カモヘラシカ　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　20210812
 
ヘラジカの角が五歳の弟よりも重たいと知ったとき、彼は心底驚いたように笑っていた
ヘラジカと衝突してアメリカでは年間二五〇人が死ぬんだって聞いたとき、
彼は確かにそんなこともあるかもねといって笑っていた
一三年前、虫眼鏡で星を眺めようと家を飛び出した彼は、
八年後にカモシカを轢いて死んだ
自分が轢いたのがヘラジカじゃなくてカモシカだったと知ったとき、
彼はなんだか安心したといって泣いていた
一億頭のヘラジカの角とカモシカの心臓を比べてみても生物に優劣なんてつけられないから車に乗っていたのが僕でほんとよかったのかもしれないね
言いながら虫眼鏡でヘラジカの写真を眺める彼は、いつまでも泣いていたかったのかもしれない
それに目の前で見たほんもののカモシカはあまりにリアルで驚いちゃったんだよ
少しだけ震えていたのはきっと、レンズ越しの泣き顔なんかじゃなくて肉眼に焼き付いたカモヘラシカの笑顔
ビッグバンよりも確実に生きた彼の命は今でも、フロントガラスという新しい眼鏡にはじまりの息を燃やしている
 
一三八億倍に拡大された星を
ちりばめるかのように笑いながら泣きながら
見送る僕は今日もまた、カモヘラシカを探している