒さがあるので、誤った適用をしても必ずしもそれを常に無価値にしてしまうことはない。それはむしろ根本思想であり、其処から生命の分布の考察を、人間のそれに止まらず、地球についても志さなければならないであろう。たとえ、人間が精神的に全地球を把握し、その際外部に居住している道程を超えてさすらい歩いてもそれが人類の限界内にある限りは、やはり最初の地球が、人類地理学者の地球があり、『居住された地球』即ち人間の地球というエクメネの古い概念を特に人類地理学的問題の議論に導入するのは、単に設定可能なだけではなく、解決すべき必要がある学問的課題である」と述べている。

2 移動がもたらした諸現象―古代史から今日までの事例―

 紀元前13世紀にレヴァントに侵入し定住したフェニキア、ペリシテなど「海の民」は今日の小アジア・アナトリア半島、中東・レヴァントに生存圏を形成し、その結果ヒッタイトが消滅した。

 旧約時代にモーセに率いられたエジプトから脱出するアブラハム(スラエル)の民は60万人とも言われ、カナンに在った先住民ペリシテ人の生存圏パレスティナを奪った。

 西アジアを征したペルシア帝国は、さらにギリシアを支配するためペルシア帝国陸海軍70-80万人が侵攻したものの、陸・海の主要会戦に敗戦、侵略を断念撤退した。

 中国漢王朝に圧迫された匈奴の一部、フン族は4世紀から5世紀にかけ中央アジア、コーカサス、東ヨーロッパからヴォルガに移動しローマ帝国東方一帯を支配した。当時ローマ帝国外に居たゴート族(東ゴート王国・西ゴート王国)、ゲルマン民族はフン族に押し出されるように、まずゴート族が東ローマ帝国内からイベリア半島、イタリア半島に移動、ゲルマン民族は西ローマ帝国内に移動(ゲルマン民族の移動)して東西ローマ帝国の傭兵となった。

 ローマ帝国の拡張は、異民族都市国家を属州化させ、属州となった都市国家から選抜された市民にローマ流の教育訓練を施しローマ帝国全土のローマ化に寄与させた。しかし領域の拡張と支配、別けても軍備の要員不足を帝国内に流入するゲルマン民族の傭兵をもって補ったため、ゲルマン傭兵隊長にローマを奪われ西ローマ帝国崩壊を招いた。

 イスラム教の誕生はアラブ・ムスリムのイベリア半島、小アジア、西アジア、中央アジア、への勢力拡大に至り、さらには、ローマ帝国のキリスト教(カトリック)国教化に伴うキリスト教(カトリック)国家群との対立戦争を招いた。東ローマ帝国へのイスラム帝国勢力の侵攻は十字軍の遠征を発動させ、8回以上のキリスト教軍団の集団移動が行われた。

 レコンキスタは、イスラム勢力がヨーロッパ大陸イベリア半島に進出して西ゴート王国の抵抗を排除した8世紀初頭に始まった。イベリア半島へのムスリムの移動は、キリスト教(カトリック)勢力の再征服戦争を喚起し、15世紀末、ピレネー山脈以南のイスラム王朝支配を排除してイベリア半島を取り戻した。

 モンゴルは、東欧ポーランドにまで侵攻した。大規模な軍事行動(大軍団の移動)は文明を変えてしまうRMAを起こす。

 宗教革命は、ローマ教皇の権威を離れてキリスト教徒の分裂と移動を招いた。典型例はイギリス国教会を離れて北米に移住したピルグリムス・ファーザースである。

 植民地時代は近代国家の労働力不足を補完するため、アフリカ人を商品化した奴隷売買を行うなど多くの労働者を新大陸へ送り込んだ。同時に、アジアからの移住、移民は多数に上り、それぞれ出身国のコミュニティーが生まれるきっかけとなった。

 2020年現在、シリア内戦の難民は国内・国外それぞれ600万人を超えヨーロッパ諸国の受け入れが約100万人に及ぶ。ドイツ一国では55万人を超えた。「移動」の規模は極めて多数である。キリスト教の国にムスリムが移住して行くわけだが、宗教対立の中世がえりが危惧される。

 これらの事例は、移動が引き起こした戦争をはじめ、殺戮、破壊を伴う大きな事件の状況証拠である。「移動」というキーワードに特化し、「避戦」を実現させる示唆を導けないか課題としたい。