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スコットランド日和⑨「黒子」にならない パブリックな場で名前を呼ぶこと

 スコットランドのエジンバラで研究生活を送っている阿比留久美さん(早稲田大学、「子どものための居場所論」)の現地レポートを連載します(月2回程度の更新予定)。
 ★「子どものための居場所論」note はこちらから読めます。
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 関係の作り方や持ち方がスコットランド(というかイギリス?)と日本とでは違うな、と感じることは、生活のはしばしであります。スコットランドの企業活動でのことはわかりませんが、学校や地域では、基本的にお互いをファーストネームで呼び合うので、最初から比較的フランクに関係がはじまりますし、近しい雰囲気になりやすいです。

 エジンバラにあるシタデルユースセンターで週末にイベントがひらかれたときのことです。その週末のイベントでは、スタッフは「仕事」としてではなくそのイベントにかかわっていて、ふだんからボランティアをしている人もスタッフも、「Volunteer」(ボランティア)という単語とともにそれぞれの写真とファーストネームが印刷されたおそろいの白いTシャツを着ていました。

七色にペインティングされた入り口への道
(シタデルユースセンター、2023年9月)

 おそろいのTシャツを着ていることで、スタッフとボランティアに一体感がでます。それだけでなく、ユースセンターのマネージャーは、このおそろいのTシャツについて「若いボランティアとスタッフとの間の区別やパワーバランスを縮めるものなんだよね。『大人』と『子ども』、『スタッフ』と『利用者』という区別を超えて、みんなが『ボランティア』だってことなんだ。少なくとも僕はそんな風に思ってるんだ。」と話してくれました。パワーバランスが完全に水平になることなどないからこそ、それをできるかぎり水平なものにしていこうとすることによって、少しずつでもパワーバランスは水平に近づいているのでしょう。

 やってきた子どもや若者にとっては、ふだんなんとなくあいさつしたりおしゃべりしたりしているけれど、名前がよくわからないスタッフやボランティアの名前を知ることもできます。

 シタデルユースセンターの他のイベントに行った時には、イベントの最初に「今日は、〇〇と△△が会場誘導のボランティアをしてくれて、××と□□がドリンクサービスのボランティアをしてくれているよ」と紹介をしていました。イベントの最後には、音楽にのって、スタッフが肩を組んでラインダンスのように踊りながら、中央に登場していました。

 そんな様子を見ていると、誰がどんなふうにかかわっているのか、ということをスタッフであろうとボランティアであろうと紹介して、それぞれの人を黒子にしていないのがわかります。それは、そのイベントにかかわっている人に対する敬意(respect)のあわられでもあるといえるでしょう。

 黒子にならず、名前をもった個人として働く、かかわるということは、こちらでは日本よりも幅広くおこなわれている気がします。

 郊外のコミュニティセンターのある複合施設に行った時には、そこにあった行政の支所では、スタッフの写真と名前、担当がのっているボードを見つけました。どの職員がなんという名前で、どんな担当をしているのかわかったら、住民の人も声をかけやすいし、担当が変わっても誰に相談したいかわかるだろう、というような、シンプルにポジティブで親切であるとともに機能的です。

 日本では、自分の名前を出して個人として働くという側面は弱くて、その組織の人間として働くという側面が強いです。個人の名前を積極的に出さないことは職員を守ることにつながるという意識もありそうです。ですが、そのような考え方は防衛的で、あまりポジティブな姿勢からでたものとは考えられません。

 名前をもった個人として人を位置づけていくことは、自分のことを相手に知ってもらい、かかわってくれる相手に対して敬意を払い、信頼関係を築いていくことにつながる。そんなことを私は感じています。

阿比留久美『子どものための居場所論』
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★「子どものための居場所論」note はこちらから読めます。

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